こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年8月24日 水曜日 高橋幸宏「永遠の夏」'94.10 & 写真日和 (8月上旬)

2011-08-24 21:22:50 | 写真日和
政治家が内輪の利権争奪に明け暮れる。
しかも、東日本大震災と放射能の件は当然何らカタが付いていないさなかで。
海外の国からは、実に不思議な国に見える。

TBSラジオの「DIG」を聴き、そこで得た情報には不審気な事柄が山ほどこの国にはある事を認識す。
個々の事象の出方というのはバラバラだが、そういうものからあぶり出される構図があるはず。「点と線」は全体を浮かび上がらせるだろう。

・韓流偏向のフジテレビにデモがあったのを予想通りメディアは見えないフリをする。
ただしメディアがどんな構造になっているかも、みんなお見通し。

・島田紳助とやらが引退、?とは言えないが。そのせりふが不審気。
そもそも引退しても喰うに困らない人が会見を開く。わざわざ。

・暴力団とのしがらみ?そんなものは相撲・野球同様あるのはみんな分かっている。
2011年における暴力団も街宣車の右翼風団体も、そういう「外見」をしているだけで、中身は極道でも右翼でも無い・構成が異なるのもみんな知っている。

・オバマの発言なども「点と線」の1つの点のように思う。
大阪府橋本知事の発言・動向も気になる。

擬似「日本」という国の形も無くなった国。
海外の人に不思議に思われる要因を辿ると、一応国の形をしたこの島は、既に外人に乗っ取られた国ゆえだからだろう。
それを言うと、戦後がアメリカの・・・ということを引き合いに出されるだろうが、自分が思うのはそのファーストステップでは無く、もう1ステップ別の次元にこの国が来ているように思う。裏カネがどこに流れるかだけで事が左右されてしまう国の有り様。

***

90年代以降、幸宏も迷走していた。
1994年大阪で、東京発信の竹中直人さんの深夜番組「恋のバカンス」を毎週見て録画するのを楽しみにしていた。
理不尽な怒りをあらわにする竹中さんのコントへ魅了されていた。
いっつも、吉祥寺の井ノ頭公園を舞台にした毎週のコントは、大阪という異国の地に居る自分の活力だった。
ここに幸宏は「流しのドラマー ジャッキーテル彦」として登場。
そこで流れた幸宏の「青空」は、久しぶりの幸宏にしか描けないロマンティシズムに溢れていた。

久々にこの曲を聴く。
「青空」も好きだが、実は自分はこのCDシングルのB面、じゃ無かった、カップリングされた「永遠の夏」という曲がとてつもなく好き。
この曲はアルバムでは英語で歌う別のタイトルになっている。
しかし、自分の中では、この「永遠の夏」がいつも鮮やか。

「夏が死んだ 砂浜で ボクはキミに恋してた
二人は まるで双子 胸のキズやほほえみが よく似てた
i know you're there キミは 泳ぐ
今・・・・・でも・・・・・ボクの 海を・・・・・

世界中の悲しみを 癒すように 抱きしめた 風の午後
i know you're there キミは 眠る
もし・・・・・また・・・・・逢える日まで・・・・・

i know you're there キミと見てた
i know you're there 永遠の夏・・・・・」
(詞:森 雪之丞、スティーヴ・ジャンスン/曲:高橋幸宏、スティーヴ・ジャンスン
編曲:高橋幸宏、スティーヴ・ジャンスン)

***

既に死んだ夏の残骸。
8月上旬に過ごした日々の写真を綴る。

8月1日

夜中に撮った花が眠る姿。


そういう夜中に映画「リング」「らせん」を一気に2本観てしまう。
深田恭子が映るヴィデオの映像を編集する人の機械の制御が効かなくなり、映像の中で勝手に動き出し、オバケのようになっていくシーンがとてつもなく怖い。


8月2日

朝の温泉玉子。だし汁が混ざっていて最近お気に入りの食べ物。本当はご飯にかけて食べたら旨いのだろうが、朝にはそんな元気や食欲は無く、このまま呑むように食べる。
食べたらクセになる味。

8月3日

再び、コチャコ。

8月4日

御茶ノ水の順天堂病院でMRIほかの検査。
丸1日かかってしまう。


荒れる天候、自然。途中、小雨が降る。


御茶ノ水駅前通りの空き地。
しっかりと失くなった家の怨念が壁に投影されている。


須田町・淡路町の再開発エリアのクレーン車。
再開発の名の下に、街が壊されていくのには昔から胸が痛む。
須田町は昔々東京の中でも盛りの地で、既にさいたまに移転してしまった鉄道博物館があった場所は、本当は今ある東京駅になるはずだった地。


御茶ノ水駅前通りの陰影。
常に写真を撮り続ける理由は、今の日本では、由緒ある場所さえカネで歴史を潰すようにして消えてしまうから。
「常なる場所」が無い記憶喪失都市東京での自分なりの記憶への留め方。


検査を全部終えて灼熱のヒートアイランドから喫茶店へ。
恵みのアイスコーヒー。

8月5日

スカイツリーの本格オープンまで、あと291日。

8月6日

朝の温泉玉子と同時に、最近好きなのが「食べる煮干」。
ビールのおつまみにもピッタリ。

8月7日

「ワールド・ハピネス2011」で、夢の島公園までゆく。
猛暑を超えて、何とか今年もYMOを見ることが出来た。
永遠の夏、の想い出。

8月9日

今日も茨城で仕事をした上で、都内にUターン。
南千住からのスカイツリー。


ジョー山中が亡くなる。一世を風靡した角川映画「人間の証明」のタイトル曲は今聴いても切ない。
当時、TBSラジオで小島一慶さんの「夜はともだち」を聴きながら、間に入った「人間の証明」のラジオCMを思い出す。
『母さん。
僕のあの帽子、どうしたんでしょうねえ・・・。
夏、碓氷から霧積へ行く道で、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ・・・。』
そのセリフにかぶってくる「ママー。ドゥ・ユー・リメンバー・・・」というタイトル曲。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年8月24日 水曜日 YMO「Solid State Survivor」'79.9

2011-08-24 18:02:00 | 音楽帳
ほぼ終わった2011年の夏を振り返っている。

ある意味、真実か否かも分からない中、この夏が「節電」「省エネ」と説教のように、あるいは「洗脳」のように言われて、そこに引きづられてそういう商品を血眼で買う人々を見てきた。
おかげで日本チェーンストア協会が発表したように流通業界は潤ったが、果たしてこの購買行動の様が妥当だったのか?については、時間を置いて検証作業する必然性がある。
「単に踊らされてしまった」のでは無いのか?という疑問が晴れない。

***


長いこと、このアルバムを紹介すること避けて来た。
というのも、このアルバムに出会わかなったら、自分の人生は異なっていた。
そういう背景がある。
話せば長い話になるし、当時、本当に「溝が磨り減るほどに」毎日聴いていた、自分らには革命そのものを象徴したアルバム。
神話化してはいけないが、そうは言えども神棚に飾ってしまうようなアルバム。
このアルバムとの出会いとショックが無かったら、違う道を歩いていた人は多く存在する。

そういう中、かなりの間、自分の中で「封印」してきた。
このアルバムがあったから、今の自分が居るのに。

***

1995年の高野寛くんの「ソリトンSIDEーB」にゲストで出た石野卓球が、当時静岡に居てこのアルバムを聴いて『わあ、未来の音がする』と毎日何回もこのアルバムをキチガイのように自分と同様聴く中、卓球さんの「おかん」が「YMO禁止令」を出し「YMOを聴くのは1日何回」と決められてしまった、という話。
自分はそういう制限は無かったので、毎日エンドレスで聴いていた。
エンドレスと言っても、レコード盤をひっくり返していたが。

***

今日はあくまでアルバムに収録されたB面最後の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のみのお話に留める。
後の曲は、未だ言葉にするのも怖い部分があるので、制限する。
あくまで1曲のみのこと。

当時、曲に於いての「詞」は添え物と認識していた3人が、詞を全部クリス・モスデルに任せていた。この曲の作詞もクリス・モスデル、作曲は幸宏。

自分は、全曲好きだったもののこの曲はアルバムの中で、好きな曲の順位から言うとかなり下に位置している。
A面4曲の衝撃が上の方にある。

じゃあ、何で取り上げるかというと、3・11直後にはとてもでは無いが言えなかったこと。
この「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」というのは、1979年当時の人類の未来予想図というニュアンスを少年のボクは思っていた。
そういう雰囲気をYMOはこの曲で描こうとしていたのは、自分の感覚と一致していたと思う。

「ある障害・戦争・ビョーキ(ペスト等感染のような時点解決出来ない菌類含む)を超えて生き残った生命体」というのが、曲目の意味。

3・11以降、三島由紀夫が過去言ってきた言魂を改めて思ったり・・・そういう中でYMOのこの曲が自分の脳に浮かんでいたのは事実だった。

福島原発に防護服で入る人々の姿。制御出来ない放射能・拡散するのを避けられない様。

1979年当時、コドモの自分は五島勉の「ノストラダムスの大予言」を信じてしまい、20世紀末には世界最終の場面が来ると思い込み、曲の中でフィルターを通しセキ込む人や語る会話のノイジーな様・間で笑う様・・・そういうモノに「人間はいずれそういう最終の時期を経て、淘汰されてしまい生き残った者たちは生き残ったものの、毒ガスマスクのようなモノを付けて、普通の生活が出来なくなる」。
そんな像を描いていた。

時期は異なったが、まるで原発が撒く放射能の中、福島原発付近で防御する様とこの曲が重複してしまった。
こんなことを想定していないかなり前の音楽本には、この曲が「人類最後の放送のイメージ」を細野さんらが描こうとしていたと記されている。

***

1979年当時「未来」を感じて、目の前が開かれたこのアルバムの曲に、こういう感を覚える32年後・切実な問題として捉えるときが来るなんていうことは思いもしなかった。

五島勉が単なるペテン師だったのは後になって解明されたが・当時は「そうは言えども、じゃあウソだとは言い切れない」そういう微妙な立証不可能なものだった。

何か今取り巻いている3・11後の有様も何か似ていて、何が妥当で何が妥当では無かったのか?そういう検証が後々必要になると思っている。
多くのウソが混じっていると自分は思っている。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする