こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年8月23日 火曜日 夏のフェイバリッツ・51 ヤニー「ルッキング・グラス」'86.8

2011-08-23 23:54:14 | 音楽帳
トーマス・ドルビーでの話と重なるが、二年目の浪人の頃の追い詰められ方は半端ではなかった。
どこに居ても落ち着かない。
というか、どこにも自分の居場所がない感覚が常あって、強迫行動に出ていた。

よくある強迫神経症にある話が、何度も手を洗ってしまう。手があかぎれを起こそうとも汚く感じ、絶えず手を何度も洗ってしまう、という例。
もしくは、電車に乗ると「もし、ここで心臓が止まったらどうしょう」とトンネルに入ると、怖くて息苦しくなってしまう・・・そこから電車に乗れなくなる。
または、家の鍵をかけて出たはずなのだが「もしかしたら鍵が締まっていないかもしれない」と家に帰る・・・それも何度も何度もになり、最後、家から離れられなくなる。

自分も幼い頃からこういう体験は既に通過していた。
逆に、20で精神医学書等を読み漁った中で、こういうことは他人も有るんだなと、初めて分かった次第。
幼い頃から起こったそれらの事象は、自分固有のモノだと思っていたので、誰かに「助けてください」と言えず・自分の内面を打ち明かせる神経すらも無く、言える相手もおらずに独り苦しみ、そして、越えてきた。

じゃあ、それらの事象と、二年の素浪人が行き着いた地点とは、何が違うのか?
と言えば、私的内面の話で済まず、社会的な側面があったことかと。
家と社会の板挟みにあった点だろう。
兄貴が親との対決を越えて東大に行ってしまい(そういう意味では、兄も自分の側には居なかった)そういうエリート以外は認めないという断固とした親との齟齬の世界。
一方では、そういう家やしきたりを越えて、何でメシを喰うかはあるが、そこから離脱して独りで稼ぐ能力も・勇気もなく・・・。

悶々と御茶ノ水・神保町界隈の人混みに混じって街を放浪しながら「キチガイになってしまうかもしれない」という精神状態が時折訪れた。
次第に図書館に居ても、周囲が迫ってくる幻覚(当時は幻覚では無く現実)に押しつぶされそうになって、建物の外に出たり・・・。

そして、先ほど言った、その時点の強迫行動というのは、当時カメラもビデオも携帯も持てぬ中、常に自分ノートというものにしがみついて、自分の座標になりうる言葉をしるし、今音楽はどこの地点にあるのか、どういう方向にこれから舵を切るべきかをメモすることと、音楽至上主義と言っても過言では無いニューウエイヴの音楽を異常な思い込みでしがみついて聴きつつ・そこに自分を固定させ・ぶら下げようとしていたこと。

妙な表現になってしまうのだが、時間が経つと周囲が全く違う世界に見える幻覚にも苦しんでいた。
眠って起きると昨夜までの自分が無くなって空っぽになっていることが度々あった。
次第にそこから寝ること自体が怖くなって不眠にも陥っていく。

「今」の連続体が自分の構成物なのか?
は未だ謎だが、何か目印となる言葉や音をノートと脳に叩き込むように常書き込んでおかないと、時間の経過という悪魔が、自分の周囲の世界を変えてしまい、いつの間にか島流しに遭うように、別のポイントに流されてしまう。
そんな恐怖と戦っていた。

***

今思えば、音楽は自分を育てた母であるが、ある部分では自分を呑み込んでしまう魔物でもあった。
頭の中で音が鳴り止まない幻覚もこの頃に経験していて、それは常に携帯音楽機器など無くても脳で音を鳴らす訓練と練習が祟った結果でもあった。

長々と書いてしまったが、この時期毎日聴いていた音楽は、大学時代は苦々しく思い封印してしまったのだが、そこからも数十年経た今の自分はその苦々しさも含めて肯定できるほどになった。

1986年8月発表のヤニーという人の「ルッキング・グラス」という曲を初めて聴いて録音したのは、やはり「クロスオーヴァー・イレブン」だった。

苦しみの中でも、比較的融和がたもてる、気が狂わない方向の音だった。
自分の中では、タンジェリンドリームが次第にポップになっていった地点で鳴らしていた音に近い。
この曲は、録音をした日から毎日聴き、脳に刷り込み、キチガイになりそうな時に、それを逃すために鳴らす音の中の1つだった。。。。

***

1991年大阪で社会人になって以降、それはそれで別の地獄が待ってはいたのだが、土日はせっせと梅田通いを自転車でして、昔のレコード漁りを続けた。
それは、東京に戻った1996年以降も続く。
そこで、ヤニーのこの「ルッキング・グラス」が入ったアルバムを発見する。

アルバム『キーズ・トゥ・イマジネーション』。

この後、ヤニーの別のものも聴いた。
が、この1986年前後から以降に向かって「ニュー・エイジ」とか言い出した、喜多郎などの音楽の延長線上にあった『環境問題』が『宗教』と微妙に交錯し合ったやばい匂いを思わせて、微妙に感じた。

ただ、だからと言って「ルッキング・グラス」との一期一会を否定するつもりは毛頭無い。今でも好きな曲である。

このヤニーのアルバムは、元タンジェリン・ドリームのピーター・バウマンが創った「プライベート・ミュージック」というレコードレーベルからのものだった。
それを知って「なあんだ。自分が近いと思っていた音は、やはり根拠があったのだな。」と妙に納得した。

このアルバムは、ヤニーのセルフ・プロデュースだが、エグゼクティヴ・プロデューサーに社長ピーター・バウマンも記載されており、彼がミキシングも行なっていた。

実に長い長い話になってしまったが、そのいにしえの「ルッキング・グラス」を今夜は聴きたい。
これも秋に聴く曲だが、もう解禁しても良い頃だろう。

Yanni 「Looking Glass」


この曲が入ったカセットにはタンジェリン・ドリームの曲「ホワイト・イーグル」が入っている。
そういう位置付けで、当時、この曲を捉えていた。

****************

PS:急に思い出した。当時、御茶ノ水駅前は、勧誘の場であった。
春日の図書館から歩いて御茶ノ水へ・・・。
その夜の中、自分が勧誘された。
色々話した挙句、事務所で見せたいものがあるので・・・とその女に付いて事務所に行ってしまった。
そこで「ビデオを見てください」と言われて見れば、数分で笑ってしまった。
長く続く宗教戦争や社会のネガティヴな事象が映像化され・・・最後に「これらの混迷時代を生き抜き、皆さんの悩みに答えるのが、このビデオ24巻セットです」。

「もう、結構」とその場を去るが、馬鹿な自分はそこで電話番号を残してしまい、結果的にそういうものが裏を通じて、多様な商品売り込みの電話となって帰ってきた。

なぜ、自分がそこまで付いて行ってしまったのか?
未だに不思議でならないが、結論としては「寂しかった」のだと思う。

今の自分が考えているのは、勧誘に声を掛けられた時点で、そこにはスキがあるのだ。
彼らは、当時の自分のような不安定な人を見分ける技術を持っている。
ナンパと同じ。
声を掛けられて立ち止まる事そのものが、何か満ち足りないものを持っている証拠。


内田裕也・たけし出演の映画「コミック雑誌なんかいらない」でも描かれた豊田商事会長刺殺事件。
1985年4月から始まった素浪人生活では、時代を象徴する事件がたくさんあった。
この霊感商法を行なっていた豊田商事会長がマスコミの目の前で刺殺されるのを静止もせずに、それをバチバチと写真に撮り雑誌に載せたフォーカス、フラッシュ、フライデーという時代。(YMOの「浮気なぼくら」にある『フォーカス』という曲はこの手の雑誌の有様を指している)
個人の内界とアイドルという芝居(外面)の狭間で飛び降り自殺をしてしまった岡田有希子ちゃんの事件。そのなきがらを蹴り上げ顔を撮った、この手の雑誌の写真撮影者の不遜な有様。
ショックな事件が多くあった80年代中盤。

そんな時代の勧誘という事象が、自分のようなすがる所の無き者が、結果的に膨らみ1995年のオウム事件へと収斂していったのだと思っている。
80年代後半に「ニュー・エイジ」と言い出したのも、FM東京が「アース・コンシャス」というモノを自分の放送局のイメージ化に使おうとしたのも、当時、急に環境問題がブームになりだした元に在った。
その環境問題とセットで新興宗教の躍進が有ったので「ニュー・エイジ」という言葉には抵抗があった。

・・・・そういう過去を経て、今では勧誘に声を掛けられることも無くなった。
逆に、阪神淡路大震災後に、大阪から戻った東京で、駅前で募金する怪しい連中に声を掛け「お前らこの金がどういう経路で被災者に届くのか説明してみい」と追い詰めた。
よく分からない説明で「被災者に募金が・・・」と繰り返す中、タネ明かしで「俺がその被災者だよ。あんたが集めたカネは、いつ俺のところにたどり着くんだよ。警察に行くから一緒に来い。」と首根っこを掴んで引っ張った結果、走って逃げられた。
「あの頃」から、ずいぶんと遠いところに来てしまったなあ、と今思う。
コメント
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