こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年8月18日 木曜日 夏のフェイバリッツ・46 ウェザー・リポート「お前のしるし」'77

2011-08-18 22:10:58 | 音楽帳


土日月曜日とユングの「ボーリンゲンの塔」ならぬゴミ屋敷に引きこもる。
猛暑と群集にまみれる事に、気が赴かないまま日が過ぎてしまった。

ビールとラジオと音楽と爆睡だけの自堕落な生活。

火曜の休み最終日は起きると14:30・・・・・。
日差しが緩む夕方になってから近所の喫茶店でアイスコーヒーを飲み、電車で三駅、浅草に出る。
ツノが生え出して邪魔臭くなっていた髪をまた坊主にリセットしてもらう。
そこからぶらぶらと写真を撮って帰る。

髪を切る人と馬が合って「ハゲも案外ツノが生え出すから面倒なんだよねえ・・・・・。」
などと話していたら、その方は高校2年生の男の子・中学3年生の二児の父という事で「家族サービスも大変ですよ」。
「旦那も大変でしょう。」と言われて、ギクッ。

「まあねえ(-_-#)」とさらっと流す。

***

火曜晩、実家に札幌みやげ渡すと共に泊まる。
16歳以上のネコ=コチャコは今まで寸分たりとも近づかなかったのに、最近急に甘えん坊になり、敵視されてきた自分にも擦り寄ってくる。
ナデナデし首の廻りを掻いてあげたりする。



問題は夜中消灯後。
寂しいせいだろうが、夜中じゅうチャリチャリ鈴の音たて、鳴いたりしてなかなか寝ない。
お陰でこちらが眠れず、朝ほとんど寝ないまま起きて、鬱で苦しいままの状態で仕事場に向かう。
水曜、休み明け初日から思いやられた・・・。

だが、とりあえず昨日は、大ゴトも起きずに初日の仕事を終え、19:31の電車に滑り込むことに成功。

***

そして、今日は、相変わらず仕事をしながら・カラダじゅうを掻きながら、くもおさんから言われた、自分とジャズとの関係を考えていました。

いわゆる世間の中心で鳴っていた/いる音楽は、80年代も今も「断定形」。
先日の「ワールドハピネス2011」でフェネス+サカモトが浮いてしまったように、即効性ある音楽にばかり傾いていく。

ある部分・ある時期、自分がロックをあえて取り込んでいたことは後日述べるとして、基本は、自分が過去ロックが嫌いと過去感じていた意味の本当の根源は、そのアタック音というのか?
ある方向性持ったベクトルと圧力への違和感でした。
自分と音が対峙する関係の中に入らないと享受しえない音の在り方への絶望感、とでも言いましょうか。

80年代前半イーノが「もうロックには興味が無い」と言う言葉で言わんとした物とも重なる。



自分がイーノへ惹かれたのも、音のベクトルや断定では無く、焦点をぼかす・逸脱していく・・・・・
そういう指向を察知し、実践したことにあります。

私はカッコ付きの『ジャズ』というより、メインストリームでしつこく強要するように鳴る音に耐え兼ねて、そうでは無い音を日々探してあてどもない旅をする中で出会ったものが、「世間」では「アンビエント」だったり「ジャズ」だったり呼んでいただけのこと、と思っています。

***

音の成り行くままに任せる。。。
そんなジャムから、何かが生まれる。
作為的なのも、起承転結なんかも要らない。
時にはメロディーである必要も無い。

汗とも力とも音量とも無縁。
心身ともに弱かった自分はそういう所に行きたかった。
そして、あてどもなくさ迷い歩いてきた中で拾った音・発見した音。

逃げかもしれないが、ボクはそういう音楽との付き合いをしてきた。

話しが「ジャズ」から逸れているように思われるかもしれないけれども、自分の中では微妙に交錯しています。

昨夜は、細野さんの「メディスン・コンピレーション」を聴いていました。
このアルバムには、何の抵抗もない水の流れのような音。

1993年、細野さんがたどり着いた一つの境地を感じます。
ひたすら深く沈んで行っても安心出来る場所に委ねる心地好さ。

それは、ミクスチュアともザッピングとも違う。

***

1979年にFMfanを買い出して以来、ジャケットとレコード評を見てはその音楽を想像してきた。
また、FMで「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」など、背伸びして聴いたりした。

しかし、身近に「来た」のは、1982年の「クロスオーバーイレブン」でカセットテープに録音した日の放送に挟み込まれた「バードランド」「お前のしるし」。
そして、「渋谷陽一のサウンドストリート」を通して聴いたジョニ・ミッチェル。
そこで、聴いたことの無いベースを弾いていたジャコ・パストリアス。

1984年10月30日の「坂本龍一のサウンドストリート」にゲスト出演したデヴィッド・シルヴィアンが1曲目に選曲したジョニ・ミッチェルの「Talk To Me」。
「まずは、おしゃべりの切り出しに・・・」という意味で、デヴィッドが選んだ。
この日も、そして前週の23日の「音楽図鑑」特集にもピーター・バラカンさんが出ていたが、どちらの回で話したのかは忘れたが「一体、どうしちゃったんだろう。」と教授とピーターが話していたのが、ジャコ・パストリアスが公然の場でキチガイのようになってしまった事件。
自分は、それを聴き流していたが、相当な後になってそれが何を意味していたのかが分かる。

一方、1983年以降から毎週土曜日の23:00~23:30、東京12チャンネルで「日立サウンド・ブレイク」という音楽と映像をミックスさせた番組を発見して、毎週「タモリの今夜は最高」と同時間、日を分けて見ていた。
そこで、ある人がプロデュースした回の映像に付いた音楽がウェイン・ショーターだった。
当時、ヴィデオデッキを持っていなかったので、高校の同級生に毎週録画してもらっていて、それが今も残る。

そんな散在した事象と音楽が、日々の中であった。

それぞれがどんな繋がりあいをしていたかなどというのも、当時は分かることなく、1曲それぞれを好んで聴いていた。

***

ジャコ・パストリアスが35歳という若さで亡くなったのは、当時知らないことだった。



カセットテープのインデックスカードに細いペンで書いた「お前のしるし」という曲が、英語で「A Remark You Made」ということも知らないことだった。
また、「Talk To Me」「A Remark You Made」が同じ1977年の曲だったのは、今まさに知ること。

今夜は、1982年の高校生のとある夜に録音した「クロスオーバーイレブン」ならではの「お前のしるし」を聴く。

■ウェザー・リポート「お前のしるし」■
コメント (2)
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