
今日は1日が長く感じた。
明日が休みと分かっている日曜日だから、と結論づけるのもあるが、色んな事が脳の中で起きたから、とも言える。
近時では珍しいことに10:30には起きられた。
起きるとラジオを付ける、これが自分の慣習だが、付けたラジオの「安住紳一郎の日曜天国」を別に聞くわけでも無かった。
猛暑が去ってくれて・しっとりした陽気と秋めいた温度。
それが手伝って、久々に、熱ーい濃い緑茶を淹れる。
一服した後、これも普段ない事で、珍しく昼から近所に買出し。
考えは「パスタ」にまとまりその食材を買い戻り、大盛りのカルボナーラ風パスタを作り、ビールを飲む。
その後、ユーストリームでフジテレビへのデモ行動の実況を見つつ、MZ師と電話で話す。
ラジオは「日曜サンデー」に変わっていたが、鳴る音が聞こえるか聞こえないか位の音にしたまんま。
普段より早く起きたせいか3時頃だるくなりだす。
と言いつつ、振り返れば音楽を次々に聴いていた。
杉良太郎、レイン・トゥリー・クロウ、チャイナ・クライシスのライヴ、なぜかキム・カーンズ、ウィリアム・オービット、アンビエントハウスのオムニバス、リカルド・ヴィラロボス、ヴァージニア・アストレイ・・・周囲で子供が遊んでいる音、猫のメロンの鳴き声。
自然光で耐えられるまで電気を付けないのはクセで、それは省エネでもケチでも理由はそこには無くて、昔、藤原新也さんの「幻世(まぼろよ)」に気付かされてからのもの。
24時間営業するコンビニエンスストアが次第に街を奪っていった80年代後半、藤原さんはその病魔を文章に描き続け(新聞での「丸亀日記」)それを毎週読みつつ、永遠にまたたくコンビニの不自然な電気の明るさが、その後の私含む眠らない人々を創り続けてきた。
そういう中で、自然光で出来るだけ引き伸ばす自室の時間の描写や、休みとは動物で言う降参・死を意味する仰向けで何もしないことという記述に影響を受けてきた。
明かりがほとんど無くなる18時まで引っ張り、その後明かりを付けた。
チーズを食べながらビールを飲む。
よそでは食卓を囲む家族の団欒の時間、或いは笑点にサザエさんの時間。
そういう者たちと対極に位置しつつ、好きな嶽川奈美子の写真をパソコンで集める変態。
・・・とは自分は思っていないが。。。。
男女の性がある以上、非常に健康的な本能である。
19時頃から、幸宏・大久保林&スーパーエキセントリックシアターのオールナイト、渋谷陽一の過去の録音を聴き、荒川強啓デイキャッチの週間ミヤダイのポットキャストを聴いているうちに、久々の頭痛がやってきた。
にぶい痛みでガンガンとはしない。
そういえば宮台さんも、周期的な鬱や頭痛と付き合っているらしい。一緒にするなというのはよくよく理解。しかし、一緒にする/思うほどうぬぼれでも・馬鹿でも無いですから。
単に目や脳を酷使しすぎたせいだろう。
とはいえ、仕事で1日居てもこうはならない。
不思議な不思議な日曜日。
だって、これだけ、様々なモノを見聞きしておきながら、ここまで書いても、まだ午前0時には十数分もあるのだから。/ 未完