こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年8月21日 日曜日   - 不思議な長い一日 -

2011-08-21 23:45:53 | 雑記帳


今日は1日が長く感じた。
明日が休みと分かっている日曜日だから、と結論づけるのもあるが、色んな事が脳の中で起きたから、とも言える。

近時では珍しいことに10:30には起きられた。
起きるとラジオを付ける、これが自分の慣習だが、付けたラジオの「安住紳一郎の日曜天国」を別に聞くわけでも無かった。
猛暑が去ってくれて・しっとりした陽気と秋めいた温度。
それが手伝って、久々に、熱ーい濃い緑茶を淹れる。

一服した後、これも普段ない事で、珍しく昼から近所に買出し。
考えは「パスタ」にまとまりその食材を買い戻り、大盛りのカルボナーラ風パスタを作り、ビールを飲む。

その後、ユーストリームでフジテレビへのデモ行動の実況を見つつ、MZ師と電話で話す。
ラジオは「日曜サンデー」に変わっていたが、鳴る音が聞こえるか聞こえないか位の音にしたまんま。

普段より早く起きたせいか3時頃だるくなりだす。
と言いつつ、振り返れば音楽を次々に聴いていた。
杉良太郎、レイン・トゥリー・クロウ、チャイナ・クライシスのライヴ、なぜかキム・カーンズ、ウィリアム・オービット、アンビエントハウスのオムニバス、リカルド・ヴィラロボス、ヴァージニア・アストレイ・・・周囲で子供が遊んでいる音、猫のメロンの鳴き声。

自然光で耐えられるまで電気を付けないのはクセで、それは省エネでもケチでも理由はそこには無くて、昔、藤原新也さんの「幻世(まぼろよ)」に気付かされてからのもの。
24時間営業するコンビニエンスストアが次第に街を奪っていった80年代後半、藤原さんはその病魔を文章に描き続け(新聞での「丸亀日記」)それを毎週読みつつ、永遠にまたたくコンビニの不自然な電気の明るさが、その後の私含む眠らない人々を創り続けてきた。
そういう中で、自然光で出来るだけ引き伸ばす自室の時間の描写や、休みとは動物で言う降参・死を意味する仰向けで何もしないことという記述に影響を受けてきた。

明かりがほとんど無くなる18時まで引っ張り、その後明かりを付けた。

チーズを食べながらビールを飲む。
よそでは食卓を囲む家族の団欒の時間、或いは笑点にサザエさんの時間。
そういう者たちと対極に位置しつつ、好きな嶽川奈美子の写真をパソコンで集める変態。
・・・とは自分は思っていないが。。。。
男女の性がある以上、非常に健康的な本能である。

19時頃から、幸宏・大久保林&スーパーエキセントリックシアターのオールナイト、渋谷陽一の過去の録音を聴き、荒川強啓デイキャッチの週間ミヤダイのポットキャストを聴いているうちに、久々の頭痛がやってきた。

にぶい痛みでガンガンとはしない。
そういえば宮台さんも、周期的な鬱や頭痛と付き合っているらしい。一緒にするなというのはよくよく理解。しかし、一緒にする/思うほどうぬぼれでも・馬鹿でも無いですから。
単に目や脳を酷使しすぎたせいだろう。
とはいえ、仕事で1日居てもこうはならない。

不思議な不思議な日曜日。
だって、これだけ、様々なモノを見聞きしておきながら、ここまで書いても、まだ午前0時には十数分もあるのだから。/ 未完
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2011年8月21日 日曜日 写真日和 - 7月後半 -

2011-08-21 10:56:29 | 写真日和
この雨と寒さで「夏は終わった」(くれない埠頭)と言い切りたいが、暑さが本当にこのまま消えてくれるかどうかはまだ見えない。
ただ、隅田川花火大会を終わることなく、既に盛夏から秋への移行期間に入ったのは確かだろう。
写真がたまりにたまったので、この機に、その中からほんの一部を掲載する。

■冒頭でありながらのPS(13:38):ユーストリームで朝鮮中央テレビ=フジテレビに対する一般人の「偏向放送局」へNOという意思表示のデモを今行なっています。
以下アドレスで生配信が見られます。
http://ustre.am/CgAG

まあ、何もフジテレビに限らず在日利権が創価学会同様、日本のメディアを占拠しているのは事実。
怖い事実は、東日本大震災後のNHK。よく総合テレビ(1チャンネル)で中国や朝鮮人のドラマを平然とやっていた。放射能関連ルポや大事なものは全て教育テレビ(3チャンネル)での放送。こんな会社に受信料など払う必要はない。
NHK「あなた方の受信料で『公共放送』が成り立っています」ということになっているが、じゃあ受信料払ったらその意志を反映した放送となるかと思いきや別に何の変化も無い。この国の税金同様。
受信料なるものは固定費では無くて、お金を払う価値があると思って共鳴した者だけが、その番組に対して払えば良い。

こういう放送をしてくれるならば、自分はお金を払う。
少年隊と加山雄三の懐かしいコラボレーション。


一方、民間の放送局はスポンサー料で成立している。その放送局自体に訴えて駄目なら足元をすくえば崩れる。
どの企業がどれだけの広告宣伝費をどこに投入しているかは容易に掴める。
しかし、その広告宣伝費も、某広告代理店が間で相当な中抜きをしている訳だが。
金さえ入れば何でもやる某広告代理店と繋がっているメディアですから、そういう放送局に思想などある訳が無い。

だから、杉良太郎を聴き、歌おう。


追記 : しつこい自分は、しつこく三島由紀夫のことが、脳のどこかにあって、常によぎる。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう」
(三島由紀夫)

西部邁ゼミナール 2009年11月21日より

************************************
もう写真もどうでも良い気分になってしまったが、一回書いてしまったので載せる。

7月16日

実は「マヨラー」の自分。見た目は実にきたない。
ごはんにイカの揚げ物を乗せ・たっぷりマヨネーズをかけて食べる。見た目とは反して自分には「ごちそう」。
納豆ご飯も、大根おろしのぶっかけご飯も、無性に荒々しくかきこみたい衝動に駆られる時があるもの。
本当は、自分は高脂血症を抱えているので、マヨラーではいけないのだが、この病気は一生治らない。
というのも家族性遺伝高コレステロールであることが検査で明確に分かっているから。
DNAは恐ろしい。しかし、食べてはいけないと言われるものほど食べたくなる。

7月17日

炎天下には、アスファルトに映る自分の姿もくっきりする。そういえばイーノの「オン・ランド」にも『シャドウ』という不気味な曲があったっけ。
あの『シャドウ』もヒートアイランド都市の夏の様を描いたものなのだろう。


【Brian Eno 「Shadow」1982 トランペットはジョン・ハッセル】

7月18日

実家に泊まった熱帯夜。道の途中で黒い物体発見。次第にノラネコ「クロちゃん」と解るが「まさか、死んでいるのでは」と焦った。近づくとちゃんと生きていた。塀の上の金属部分がつべたいので、そこにカラダをくっつけていたのだった。実に紛らわしい。

7月20日

茨城で仕事をした後、都内にUターンする南千住でスコールに会う。

7月21日

夜、うなぎで精を付ける。

7月22日

流通業界でさらに仕入先いじめに近い流通BMSへの移行が始まっている。
最終的には流通全体のロスが減るのは事実だが、果たして自分が生きている間にこれが基本仕組みに定着し、理想図の青写真が成立するかには疑問符がたくさん付く。
ただ、そうも言ってもいられないので、有楽町の説明会に出向く。


7月23日

そういう流通業界のスーパーの夜の舞台裏。ダンボールの山。

7月24日

昼、ちゃーはんを食べる。ちゃーはんは、いかにパラパラ感を作るかが難しい。

7月25日

夜のコチャコ。

7月26日

早く仕事を切り上げて、御徒町をうろつく。どこもかしこも「節電」「省エネ」。
下町の最大スーパー多慶屋も、そういう商品の山。

7月27日

この日も茨城で仕事。帰り道、しんどいのでドトールに寄り、アイスコーヒーを飲み一息。

7月28日

実家の庭の峠小屋には、様々なネコたちが一休みに来る。

7月29日

玄関には、1995年あたりに大阪で描いた絵が飾ってある。これはその一部分。
自分で自分が生きていくメシ代を稼ぐために社会の中で日々戦ううちに、YMO散開ラスト・アルバム「サーヴィス」に収録された坂本龍一の『パースペクティヴ』、そして幸宏の「ア・デイ・イン・ザ・ネクスト・ライフ」に入った『エブリデイ・ライフ』が身に染みてわかるようになった歳頃、そういった空気を絵にしたいと思って、久々に筆を取ったもの。

7月30日

これまた見た目はきたないが、食べればおいしい冷やしうどん。

7月31日

浅草に向かう。


吾妻橋からの1枚。墨田区役所・スカイツリー・アサヒビール本社3者のそろい踏み。


仲見世通りはいつものにぎわい。


ROXのバーゲンをウィンドウショッピング。


浅草のレストランのディスプレイ。キントト。


仲見世通りを横に走る新仲見世通りから見える夕暮れのスカイツリー。


バーゲンで帽子を買う。坊主にする決断をして以降、色んな帽子を買うのが楽しみになった。


また、パソコンをやりながら風をもらうために、高さ20cm程度の小さな可愛いUSBケーブルで動くミニ扇風機を買った。
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2011年8月20日 土曜日 夏のフェイバリッツ・48 クラスター&イーノ「未知への扉」'77

2011-08-20 13:36:46 | 音楽帳
1984年の夏・・・
夏休みが終わろうとした8月下旬、FMの特集番組を毎日午後聴いていた。

「特別番組 トーク・イン・ミュージック」(NHK-FM)という45分番組で、松山猛さんと加藤和彦さんのおだやかな2人がリラックスしたお話しをしながら間に音楽が挟まった番組だった。

何か夏の終わり感にマッチした番組だった。



8月13日(月)→17日(金)の5回だったが、自分が聴いたのは再放送の27日(月)→31日(金)の午後2時10分からの放送だった。

深い仲の2人は、加藤さんが創る音楽の詞を松山さんが創り、それはミカ・バンドもそうだった。
ただし、この1984年の時点では、松山さんは自分にはアウトドアの人という印象だった。
信州に別荘を設けて、そういう自然に接して暮らすおとなしくつつましい生活をしている人だった。

***

この番組も録音テープで今も持っているが、8月下旬の放送は、今でも記憶に甦る。
空は白くて、すでに秋の匂いが漂うような日だった。

今日(2011年8月19日)も、窓の外ではセミが鳴くものの涼しい外気が窓から入ってくる。
何か皮膚感覚的に、あの1984年8月下旬と重なる。


【空にマイクを向けたジャケット・アイデアが秀逸】

8月28日の曲目は、FMステーションの記載によると・・・

1・クラフトワーク ネオン・ライト
2・加藤和彦 ディアギレフの見えない手
3・ローリー・アンダーソン KOKOKU(ここく)
4・ブライアン・イーノ 2オーヴァー2

としか無いが、実際はここにクラスター&ブライアン・イーノの「未知への扉」が放送されていた。

この曲は、自分が日々蓄積していった「ニュー・ウェイヴ・カセット・シリーズ」のなかにもダビングで入っている。



ブライアン・イーノは、ジョン・ケージ、スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリーといった現代音楽からの影響と、自分自身で研究を深めていったカセットテープ、カセットレコーダーの可能性が一体となって、70年代瀕死の交通事故入院で見つけた「発見」という大事件も作用し、繰り返すリピート音が産み出す波紋のような音楽を作り出す。

「ディスクリート・ミュージック」やロバート・フリップとの共作、アンビエント・シリーズ、そして、クラスター等との共作。



私自身にとって、この1984年晩夏のラジオと「未知への扉」との出会いはとても大きいものだった。
延々と聴いていても、飽きたり・尽きたりすることの無いピアノの調べと繰り返されるシンセで作られたエンドレスのアトモスフィアのテンポ。

今日のこの気温と湿度・空の感覚が27年前の夏の午後を思い出させる。

クラスター&イーノ「未知への扉 (Ho Renomo)」
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2011年8月19日 金曜日 夏のフェイバリッツ・47 トーマス・ドルビー「雨の森」'84.3

2011-08-19 23:15:51 | 音楽帳
21:00小雨の中、電車へ・・・・・。
一応、片付けるべきことは片付けた。
同僚の上司も「なんとかなりますから休んで下さい」と言ってくれるが、一週間も不在だと、仕事も・自分も・がたがたになりそうで怖い。

机に一輪。
花がいけられていたりして・・・。

さてスイッチは休みモードにしようと思うが、この先を特に予定はしていない。
まあいきあたりばったり。



***

さくりんさんへ

今日はまさに恵みの雨で救われました。
スコールは大変でしたね。
ただ個人的には、このまま夏など消えてしまうのを祈ります。

ニュース放送(=公共放送)で「水分補給とエアコンを適度に活用」。

エアコンなる機械に頼らねば成立しなくなった国とニンゲン。

愛猫たちもワンちゃんも、そして、多様なニンゲンより優れた生き物たち・植物たちは、どう生きる?

ほそぼそとでいい。
ひたすら雨よ、降り続けよ。

生き物たちよ、植物たちよ。
もう少しの我慢だから、みんな生き残っていこう・・・・。

そして、みんなしっとりとした「雨の森」で出会おう。



【Thomas Dolby 「雨の森(Mulu The Rain Forest)」1984年3月】

***

「猫ママは毎晩、台所のフローリングにぺたりと体をつけて涼をとっています。」

生き物はかしこいから、どうやったら「涼」を胎内に取り入れられるかを知っている。

亡きまみちゃんも、よく窓ガラスの下の金属部分のつべたいところに身をくっつける・玄関のたたきの石のつべたさ・・・・そういったものをちゃんと分かってそこに居る。

暑い中、ガングロになるために、海辺へ命がけの日焼けに行くニンゲンとは異なる。

***

「コチャコさんの甘えぶり」には、実は恐れています。
よく鳴くのも・自分に近づくのも・何かを訴えている。
ボクはそう思っています。

今まで出会った多くの愛猫たちが、痛みや恐れや異変にぶつかった際に、必ずそういう行動に出たことが自分の記憶の中にあるから。

とにかく撫でて・さすってあげて「大丈夫だよ」と、手から想いを伝えるしかない。

そういう不安がよぎっている。

***

カラダのかゆみは取れない。

順天堂の先生にズバリ「何が原因なのか?」と聞いたが、予想通り「わからない」との答え。
過去の経験から分かっているのが、その原因を探し調べるために様々な診断をして可能性を1つ1つ消していくしか方法は無くて、そのほうが体力的にも労力が必要になる。

もともと、過去に、何度か「じんましん」が出ては・知らぬ間に消えた経験を持つ。

その気まぐれさというのは、本当に気まぐれで・・・・
ユングの心理学のように(≠全てに「論理」を持ち込もうとしたフロイドではない)見えてはいないが、存在する「何か」。



沖縄に行けば消えるかもしれないし・消えないどころか逆に強くなる可能性もある。

何が正しいことなんか、なんて西洋医学では解明不可能であることをまさに物語っている。

そういう中に漂いつつ、再び、トーマス・ドルビー「地平球」とローリー・アンダーソンの「ミスター・ハートブレイク」を聴いている夜。
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2011年8月18日 木曜日 夏のフェイバリッツ・46 ウェザー・リポート「お前のしるし」'77

2011-08-18 22:10:58 | 音楽帳


土日月曜日とユングの「ボーリンゲンの塔」ならぬゴミ屋敷に引きこもる。
猛暑と群集にまみれる事に、気が赴かないまま日が過ぎてしまった。

ビールとラジオと音楽と爆睡だけの自堕落な生活。

火曜の休み最終日は起きると14:30・・・・・。
日差しが緩む夕方になってから近所の喫茶店でアイスコーヒーを飲み、電車で三駅、浅草に出る。
ツノが生え出して邪魔臭くなっていた髪をまた坊主にリセットしてもらう。
そこからぶらぶらと写真を撮って帰る。

髪を切る人と馬が合って「ハゲも案外ツノが生え出すから面倒なんだよねえ・・・・・。」
などと話していたら、その方は高校2年生の男の子・中学3年生の二児の父という事で「家族サービスも大変ですよ」。
「旦那も大変でしょう。」と言われて、ギクッ。

「まあねえ(-_-#)」とさらっと流す。

***

火曜晩、実家に札幌みやげ渡すと共に泊まる。
16歳以上のネコ=コチャコは今まで寸分たりとも近づかなかったのに、最近急に甘えん坊になり、敵視されてきた自分にも擦り寄ってくる。
ナデナデし首の廻りを掻いてあげたりする。



問題は夜中消灯後。
寂しいせいだろうが、夜中じゅうチャリチャリ鈴の音たて、鳴いたりしてなかなか寝ない。
お陰でこちらが眠れず、朝ほとんど寝ないまま起きて、鬱で苦しいままの状態で仕事場に向かう。
水曜、休み明け初日から思いやられた・・・。

だが、とりあえず昨日は、大ゴトも起きずに初日の仕事を終え、19:31の電車に滑り込むことに成功。

***

そして、今日は、相変わらず仕事をしながら・カラダじゅうを掻きながら、くもおさんから言われた、自分とジャズとの関係を考えていました。

いわゆる世間の中心で鳴っていた/いる音楽は、80年代も今も「断定形」。
先日の「ワールドハピネス2011」でフェネス+サカモトが浮いてしまったように、即効性ある音楽にばかり傾いていく。

ある部分・ある時期、自分がロックをあえて取り込んでいたことは後日述べるとして、基本は、自分が過去ロックが嫌いと過去感じていた意味の本当の根源は、そのアタック音というのか?
ある方向性持ったベクトルと圧力への違和感でした。
自分と音が対峙する関係の中に入らないと享受しえない音の在り方への絶望感、とでも言いましょうか。

80年代前半イーノが「もうロックには興味が無い」と言う言葉で言わんとした物とも重なる。



自分がイーノへ惹かれたのも、音のベクトルや断定では無く、焦点をぼかす・逸脱していく・・・・・
そういう指向を察知し、実践したことにあります。

私はカッコ付きの『ジャズ』というより、メインストリームでしつこく強要するように鳴る音に耐え兼ねて、そうでは無い音を日々探してあてどもない旅をする中で出会ったものが、「世間」では「アンビエント」だったり「ジャズ」だったり呼んでいただけのこと、と思っています。

***

音の成り行くままに任せる。。。
そんなジャムから、何かが生まれる。
作為的なのも、起承転結なんかも要らない。
時にはメロディーである必要も無い。

汗とも力とも音量とも無縁。
心身ともに弱かった自分はそういう所に行きたかった。
そして、あてどもなくさ迷い歩いてきた中で拾った音・発見した音。

逃げかもしれないが、ボクはそういう音楽との付き合いをしてきた。

話しが「ジャズ」から逸れているように思われるかもしれないけれども、自分の中では微妙に交錯しています。

昨夜は、細野さんの「メディスン・コンピレーション」を聴いていました。
このアルバムには、何の抵抗もない水の流れのような音。

1993年、細野さんがたどり着いた一つの境地を感じます。
ひたすら深く沈んで行っても安心出来る場所に委ねる心地好さ。

それは、ミクスチュアともザッピングとも違う。

***

1979年にFMfanを買い出して以来、ジャケットとレコード評を見てはその音楽を想像してきた。
また、FMで「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」など、背伸びして聴いたりした。

しかし、身近に「来た」のは、1982年の「クロスオーバーイレブン」でカセットテープに録音した日の放送に挟み込まれた「バードランド」「お前のしるし」。
そして、「渋谷陽一のサウンドストリート」を通して聴いたジョニ・ミッチェル。
そこで、聴いたことの無いベースを弾いていたジャコ・パストリアス。

1984年10月30日の「坂本龍一のサウンドストリート」にゲスト出演したデヴィッド・シルヴィアンが1曲目に選曲したジョニ・ミッチェルの「Talk To Me」。
「まずは、おしゃべりの切り出しに・・・」という意味で、デヴィッドが選んだ。
この日も、そして前週の23日の「音楽図鑑」特集にもピーター・バラカンさんが出ていたが、どちらの回で話したのかは忘れたが「一体、どうしちゃったんだろう。」と教授とピーターが話していたのが、ジャコ・パストリアスが公然の場でキチガイのようになってしまった事件。
自分は、それを聴き流していたが、相当な後になってそれが何を意味していたのかが分かる。

一方、1983年以降から毎週土曜日の23:00~23:30、東京12チャンネルで「日立サウンド・ブレイク」という音楽と映像をミックスさせた番組を発見して、毎週「タモリの今夜は最高」と同時間、日を分けて見ていた。
そこで、ある人がプロデュースした回の映像に付いた音楽がウェイン・ショーターだった。
当時、ヴィデオデッキを持っていなかったので、高校の同級生に毎週録画してもらっていて、それが今も残る。

そんな散在した事象と音楽が、日々の中であった。

それぞれがどんな繋がりあいをしていたかなどというのも、当時は分かることなく、1曲それぞれを好んで聴いていた。

***

ジャコ・パストリアスが35歳という若さで亡くなったのは、当時知らないことだった。



カセットテープのインデックスカードに細いペンで書いた「お前のしるし」という曲が、英語で「A Remark You Made」ということも知らないことだった。
また、「Talk To Me」「A Remark You Made」が同じ1977年の曲だったのは、今まさに知ること。

今夜は、1982年の高校生のとある夜に録音した「クロスオーバーイレブン」ならではの「お前のしるし」を聴く。

■ウェザー・リポート「お前のしるし」■
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2011年8月16日 火曜日 夏のフェイバリッツ・45 ローリー・アンダーソン「KOKOKU」'84.3

2011-08-16 12:03:40 | 音楽帳
トーマス・ドルビーの「ザ・フラット・アース」と同時期に発表されたローリー・アンダーソンの「ミスター・ハートブレイク」。
一方はイギリス・他方はニューヨークだが、同じ時期に発売されたため、自分の記憶の中でダブる部分が多い。



ピーター・バラカンさんの「スタジオテクノポリス27」では、矢野顕子さんとの会話のやりとりの中で、ピーターさんがこのアルバムを発表前にテープで聴き「めちゃめちゃ良い」とえらい興奮しながら話していたのを思い出す。

私は1枚目の「ビッグ・サイエンス」が好きだったが、どうもローリー・アンダーソンの周辺には当時80年代のニュー・アカデミズムの面々のインテリゲンチャの発言がうろうろしていて、うざったくて「黙って音楽を聴かせてくれよ!」という空気が漂っていた。
ペンギン・カフェ・オーケストラが日本国内で名を知られるようになった時にも、同じような現象が起きていた。
まあ、80年代前半というのは知的であろうとした集団が、最先端の音楽にくっついて滔々と左脳の「論理」で音楽を語ろうとして、音楽を普通に聴こうとする人を邪魔していた時代だった。
そういうインテリゲンチャの様を、たけしが馬鹿にしてコントにしたりしていた。

ということで、この2枚目も聴く前から邪魔な発言に包まれていて、正直自分はピーターさんが興奮するようなほどの感想を覚えなかった。
余計な雑音・ノイズを抜きに好きになれたのは、A面3曲目の「グラヴィティ・エンジェル」・B面トップの「KOKOKU(ここく)」。

***


特にこの「KOKOKU(ここく)」という曲は不思議で、中華三味のCMのようにこんもりした山の間を縫う川と下る舟、そして霧が煙る情景が頭に浮かぶ。
そんな描写の中、外人が語るカタコトの日本語が現れる。

『コモワク ヤマノ ワタシワ サケビ
 ワタシノ コエヲ ユウシャノ ココク
 ワタシワ ソコニ ワタシワ アソブ・・・・』

LAURIE ANDERSON 「KOKOKU」


よく夏に、涼しい気分になるためにこの曲を聴いた。

***


このアルバムにもマテリアルのビル・ラズウェルが絡んでいる。
「シャーキーズ・デイ」「シャーキーズ・ナイト」そしてこの「KOKOKU(ここく)」でローリー・アンダーソンと共同プロデューサーとなり、全曲のベースを弾いている。


ローリーは確かに知的で魅力的な独自の音楽を創ったミュージシャンではあったが「シャーキーズ・ナイト」で、ウィリアム・バロウズを語りで起用しているのはインテリゲンチャを刺激させるための確信犯的行為に思えた。
(ウィリアム・バロウズと言えば、90年代、周囲の動きから無理矢理再結成させられたYMOの「テクノドン」も想起するが、「テクノドン」はYMO本人らが思うのとは異なって、めちゃめちゃカッコイイ作品だった。)



このアルバムには、ピーター・ゲイブリエル、エイドリアン・ブリュー、ナイル・ロジャーズ、デヴィッド・ヴァン・ティーゲム・・・等々名だたるミュージシャンが結集している。
逆にここまで豪勢なメンツが揃うと、聴く方がビビってしまい、引いてしまっていた、というのがリアルタイムの当時の自分だった。

かなりな年月が経ったので、やっとニュートラルな状態で、このアルバムを聴けるようになった・・・そんな感じだろうか。
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2011年8月15日 月曜日 夏のフェイバリッツ・44 ハービー・ハンコック「アース・ビート」83.8

2011-08-15 23:25:38 | 音楽帳
1982年6月に始まったFM番組「スタジオテクノポリス27」で、ピーター・バラカンさんの紹介するグランドマスターフラッシュの「ザ・メッセージ」に「おお、カッコ良いなぁ」と、その深夜3時から4時までの放送を録音したテープは、「坂本龍一のサウンドストリート」と共に、自分の音楽の幅を広げてくれた。

マテリアルや彼らが属すセルロイド・レーベルの音もここで紹介されて知った。

1983年には、ニューヨークの黒人文化が生み出したヒップホップの隆盛とストリートパフォーマンスであるブレイクダンス、そして、レコード盤そのものをこすり音を創るスクラッチ・・・それらが多くの音楽に影響をもたらすことになる。

11月に発売されたローリング・ストーンズの「アンダーカバー・オブ・ザ・ナイト」などは一例だが、こういった名のあるミュージシャン含めて影響がモロに出てくる。

そして、一方では1983年12月に坂本龍一の「Bー2UNIT」の影響を受けたトレヴァー・ホーンが「イントゥ・バトル・ウィズ・ジ・アート・オブ・ノイズ」を発表しサンプリング以降の新しい音の在り方を提示し、そこにまた多くの影響が産まれる。

***

実は、マテリアルと連動したニューヨーク・シーンの中で、今まで「穴ぼこ」が空いたように、ある象徴する事件を避けてきた。
それは、1983年8月発表のハービー・ハンコックの「フューチャー・ショック」というアルバム。
そして、その中に収まった「ロック・イット」というシングル。



当時、ジャズ・ミュージシャンとして有名だったハービー・ハンコックの新作には、誰もが驚いた。
そこには、ちゃんとプロデューサークレジットに「マテリアル&ハービー・ハンコック」とあり、スクラッチを演じるDJ・グランドマスターDSTも参加している。
ストーンズに影響した当時の流れも、このアルバムが1つのキー・ポイントとなっている。
どんどんと闇の世界でマテリアルは根を張り、多様なミュージシャンと絡みながらニューヨーク・シーンを創っていく。
必ずどこかで、マテリアル、ビル・ラズウェルが絡んでいた。



1981年11月発表のYMOの「テクノデリック」は、世界初の全面的なサンプリング導入アルバムだったが、YMOが凄いのは単なるそういう「装置」を利用しただけで、このアルバムの素晴らしさはやはり3人の音楽を創る才能と魂のこもった楽曲の良さにあった。(音魂=おとだま、みたいな感覚)



ニュー・ウェイヴ/テクノの流れは、当然「機械」の進化とは無縁ではなく、新しい機械が次々産まれることが新しい「音」を創り出し、ミュージシャンの創作意欲をかきたて「さらに新しい明日」を創り続けていたのは事実。

1981年YMOが使ったサンプラーは数秒しかサンプリング・リピート出来ない松武秀樹が創った自家製のものだったが、その後、このアルバムにも随所に使われているサンプラー「フェアライトCMI」が次第に普及し始め、このサンプラーを使った音楽がたんまりその後出てくる。

***



ハービー・ハンコックの「フューチャー・ショック」はA面3曲・B面3曲という構成。
A面いきなりスクラッチ音で始まる「ロック・イット」には驚いたが、個人的に一番好きなのが、B面1曲目の「アース・ビート」という曲。
この曲のなめらかさとゆったり感が好きで、よく深夜に聴いた。
この「アース・ビート」が一番アルバム・ジャケットのデザインと一致した音に聴こえる。
当時のコンピューター・グラフィックは、今のパソコン時代とは程遠く、ゲームセンターの画面に毛が生えた程度のビット数も少ない粗い映像だが、逆にこれがもっとリアリティあるものだったら実につまらない。
つまり、まだまだこの先進化していく過程だからこそ「フューチャー」を感じさせたのである。

Herbie Hancock 「Earth Beat」


この曲も、ピーター・バラカンさんの「スタジオテクノポリス27」でかかったが、土曜の深夜4時近くにかかる様は、情景・時間帯がマッチしていて、聴いていて異次元のような感覚をかもし出していた。

砂原良徳さんの作品「ラヴ・ビート」の1曲目にも「アース・ビート」という曲があるが、曲のおもむきは全く異なるものの、アイデアや底流で繋がるものを感じる。


PS:意識したつもりは無いが「アース」と付いた曲が連続してしまった。
大地というものに関わる音楽を自分が好むのは、UFOを信じていた時代とも繋がる自分の永遠の感覚。
細野さんの「メディスン・コンピレーション」もそのなかの1つ。
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2011年8月14日 日曜日 夏のフェイバリッツ・43 トーマス・ドルビー「ザ・フラット・アース」'84.3

2011-08-14 23:11:13 | 音楽帳
■老体の徒然夏休み日記■
休みだとひたすらだらだらしてしまう。
今日も起きて、枕元をまさぐり時計を見ると15:18。
「また、寝すぎた!」と少々後悔する。

冷やしラーメンを食べ、コーラを飲む。
ラジオをひねると、最近「鼻」に付いてきた太田くんの「日曜サンデー」が聞こえてきた。
しかし、嫌な話のネタだったので、速攻でラジオを切る。

個人的には、この「日曜サンデー」の前にやっていた伊集院光さんの番組「日曜日の秘密基地」への思い入れが強い。
「日曜日の秘密基地」があまりに楽し過ぎた。
まあ、伊集院光さんご自身がこの番組をやめる決断をしたとのことだが、そういうのもメディアでは正直ありえない。
何らかの周囲の動きがそうさせたのだろう。

爆笑問題は好きではあるし、ここまで仲の良いコンビは居ないし、それゆえ息の合った2人が演じる様は楽しく凄いと思う。
太田くんがよく見せる暴走、話から逸脱していく様は狂人じみていてたまらなく好きだ。
しかし、自分はある時を境にして「大衆」におもねり進化を止めたサザンを、2人が天才と持ち上げる様を筆頭にして、どうにも耐え難い部分があるのも確かな事。

「日曜サンデー」も、聴く部分と聴くに耐えない部分がはっきり別れている。
自分が嫌いなカラオケ文化の「カラオケ・ベストテン」・鬼畜親父が夢中で幼い頃から家族を壊して来た土日の「競馬」コーナーなどは聴かない。

伊集院光さんも爆笑問題も、誰もが認める話の天才ではある。
しかし「日曜日の秘密基地」が4時間ぶっ通しで聴くに反して、「日曜サンデー」は部分部分しか聴かない。

***

カラダを起こそうとすると、寝すぎで腰に激痛が走る。
まさに老体。

自分の書いた記事に自分が刺激されて、久々にマテリアルとビル・ラズウェルのレコードやCDを引っ張り出して聴いてしまう。


【写真は、’96年のビル・ラズウェルのCD「APC TRACKS」。手書きの字で書きなぐるように曲名が書かれて、かつジャケット無し。ビル・ラズウェルらしい。「見てくれなんかどうでもいいんだよ」と言わんがばかりの姿。】

マテリアルの記憶に強く残った「メモリー・サーヴス」やビル・ラズウェルのソロ・アルバムの「ベースライン」に入った「ワーク・ソング」など。。。。
「ワーク・ソング」を初めて聴いたのは、1984年11月27日の教授のサウンドストリートだった。
彼らのアクの強さから、当時高校生だった自分は、ニュー・ウェイヴの流れが、テクノ・エレクトロニクスから離れて、こういった玄人達人のファンク、ブラック・ミュージック寄りに近づき席巻される流れを恐れていた。

決して彼ら自身が王道で大ヒットを飛ばしていた訳ではなかったが、ブレイクダンスやスクラッチという新たな手法や初期ヒップホップとちゃんと繋がり・裏方のボスとして糸を引きながら、1つのムーヴメントを創ったのはまぎれもない事実で、ある意味恐ろしい集団だなあと当時思っていた。
実際、ローリングストーンズの「アンダーカバー・オブ・ザ・ナイト」は一例だが、そういう影響はあちこちで起こっていたのも事実。
そういう感覚が、今も甦る。

***

大学に入るまで、友人と呼べる人がとても少なかった。
永田町小学校・麹町中学と、住むのは下町三ノ輪・通うのは赤坂と、場所と文化と人の層が余りにも異なり、近所に友人が居なかったせいもあって、夏40日も休みをもらうとそれは自分地獄のような様であった。

いつも1人で居た夏休みは実に痛々しいものだった。

大学でのMZ師やハブ噛み師匠やめいふらい師などとの出会いがなかったら、永遠に孤独だったのかもしれない。
結局、今も交流し続けているのは、この美術研究会で会い・どんちゃん騒ぎを日々繰り返してきた者だけだ。
それも、全員独身であるからこそだが、結びつける何かがお互いあるのだろう。

***

話は飛ぶが、砂時計の嵐だった瀕死のマイVAIOちゃん。
この休みのおかげで色々データの整理をした。
メールを全てDドライヴに移動し・使わないソフトをバッサリ捨て、メンテナンスを様々やった結果、Cドライヴの容量が一気に増え、以前のような動きの鈍さはかなり改善した。
100パーセントうまく行く訳ではないが、かなり劇的な改善。

***

札幌出張の話で思い出した。
当然、飛行機で往復したので、2回分の放射能被爆をした。


順天堂病院でMRIを受けたが、これでも被爆。



こないだスーパーに行った際、練り物の好きな自分は、ごぼ天揚げだの揚げ物をたくさん買って、帰るとむしゃぶりつくように食べた。
その容器を捨てる段階で気づいたが遅し。
妙にその日、そのコーナーが安いのが食べたあと判る。
地域は言わないが明らかに放射能被爆中心地で作られた地域名記載。
内部被爆もしてしまった、と思っても後の祭り。
まあ、楽して食にありつけるのだから仕方が無い。
また、安いのをいい気になって買った自分が悪い。

所詮は、このような狭い島国で、本当のところ、一体どこでどんな経路で食物が流通されてくるかは誰にも分からない。
海外でよく見る、目の前で食物が売買されている市場が中心の国ではない。
ビジネス街の外でよく売っているお弁当など、多様な食品がミックスされて入っているが、1つ1つがどういう「なれそめ」でそこに届いたか?なんて不明。
愛媛みかんの段ボール箱が、静岡にみかん狩りに行った農園にあったのと同様、こういうものは幾ら敏感になっても、果たして記載がその通りか?と言えばそうでは無いだろう。

バブル崩壊以降、下落の一途を辿る国=日本。
高校生が「カネさえ払えばいいんだろう」とまさに資本主義の申し子そのまんまで、飲食店で偉そうな言行で店員に不遜な態度をしているのをよく見るが、飲食店のリーズナブルな価格体系の背後には、下請けいじめとコスト叩きと同時に、原価を安くブツを手に入れる手法がある。

安いものというのは所詮そういう背景がある。
TVで奥さんが放射能へのインタビューを受け「食べるのに心配です」と言いながら、「自分らは消費者だ」という権利だけ受け身で享受しようとしている。
流通過程の最終段階の末端のスーパーで品定めして、自分の気を納得させるのも構わないが、農薬をバンバン使った食品がたんまり輸入されている現状が分かっていながら、スーパーで買うのだからそれで何が起きてもスーパーでは無い自分に責任がある。
そういう逃げ場の無い世界・時代に生きていることは、自分も含めて認識を新たにしなければならない。

放射能だけがクローズアップされているが、あたかも楽なようなシステム化された現代に生きる中、リスクゼロなわけが無い。
もっといろんな要素が絡み合っていて、毒を日々せっせと体内に取り込んでいるのは何も放射能のみの事ではない。

みうらじゅん先生が「合成」だの「科学」だのと言った用語の付いたものは、小さい頃未来を感じさせて魅惑的であった、というのは笑い話ではなく、みうら兄貴とは違う世代だが、自分らも幼い頃ファンタグレープを飲んではクチの端っこに紫色のショッカーのような筋を付けていたし・駄菓子屋さんにいっては「ふ」菓子や合成着色・甘味料バンバンのものを旨い旨いと食ってきた。
積極的に毒を摂取していた幼い頃。
「コーラを飲むと歯が溶ける」という都市伝説めいた本当か嘘か分からない話に、PTAとか民生の偽善者たちが眼を光らせていた中、堂々とコーラを飲むのは快感であり、毒だから魅惑的なのだった。
いくら「奥さん」程度が最終過程の食品の表記を、穴が空くほど眺めたって、全体の俯瞰図からすれば実に滑稽。

***

さてさて、音楽に戻ります。。。

1982年にファースト・アルバム「ゴールデン・エイジ・オブ・ワイアレス」でデビューを果たしたトーマス・ドルビーの2枚目は、1984年3月に発表された「ザ・フラット・アース」。
日本では「地平球」という名で発売された。


【このレコードも、御茶ノ水交差点のディスク・ユニオン輸入盤コーナーで買った。】

「ザ・フラット・アース」とは、まだ地球が俯瞰的には見えない時代に、大地は平らであると主張した事からの引用。
小さい頃、そういう主張をしていた人の本に、平らで続く地球の端っこはナイアガラの滝のようになっていて、そこから落っこちる船や人がいる絵があった。



「ゴールデン・エイジ・オブ・ワイアレス」の段階で、ニューウェイヴはヒット・チャートまで侵食・席巻し、日本の所詮歌謡曲世界もこういうものをパクったものが散見された。
当時「ブリティッシュ・インヴェンション」と呼ぶレコード会社があった。
エレクトロニクスを用いた音楽がその後一気に広がる。

YMOは1983年末に「散開」する。

1983年にエレクトロニクス音楽・テクノロジーへの反動からニュー・アコースティック・ムーヴメントが産まれる。

そういった流れの中、1984年は、ナマの音を重視したり、静かな音楽へと方向が変わっていった。



トーマス・ドルビーの2枚目「ザ・フラット・アース」も、そんな流れの中発売された。
自分の中では、ローリー・アンダーソンの2枚目「ミスター・ハートブレイク」とかなり印象がオーヴァーラップする。
世間では、B面最後に入ったシングルカット「ハイパーアクティヴ」にばかり目が行っていたが、アルバム全体の印象は極めておだやかで、A面3曲、そして、B面の「ムール・ザ・レインフォレスト〜私がこわい」と、ファースト・アルバムとのとてつもない差には、1982→1984とたかが2年しか違わないのに、日々進化し・揺れ動いていた音楽シーンの跳躍の大きさが見て取れる。



アルバム全体の流れが好きな中、どの曲にしようか?迷ったが、今日はタイトル曲である「ザ・フラット・アース」を選んだ。
毎年、秋がやってくるとこのアルバムを聴くのが慣例だが、どういう訳か今年はかなり早い段階から、このアルバムを聴いている。

THOMAS DOLBY 「THE FLAT EARTH」
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2011年8月13日 土曜日 夏のフェイバリッツ・42 パーシー・フェイス・オーケストラ「夏の日の恋」

2011-08-13 15:20:44 | 音楽帳
毎年、本格的な夏の盛りとなり、数日ながらもやっと大人の夏休みとなるお盆の頃になると、パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」を聴く。
「イージー・リスニング」なる分野でも、この曲だけは別格。
アイスコーヒーの氷をカラカラとかき混ぜながら、リラックスできる時空でこの曲を聴くというのが、自分のこの時期の憧れのシチュエイション。

Percy Faith 「Theme From A Summer Place」


***

幼い頃から、三ノ輪の家では音楽が好きなお袋さんの習わしで、家の中では、洋裁の仕事場の手前に置いてあった冷蔵庫の上に置かれたラジオから、FM番組がいつも1日中かかっていた。
家に誰も居なくても、そのラジオは付けっぱなし。
それが、うちの習慣だった。

狭いその家では、仕事場の横の廊下で自分は遊んでいた。
ミニカーを走らせたり、ダンボールを切り貼りして創ったロボットを動かしたり、クレヨンやマジックで絵を描いたり。。。。
そうしながら、聴こえてくるFM放送。

時折定時に流れて来る「フライト・インフォメーション」が当日の空の便の状況を説明するのを聴きながら、飛行機とそれを包む独特の空気、洋行への旅に憧れた。


【この10日に、急遽札幌出張しないといけなくなった。飛行機に乗るのは数年ぶり。】


【乗るとすっかりコドモに戻り、写真を撮りまくった。空の旅が持つ独特な空気は、60年代終わりから70年代には、まだ飛行機に乗るのが珍しく、外国に行くのさえ稀有なことで、そういう憧れは、同様の想いを抱いていた砂原良徳少年の「テイク・オフ&ランディング」「ザ・サウンド・オヴ70’s」というアルバムにて憧れの空気をパッケージさせることに成功し・具現化する。】

また、その頃・・だから70年代の音楽もいつの間にか刷り込まれていて、それ以降自分でラジカセを持てるようになった年頃になっても、ほとんどの70年代のほとんどの有名な曲は知っていた。
特に、カーペンターズは幼少の自分も「なんて良い曲なんだろう」と聴き惚れて、廊下の壁にもたれて聴いていた。
「クローズ・トゥ・ユー」「スーパー・スター」・・・。

夜になると、仕事場で夜なべをして服を縫うお袋さんが聴く午前0時からの「ジェット・ストリーム」が流れていた。

***

血気盛んな中高生の頃、「イージー・リスニング」をかなり馬鹿にしたものだが、1曲だけこの「夏の日の恋」だけは実は好きで、しかし自分はそういう気持ちさえも殺してツッパっていた。

大人になってから、やっと自分が通り過ぎていた「時代」の持っていた空気がエロティックでロマンティックであったことがとても強く迫ってきて、パーシー・フェイスのアルバムを買うに至った。

しかし、1983年か1984年の「FMトランスミッション・バリケード」で、いつものハジメちゃんのインダストリアルなテーマ曲の後の1曲目に、この「夏の日の恋」がかかった深夜3:00には驚いた。
選曲をした彼も実は、自分や砂原良徳さんのように、「70年代」と「ジェット・ストリーム」へのオマージュとして、ニューウェイヴ及び最先端の音楽を紹介するこの番組のトップに、あえてこの曲を選んだのかもしれない。
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2011年8月12日 金曜日 夏のフェイバリッツ・41 MATERIAL「Don't Lose Control」'82

2011-08-13 00:07:05 | 音楽帳


・・・・引き続きマテリアルの曲です。
このニュー・ウェイヴィーそのものの香りのするヴォコーダーの入った「Don't Lose Control」は、1982年に「I'M THE ONE」を聴いた日からかなり離れた地点で聴いたように思う。

今だから「I'M THE ONE」と「Don't Lose Control」が12インチのA・B面の曲だったことを知るが、当時は全く異なるシチュエイションでそれぞれの曲と出会ったのが真実。

「Don't Lose Control」の方は、1984年のクロスオーヴァーイレヴンでエア・チェックした。
そのカセットテープには、この曲と共に、その夏よく聴いたハワード・ジョーンズのファーストアルバム『かくれんぼ』に入った「コンディショニング」「パールと貝殻」「ハイド&シーク」が納められていた。



ミュージシャンのネットワーク自体がマテリアルの存在。
マテリアルというアメーバーのような実体見えない闇組織が自由に変化(へんげ)する。

不思議なユニットの不思議な曲。
アジアン・オリエンタリズムのエッセンスがメロディに込められたのは、どこからの影響だろうか?

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