2007-06-12 の深夜に書いた記事を再掲。最近、歯医者に通っている(今日も行った)ので思い出した。
●歯が痛いので、眠れず、徒然(うだうだ)。今までにも書いたかもしれないけど、ここで自分のためにもまとめ。うだうだ。痛い。眠い。
●読解力は一種類じゃない。持論だが、誤読すら読解力が必要である。いい誤読と悪い誤読がある。以前(経済学部時代の一年生のとき)、マルクスがプルードンを誤読したからこそ、マルクスの思想は確立したと聞いた(ちなみにその話も書いたはず)。
魅力ある誤読(例えば自分の思想を明確化するような誤読)のためにも、入試程度の読解力はあった方がいいだろう。
●なにせ入試程度の読解力は制限がきつい。
あくまでも「次の文章を読んで後の問いに答えよ」である。
「次の文章を読む」ことには、作者のそれまでの経緯(思想の発展、人生経験の深化などなど)は評価されないし、読めないし、読めなくても怒られない。なにせ、「次の文章」しかないんだから。さらに、原則として社会的文脈も考慮の対象外である。
入試に必要とされるのは読解力の裾野、土台である。
高みを目指すのは大学に期待しよう。んー、ずるいかな。
●そういえば、古文はどうすれば読めるようになりますかという切実な質問がきた。
文法や単語は終わったの? と訊ねると大体終わったとのこと。
文法や単語は完全を目指すときりがないから、「大体」でいいんだが、どうやら文法問題を解くとき以外に文法を意識しないらしい。
みやこにて【 】に見し月なれど波より出でて波にこそ入れ
という和歌の空欄には「已然形+ど」は逆接だから波=海系と反対の語句が入るはずだよねと話すと逆接を根拠にするなんて現代文と同じですねという反応であった。
現代文と(ほぼ)同じにするために文法・単語を学ぶので、生徒諸氏はご注意を。
ちなみに、この和歌、逆接の前が過去(「見し」の「し」が過去の助動詞)と現在の対比にもなっていると解説をしてあげるべきだった…。
●読解って脳みその動作だから、線を引くやら、音読するやら、書写するやらの他の動作との組み合わせは重要。
●小論文があまりにも書けない生徒さんには模範解答の書写もアドバイスすることがある。
読点の打ち方、一文の長さ、ひとつの段落で言えることの相場などなどを実感するには書写は大事。少なくとも活字を読むときより、遅くなる分、飛ばさずに読むことになる。
現実に行う生徒さんは少ないが、やった方は確実に成長していることが多い。
●おいらにとって、究極の読解は大学院の漢文の恩師に習ったやつ。
自分の中に作者を感じるようになれと言われた。
そのために直筆を手に入れて毎朝、それを見て彼の筆遣いをイメージするようにとも。その段階を経てから全集を読むと、息遣い、つまり、どこまでを一気に書き、どこで迷い、どこを言いたかったかが、見えてくると。
いまだに実行する勇気もない。
非常に高いところに見える読み方だ。
読むって怖い。
まぁ、この記事は、比較的真面目なものになっていますね。
今後もよろしくお願いいたします。