旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

サンタンジェロ・イン・フォルミス、カセルタ・ヴェッキア、聖ジェンナーロの日のナポリ大聖堂

2011-09-19 15:26:46 | イタリア

ガイドブックに載らない、大型バスで行けない、そんな面白い場所はたくさんある。ナポリから北西方向、ちょっとした山へいたる丘にあるこの教会はまさにそんなところ。

しばらく前まで見学にはわざわざカギを開けてもらわなくてはならなかった。今日も09:30から開いているという情報で行ったのだが、来意を告げてはじめてカギを持った人が出てきてくれた。

もともとここにはディアナに捧げる神殿があったとされており、現在の建物も柱や床は元神殿の材料が生き残っている。特にこの写真の白い長方形のテラッツァ(破片)敷き詰めた床は、なんと、古代の神殿からのものなのだそうだ。そういえば、ポンペイ遺跡で見かけるものと同じである。

内部のロマネスク空間はフレスコ画に覆われてる

11世紀に描かれた主祭壇のキリストも鮮やかに

※この教会についてはまた別のところに書きます。

**11時カセルタ王宮前到着。晴れてきたのですぐに庭のバスに乗車する。

バスの乗車券⇒

まっすぐ一直線に流れ降りてくる噴水が見事。18世紀の水道の開通式の時、あまりに水路が長くて水が出るまで時間がかかって設計者のバンビテッリが不安になったという話しが残っている。これがその水道管から水が流れ出してくるところ往復バスを使っても約五十分の庭園見学。ただ奥まで行って帰ってきただけなのですがね(笑)

内部を見学して驚いたのは「豪華さ」ではない。この時代の宮殿というのはだいたいヴェルサイユを意識しているもので、予想はついていた。驚かされたのは、そこに飾られた現代アート。

まさかナポリでもこういう傾向が浸透してきているとは・・・これってどうなんでしょう?キース・ヘリングはきらいじゃないけど、この宮殿にキース・へリングを見たくて来る人は、ほぼ、いない。

 ※以前、ヴェルサイユでもジェフ・クーンズの展覧会に出会って仰天した経験がある。

これですhttp://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2515278/3314345

ヴェルサイユでは2010年に村上隆も展覧会をやっている。http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2754326/6162970

 ★また、後にスペイン王となるカルロス3世の肖像は、スペインでゴヤが描いたものとはまったくちがった顔をしていた。写真のない時代の人物の印象を決めたのが肖像画だったのですね、やはり。

**カセルタ王宮から少しいくと古代の大都市カプアがある。巨大な円形闘技場遺跡が不釣合いな小さな町となっているが、そこここに面影は残っている

カセルタの語源はカサ・イルタ=高い町。そのとおり古いカセルタの町が山の上に残されている。そのカセルタ・ヴェッキアへ車で登っていく行く途中には古代から現代までたくさんの採石場が目についた。

頂上の駐車場から旧市街へ入るこういう路地、大好きです。鐘楼が見えてきて中心の小さな広場に出る。ロマネスクの美しいファサードを持った大聖堂今は、昼休みで閉まっている。

そろそろ一時半になったので元々修道院だったというレストランへ入る。カプレーゼ、ポルチーニのフェテチーネと茄子と燻製チーズのオレッキエッティ。

15時にレストランを出ると、16時まで閉まっているはずのの教会の扉が開いている。今日の結婚式のために飾りを始めているのである。ラッキー!中に入れる。

ロマネスクの美しい身廊。アプスの上の天井が開いていて光が入ってきている。アッシジで見た古い教会と同じ構造を持っているように見えた。

コズマティ様式の床、柱の作り出す陰と光が実に美しい

****** 

17時少し前、ナポリの旧市街へ戻る。今日はナポリの守護聖人ジェンナーロの日。大聖堂に保管された聖人の血液が溶ける奇跡が起こるとされる。是非、どんな様子なのか見てみたかった。

旧市街のスパッカ・ナポリの通りは車を締め出して出店も出ている。日本のお祭りのように家族連れやカップルがそぞろ歩いている。人並みに流されて歩き、大聖堂前に着いたときに突然すごい驟雨にみまわれた。 

聖堂内も人は多かったが、午前中のミサの時よりは人も少なくなっているということだ。厳粛すぎることはなく、静かすぎるわけでもなく、和やかな雰囲気が満ちている。

「溶けましたか?」同行していたナポリ人のガイドさんが教会の人に訊ねる。「ええ、今日はミサの始まる前にもう溶け始めていましたよ」と言われて、「ああ、よかった、これが今日ちゃんと溶けないとナポリに悪いことが起こるのよ」と、ほっとした顔をした。

主祭壇にむかって長い行列ができている。聖人の血を一目間近に拝みたいという人々銀の入れ物に入った「それ」を赤い服の聖職者が人々に見せている

この中がどうなっているのか?誰もが見たい写真をスクリーンで見せてくれている。なるほど、溶解しております。

**

暗くなってまた雨が降ってきたので、ホテルの最上階にある海を見晴らすレストランで夕食とした。いかと白いんげんの太目パスタ、そしてこの塩で固めて焼いた魚、「魚喰い人種」の日本人にもおいしく食べられる品でした。

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ファルネーゼのヘラクレスに再会

2011-09-18 11:56:58 | イタリア

00:35羽田発パリ行きの便を利用し、パリ乗継で正午にはナポリの空港へ到着。旧王宮前のプレビシート広場にある老舗カフェ「ガンベリヌス」で簡単な昼食の後、考古学博物館へ。「休息するヘラクレス」は、かつてひと目で魅了された逸品。

※これについては尽きない話があるけれど、そのひとつふたつを別に載せます。

http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20110918

http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20110919

十八世紀半ば、ナポリ王だったカルロス王の母がファルネーゼ家出身だった縁で、ナポリへ収蔵されることになった「ファルネーゼ・コレクション」。当時発掘がはじまったカラカラ浴場から見つかった彫刻群のひとつである。

二時間半ほど考古学博物館を解説していただきながら周り、ホテル・エクセルシオールへチェックイン。海に面し、19世紀風のゆったりしたボール・ルームがある。※翌朝撮影

夕食は海沿いのレストランにて。このタコと白いんげんのサラダがなかなかおいしかった。

今晩は20:45からミラノとナポリのサッカー試合をやっているので、その間街は静かである。我々が食事をしているヨットハーバーの対岸のサッカー・バーから、時折夜空を突くような歓声がきこえてきていた。

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フライトキャンセル~テキサスの赤い月を見る

2011-09-12 16:46:49 | アメリカ東部

早朝の便でソルトレイクシティからダラスへ。ダラスから成田へのアメリカン航空へ乗る予定であった。

12:40発のアメリカン航空、三十分ほど遅れると表示されたが、その時間になっても搭乗は開始されない。さらに三十分遅れる表示になって説明のアナウンスがあった。「油圧系統の機材を点検しております」

14:00「グッドニュースです。交換用の機械がきましたので、取り付け完了し次第搭乗をはじめます。なお、この飛行機は乗務員の労働時間の法的制限により15:30までしか待つことができません。」と放送がはいり、15時少し前にいよいよ搭乗がはじまった。

ようやく座席に座り、ほっとしてうつらうつらしはじめた頃、機内放送がはいった。「このまま出発すると労働時間が違法になる為、この飛行機はキャンセルになりました」え~?そんなんだったら、はじめから搭乗させなきゃいいのに、と思うが航空会社としては本気で出すつもりだったのに叶わなかったのだろう。時計を見ると15:40である。

ファーストクラス、ビジネスクラスの乗客がまず降機し、後ろのほうの座席だった小松が降りたころにはアメリカン航空のカウンターは長蛇の列になっていた。ひとりひとりが自分たちの行先にあわせて振替てもらっている。ひとり十五分ではきかない。これはかなり時間がかかりそうだ。

幸いなことに我々8人の中に二名のビジネスクラスの方があり、その手続きが優先して行われるカウンターにも並んでいただいた。結局そちらのカウンターの方が早く順番が回ってきたのだが、それでも手続きが終わったのは17時近く。振替便は明日の同じ時間のアメリカン航空。

ホテルは空港近くのラマダホテルを手配してくれた←※この写真のヴァウチャーを発券。パキスタン人出身だというアメリカン航空の係員は、二十年ほど前は日本人ツアー扱う英語ガイドをしていたのだという。今でもかけらほどだが日本語の単語が口から出てくる。係員がそんなプライベートライフを話してくれるようになれば、振替えて続きもうまく行ったという事。

「それじゃ、これはホテル用、これは夕食用、これは朝食用、これは明日の飛行機の手続き用」と、たくさんのヴァウチャーを渡してくれるのだが、これがすべて飛行機の搭乗券と同じ紙に別項目を印刷しただけのもの。小さい文字に目を凝らさなければまちがえてしまいそうだ、気をつけなくては。

時間は18時をまわっていたので、発行されたそのヴァウチャーを使い、空港のレストランで夕食をとった。 ターミナル内の「COD RIVER」、なかなか良いお店でした、覚えておきます。

**

食べ終わり、ターンテーブルエリアで荷物を受け取り、ラマダホテルへ電話する。と、しばらく待たせた後、早口の女性が出てこういった「ああ、キャンセルフライトからの方ね、こちらはもう部屋はありません。もう一度アメリカン航空に話してください」

え?さっきの人はホテルを予約してくれたんじゃなかったの?!

「事前に電話してね」と言っていたのは、暗にこういう状況を示唆していたのか?

 

いずれにしても無い部屋は出せない。荷物エリアのアメリカン航空スタッフに事情を話しても「わしら、そんなん知らんけん、上の階へいってくんな」という呈でとりつくしまものない。

  

食事も終わって「あとはホテルでゆっくり」と思っていた皆さんに、再び荷物をころがしてもらてチェックイン階まで誘導。チケッティングカウンターへむかう。 

 

この時、カウンターには数人いたのだが、対応してくれた女性がとても有能だったのは今日いちばんの幸いであった。 

彼女は我々の状況を把握すると、すぐに別のホテルへ電話して空き状況を確認し、我々の名前と部屋割りまで伝えるとシャトルバスに迎えにくる指示までしてくれた。

「じゃ、ここからターミナル外のD40番へ行って、××か○○と表示された車がくるはずだから声かけて」とメモ書きを渡してくれた。

 

一歩ターミナルの外へ出ると、テキサスの暑い空気が体を包む。指示通りのD40には他にもホテル行きを待つ人々がいる。数台の車を見送った後、言われた表示の車がやってきた。「8人ね?」と浅黒い顔の運転手がにやっと笑うと前歯が欠けている。「日本人の重たい荷物が当たって折れたんだ、でもいいんだよ、チップくれるから」とおねだりの軽口をたたきながらスーツケースをつんでくれた。

 

車が建物の外へ走り出すと、テキサスの広い夕暮れの空。地平線近くに赤い月がきれいに出ていた。「昔、赤い月は悪いことの前触れだってきいていたのを思い出す」なんて声が聞こえたけれど、いやいや、こうして無事全員同じ宿にとまれるのだから吉兆なのでありましょう。

 

フロントグラス下には「チップは運転手の大事な収入源です」と書かれたプラスチックのボードが置かれている。はいはい、ご心配なく、そのぐらい面倒みますとも(笑)

 

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アイダホで温泉に入ろう

2011-09-11 10:14:18 | アメリカ西部

朝、ホテルの後ろにあるチェアリフトに乗ってみたいとも思ったが、本日のいちばんの目的・温泉へ急ぐことにした。

 

アイダホ州のラバー・ホット・スプリングス。聞いたこともなかったが、地元情報で価値ありと判断した。良い天気で、温泉日和だし。

 

ワイオミングから西へ走り、アイダホへ向かう。地図上だと山の中の近道があるようだが、大事をとって分かりやすい道をいく。州都アイダホフォールズへ近づいていくと「ポカテロ」という町への標識があった。「ここは来たことがある!」突然自分の中で記憶のとびらが開かれた。

 

二十年ほど前になるだろうか、当時某研修旅行に毎年同行し、毎年アメリカやヨーロッパのいろいろな地方都市に一週間滞在していた。 その時のひとつにこのポカテロがあったのを思い出したのだ。

中西部のどこにでもある田舎町だが、地元の人たちはいろいろ趣向をこらしてくれて、ロデオ大会へ招待してもらったっけ。 まさか、このポカテロを通りがかりにしろ再び訪れる日がくるとは、面白い偶然である。

 

ポカテロからさらに南へ向かう道、溶岩が黒く固まった中をとおりぬけてゆく。前方には火山だったとはっきり分かるシルエットなるほど、LAVA=溶岩、HOT SPRINGS。来て、見て、はじめて実感。ここは火山地帯だった。

 

ラヴァ・ホットスプリングスの街が近づくと、大きなウォータースライダーが見えてきた。なるほど、そんなのがあるんだ。しかし…どうも誰も滑っていない様子。は!今日は日曜日。モルモン教徒が多いこのあたりだと、日曜日に閉まるレジャー施設も少なくない。ああ、しまったかな?…。

 

幸い、巨大プール温泉のすぐ前に小さな源泉を利用した温泉プールをもったホテルがひらいていた。水着着用ではあるが、その雰囲気はちょっと日本の温泉宿(言いすぎ)。さっそく入湯料?10ドルを支払い、じゃぽんとつかる。ミネラル泉だそうで、湧き出しているところがたしかに少し濃く、ぬるぬるしている。

 

ホテルの建物の周囲そこかしこに大小さまざまな温泉プールがあって、それぞれにくつろげる。大き目のプールでは家族連れがビーチボールで遊んでいる。このホテルで泊まるのも悪くない、うん、次回考えてみよう。

 

**

ソルト・レイク・シティーへ行くのならば、やはりその名前の由来となった塩の湖を見てみたい。そう思って調べてみたけれど、自動車速度レースが行われる塩で固まった湖面のあたりはソルト・レイク・シティからはかなり遠い。ならば、シティの近くでグレートソルトレイクの充実した観光が出来る場所はないか?

 

ドライバーガイドのYさんにSLC在住の友人に電話して聞いてもらったところ、湖の中にあるアンテロープ島がおもしろいという。幸いそこはこれから南のSLCへいく途上にあるので行ってみる事にした。

 

グレート・ソルト・レイクは琵琶湖の約九倍、西半球最大の塩水湖。アンテロープ島はその東岸に近いところにある長さ24キロ最長幅7キロのほど長い島。全体が州立公園に指定されている。ハイウェーから降りて向かう

 

島側から見ると

1840年代の入植者がアンテロープを見かけたことからこの名前がついたそうだが、あ!あそこにアンテロープ!見つかりました?拡大すると

 

ビジターセンターもなかなかおもしろく、こんな生き物がこれは小さなエビの幼魚状態でNAUPLII呼ばれるそうだ。養殖されて水族館に餌として出荷され、塩水湖の主要な産物となっている。こんな会社もあった⇒http://www.gsla.us/

日本でも「シーモンキー」と呼ばれる種類と同じで、乾燥させた卵は耐久性があり輸出入しやすい。

養魚の餌としてうってつけという事か、なるほど勉強になりました。

 

***

 前方に山を背景にしたソルト・レイク・シティのダウンタウンがみえてくる。ひときわ高いドームは州議事堂

高層ビルの中に沈んでいるのがモルモン教のテンプル

ホテルはそのテンプル・スクエアのすぐ近く。夕食の前に少し見学へ行った世界中から教徒がやってきて、もちろん日本語でも声がかかる。

ブリーガム・ヤングに率いられたモルモン教との一団が、現在のユタに到着したのは1847年。苦労の末に実った麦をイナゴの大群が台無しにしかけたとき、湖からかもめがやってきてイナゴを撃退したという。だから、かもめはユタ州の州鳥である。宗教的な好き嫌いというのとは別の次元で、初期入植者達の艱難辛苦には敬意をはらいたいとおもう。

 

日曜日のSLCはキリスト教の教理に従い、ほとんどの店が休み。中華料理での夕食とした。

 

部屋に戻ってから、この《手造の旅》最後の夜に、ちょっとかわったビールで乾杯。グランド・ティトン国立公園を流れるスネークリバーの名前をとった醸造所がつくっている「パコ」というもの。なんでもこのラベルの犬?の名前なのだそうだ。

アルコール度数は6.8%。フルーティーなようなエールビールの濃い味のような、不思議な味わいがある。

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遥かなる山の呼び声

2011-09-10 09:14:17 | アメリカ西部

《手造の旅》の旅イエローストーンとグランド・ティトン国立公園、5日目後半の行程。

イエローストーン国立公園を南へ出て、ロックフェラーハイウェイを少し走るとすぐにグランド・ティトン国立公園にいたる。YSが標高のわりに山が見えることがないのに比べ、グランド・ティトン国立公園では標高四千メートルに至るすばらしい山々が湖の向こうに見えてくる。

 

あまりに良い天気だったので、予定になかったが湖の向こうの山を少し歩いてみる事にした。さっき山々が映っていたジャクソンレイクとは別に小さな湖がたくさんある。人気のジェニーレイクを渡るボートは、好天の九月の週末なので十五分に一本出ていた往復料金は十ドル、紙のチケット・乗船券はくれず、このように手の甲に直接スタンプを押す方法をとっている。

 

ほんの十分で対岸へ着くグランド・ティトンは見上げるように覆いかぶさる山のその後ろに頂を見せている。桟橋からすぐに上り始めるトレイルがはじまる。看板によると半マイルで「隠れ滝」、一マイルで「インスピレーション・ポイント」に至る。これ、少々な山登りであったが、インスピレーション・ポイントからの湖の眺めは実に美しい。

**

ふたたび湖をボートで渡り、国立公園最南端にあるトランスフィグレーション礼拝堂を訪れる。1924年の木造教会だが、祭壇の後ろが窓になっており、グランド・ティトン山が見えるのだ。

***

さらにここからそれほど多くない場所に、映画「シェーン」のラストシーンに使われた小屋が残されている。1953年日本公開の映画の場所が半世紀以上を経てもそのまま残っているのだから驚きだ。

 

****

いろいろまわったので遅くなってしまったが、ジャクソン・ヴィレッジにあるロープウェイの本日最終便17時に乗ることができた。標高3100メートルまでいっきにあがると、冬はスキー場になる広大な斜面が一望できる。

 

グランド・ティトンの頂は少し見えるだけだが、ここからの風景も一見の価値が確かにある。

 

少し日暮れてきた山々を背景に、同じロープウェイに乗っていたウェディングドレスとタキシードのカップルが神妙に儀式を行っていた。そう、写真撮影ではなく、この大自然を証人に、この山頂で結婚の誓いを交わしていたのであります。

 

*****

本日の宿泊はジャクソンの町はずれにあるスノーキング・リゾート。ロビーの外はすぐにゲレンデになっている。

 

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