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「暮らすように旅したい」
実現するには、市場で買い物してお料理するのがいちばん。
フィレンツェ在住旧知のガイドさんが自宅に招いてくださって実現した。
旧市街の古い建物だが、すんごくおしゃれ(^.^)
八人でぴったりのダイニングテーブル。
このテーブルに合わせて今回の旅があったのかと思うほど(^.^)
ベランダからは遠くフィエーゾレの街が見える
**
この日お昼、サンタンブロージョ市場近くで昼食
ブッラータがおいしかったぁ~
秋篠宮ご夫妻も訪れた市場で夕食用に買い物をした。こちらは観光化されてないほんとうの市場だ。
新鮮な野菜が豊富
このキノコ、ぜひ使いたい
パスタのソースにすることになった(^.^)
メインはステーキにしよう↓
↓「この肉は最初に何もかけないで味わって」とアドバイスあり
赤みぎっしりの肉を分厚くカット
***
午後、アカデミア美術館でミケランジェロの「ダビデ」を堪能。
ピッティ宮殿前の部屋にもどって休憩。
午後五時に徒歩五分ほどのガイドさん宅へ向かった
絵や小物がセンスよく配置された室内
美術展示会のキュレーターもしておられるだけある。
エプロンをしてみんなで夕食の準備にかかる
包丁仕事、楽しいなぁ(^.^)
トマト刻んで
いんげんは茹でて
キノコは炒めて
オリーブオイルたっぷり入れてパスタソースに
ズッキーニは焼いて
肉はあとから焼きましょ
まずは前菜のパスタいただきます
焼いたズッキーニと茹でたいんげんと共に
厚く切ってもらったステーキ肉
強火で手早く
あっという間に時間が経って、開け放ったベランダからの空も暮れてきた
午後八時半をまわっている
日本からのいもけんぴ登場(^.^)
明日は帰国便に乗る日だ
実現するには、市場で買い物してお料理するのがいちばん。
フィレンツェ在住旧知のガイドさんが自宅に招いてくださって実現した。
旧市街の古い建物だが、すんごくおしゃれ(^.^)
八人でぴったりのダイニングテーブル。
このテーブルに合わせて今回の旅があったのかと思うほど(^.^)
ベランダからは遠くフィエーゾレの街が見える
**
この日お昼、サンタンブロージョ市場近くで昼食
ブッラータがおいしかったぁ~
秋篠宮ご夫妻も訪れた市場で夕食用に買い物をした。こちらは観光化されてないほんとうの市場だ。
新鮮な野菜が豊富
このキノコ、ぜひ使いたい
パスタのソースにすることになった(^.^)
メインはステーキにしよう↓
↓「この肉は最初に何もかけないで味わって」とアドバイスあり
赤みぎっしりの肉を分厚くカット
***
午後、アカデミア美術館でミケランジェロの「ダビデ」を堪能。
ピッティ宮殿前の部屋にもどって休憩。
午後五時に徒歩五分ほどのガイドさん宅へ向かった
絵や小物がセンスよく配置された室内
美術展示会のキュレーターもしておられるだけある。
エプロンをしてみんなで夕食の準備にかかる
包丁仕事、楽しいなぁ(^.^)
トマト刻んで
いんげんは茹でて
キノコは炒めて
オリーブオイルたっぷり入れてパスタソースに
ズッキーニは焼いて
肉はあとから焼きましょ
まずは前菜のパスタいただきます
焼いたズッキーニと茹でたいんげんと共に
厚く切ってもらったステーキ肉
強火で手早く
あっという間に時間が経って、開け放ったベランダからの空も暮れてきた
午後八時半をまわっている
日本からのいもけんぴ登場(^.^)
明日は帰国便に乗る日だ
今回のフィレンツェ観光のメインはミケランジェロのダビデ像
この像のコピーはウフィッツィ美術館のすぐ近くをはじめ世界中にある。
しかし、このオリジナルをはじめて見た時の衝撃を今も忘れられない。
**
朝、ピッティ宮殿前から歩き出してすぐにベッキオ橋を渡る↓
↑黄色い「バザーリの回廊」がそれ以前からあった塔をよけながら橋の上に建設されているのが分かる↓
↓ピッティ宮殿からウフィッツィ宮殿までメディチ家の人々が使っていた回廊
むこうに見えるのは大聖堂のクーポラ。上にのぼっている人が見える。
橋の真ん中にあるチェッリーニの胸像
↓このペルセウスのブロンズ像の作者
ウフィッツィ美術館
に並ぶ人を横目にみて
カルツァイゥーリ通りのオルサンミケーレ教会を目指す↓
↑この建物はもともとサンミケーレ教会の(Orto=キッチンガーデン)だった場所にあるのでこの名前がつけられた。
1337年に現在の建物が小麦の取引所として建設され、1380年代に教会へと転用されていった。
なので、教会らしくないただの四角い形をしているし、内部には小麦を流しだしていた口がのこされている↓
14世紀末からのルネサンス勃興の時代につくられた空間
祭壇はどこかゴシック的
ここで見ておいてほしいとおもっていたのは、1417年にドナテッロがつくった聖ジョルジョ像。
↓このマナザシはミケランジェロのダビデのルーツになったとも言われている。
ドナテッロの没後九年してから生まれたミケランジェロはずっとこの像を見ていたにちがいない。
何もないところからあのダビデを作り出したのではないはずだ。
ミケランジェロがダビデ像を完成させたのは1504年。ドナテッロの聖ジョルジョから八十八年後。
↓こちらがミケランジェロのダビデのマナザシ
ミケランジェロのダビデを見ていただく前に、こちらをぜひ見てほしかった。
聖堂の壁に設置されているのはレプリカ。
本物のあるバルジェッロ美術館に向かう。
フィレンツェに現存する最古の教会
★バディア・フィオレンティーナ教会が開いていたので立ち寄る
※こちらに歴史メモを載せました
↓★バルジェッロ美術館は、中世の警察署であり監獄であった建物
中庭ではかつて処刑も行われていた↓
現在は主に彫刻群の展示が見ものである
↓ジャン・ボローニャの有名なメルクリウスもここに
↓シニョーリア広場のチェッリーニ作「ペルセウス」の台座も、ホンモノはここにあったのか↓
フィレンツェを象徴するこのライオン像「マルゾッコ」もオリジナルはここにある
そして二階の大広間の壁に、さっきオルサンミケーレ教会の壁龕にあったドナテッロ作の「聖ジョルジョ」のホンモノがあった↓
↓この眼差し
↓午後に訪れたアカデミア美術館のダビデ像と共通するものを感じさせる
↓アカデミア美術館ではこのダビデ像だけ見惚れてずうっと滞在できる
↓これは1532年までミケランジェロが彫っていたダビデ像またはアポロ像とされる未完成作品
↑注文者のバッチョ・ヴァローリが反逆罪で刑死した為に未完に終わったものだが、
未完にもかかわらず、造形としての魅力がすでに充分に伝わってくる。
↓こちらはドナテッロが1440年ごろに製作したダビデ像↓
ミケランジェロは当然こちらも見ていた筈だが、
こういう「なよっとした」肉体は彼の好みではなかっただろうと、
比べてみていると容易に察することができる。
ミケランジェロの「ダビデ像」、また会いにきます(^.^)
この像のコピーはウフィッツィ美術館のすぐ近くをはじめ世界中にある。
しかし、このオリジナルをはじめて見た時の衝撃を今も忘れられない。
**
朝、ピッティ宮殿前から歩き出してすぐにベッキオ橋を渡る↓
↑黄色い「バザーリの回廊」がそれ以前からあった塔をよけながら橋の上に建設されているのが分かる↓
↓ピッティ宮殿からウフィッツィ宮殿までメディチ家の人々が使っていた回廊
むこうに見えるのは大聖堂のクーポラ。上にのぼっている人が見える。
橋の真ん中にあるチェッリーニの胸像
↓このペルセウスのブロンズ像の作者
ウフィッツィ美術館
に並ぶ人を横目にみて
カルツァイゥーリ通りのオルサンミケーレ教会を目指す↓
↑この建物はもともとサンミケーレ教会の(Orto=キッチンガーデン)だった場所にあるのでこの名前がつけられた。
1337年に現在の建物が小麦の取引所として建設され、1380年代に教会へと転用されていった。
なので、教会らしくないただの四角い形をしているし、内部には小麦を流しだしていた口がのこされている↓
14世紀末からのルネサンス勃興の時代につくられた空間
祭壇はどこかゴシック的
ここで見ておいてほしいとおもっていたのは、1417年にドナテッロがつくった聖ジョルジョ像。
↓このマナザシはミケランジェロのダビデのルーツになったとも言われている。
ドナテッロの没後九年してから生まれたミケランジェロはずっとこの像を見ていたにちがいない。
何もないところからあのダビデを作り出したのではないはずだ。
ミケランジェロがダビデ像を完成させたのは1504年。ドナテッロの聖ジョルジョから八十八年後。
↓こちらがミケランジェロのダビデのマナザシ
ミケランジェロのダビデを見ていただく前に、こちらをぜひ見てほしかった。
聖堂の壁に設置されているのはレプリカ。
本物のあるバルジェッロ美術館に向かう。
フィレンツェに現存する最古の教会
★バディア・フィオレンティーナ教会が開いていたので立ち寄る
※こちらに歴史メモを載せました
↓★バルジェッロ美術館は、中世の警察署であり監獄であった建物
中庭ではかつて処刑も行われていた↓
現在は主に彫刻群の展示が見ものである
↓ジャン・ボローニャの有名なメルクリウスもここに
↓シニョーリア広場のチェッリーニ作「ペルセウス」の台座も、ホンモノはここにあったのか↓
フィレンツェを象徴するこのライオン像「マルゾッコ」もオリジナルはここにある
そして二階の大広間の壁に、さっきオルサンミケーレ教会の壁龕にあったドナテッロ作の「聖ジョルジョ」のホンモノがあった↓
↓この眼差し
↓午後に訪れたアカデミア美術館のダビデ像と共通するものを感じさせる
↓アカデミア美術館ではこのダビデ像だけ見惚れてずうっと滞在できる
↓これは1532年までミケランジェロが彫っていたダビデ像またはアポロ像とされる未完成作品
↑注文者のバッチョ・ヴァローリが反逆罪で刑死した為に未完に終わったものだが、
未完にもかかわらず、造形としての魅力がすでに充分に伝わってくる。
↓こちらはドナテッロが1440年ごろに製作したダビデ像↓
ミケランジェロは当然こちらも見ていた筈だが、
こういう「なよっとした」肉体は彼の好みではなかっただろうと、
比べてみていると容易に察することができる。
ミケランジェロの「ダビデ像」、また会いにきます(^.^)
フィレンツェ郊外の裁判所が見えた↓
↑この新しいエリア、大学なども入っていて活気がある
↓旧城門のひとつ
↓今回は川向うのピッティ宮殿目の前に宿をとった
↑ほんとに目の前がメディチ家の宮殿
↓向かいに我々の部屋への入口。通常のホテルではないのでちょっとわかりにくい。
14世紀の天文学者トスカネッリが住んでいた建物も並びにある
↓扉を入ると階段で四階まで登る…幸い奥にちいさなリフトもあった↓
↓が、このリフトがなかなかの曲者。シマシマの中にきっちり立たないと扉が閉まらない↓
小柄な日本人でも二人定員。それも身体ぴったりくっつけて乗って(^.^)
最上階=四階で降り、もう一つの扉をカギで開けて奥へ。ちょっとした広間がある↓
ここを中心にして八室ほどがある
旧市街のど真ん中だから窓からはこんな景色が楽しめる
街のどこに滞在するかはその地の印象を決める
少し休憩して夕食へ。五月は陽が長い。
↑この新しいエリア、大学なども入っていて活気がある
↓旧城門のひとつ
↓今回は川向うのピッティ宮殿目の前に宿をとった
↑ほんとに目の前がメディチ家の宮殿
↓向かいに我々の部屋への入口。通常のホテルではないのでちょっとわかりにくい。
14世紀の天文学者トスカネッリが住んでいた建物も並びにある
↓扉を入ると階段で四階まで登る…幸い奥にちいさなリフトもあった↓
↓が、このリフトがなかなかの曲者。シマシマの中にきっちり立たないと扉が閉まらない↓
小柄な日本人でも二人定員。それも身体ぴったりくっつけて乗って(^.^)
最上階=四階で降り、もう一つの扉をカギで開けて奥へ。ちょっとした広間がある↓
ここを中心にして八室ほどがある
旧市街のど真ん中だから窓からはこんな景色が楽しめる
街のどこに滞在するかはその地の印象を決める
少し休憩して夕食へ。五月は陽が長い。
フィレンツェとピサの間にある古都ルッカがあまり注目されないのを残念におもっている。
↓平安時代からのファサードの見事な色石モザイクと、重そうな羽を背負った大天使ミカエル↓
↑左右の最後の審判のラッパを吹く天使もよいですねぇ↑
これは↓古代ローマのフォロの上に建てられた聖ミカエル教会の上部にとりつけられている↓
**
ピサを出て三十分ほどで平らなルッカの街が見えてきた↓大聖堂の塔は上部が石、下部が煉瓦
バスは城壁外に止めて歩いて入るのだが、今回は城壁内部のナポレオン広場でガイドさんと待ち合わせ↓
↑この宮殿はナポレオンの妹が嫁して住んだ。
広場もその時につくられたものでフランスから持っこさせた木々を植えたのだそうな
↓こちらがさっき塔の先端だけ見えていた大聖堂
ロマネスクのロッジャに↓
↓ちみつな彫刻がほどこされている↓
↓ここは聖マルティヌスに捧げられた教会
↓自分のマントを切って与えるマルティヌスの像
中世の教会のよく描かれていたラビリントス(迷路)↓
↑右側に刻まれたラテン語
クレタ島のダイダロス王によってつくられた迷路だと書かれているのだそうな。
ギリシャ神話由来のものだとちゃんと理解していたのか。
内部↓
ロマネスクの身廊に1484年につくられた小さなチャペル↓
その柵の中に見えるのは↓
ここで人々の巡礼対象となってきたのは「最古のキリスト磔刑像」
聖書の中でユダヤの高官でキリストに心酔したニコデモが刻んだと伝承されている。
それがなぜかイタリアの海岸に流れ着き、曲折の末にルッカにあるのです。
15世紀に亡くなったイラリア・デル・カレットの墓碑は、シエナのヤコポ・デル・クエルチャの出世作↓
ルッカの施政者パオロ・グイニージが1406年に依頼した↓
↓若くして没したイラリアの姿が眠るがごとく刻まれている↓
↓足元から見上げる彼女の愛犬も
★日本で殉教したルッカ出身の司祭がステンドグラスに描かれているのをおしえてもらった↓
日本の着物姿の女性もいっしょに描かれている。
「福者(ベアート)アンジェルス」と足元に名前
後日の調べで、元和の大殉教で亡くなった人物のようだと理解した。
***
教会だけでなく街そのものが見所
中世の商店の入口がそのまま現代に継がれているよう
↓このアンフィテアトロ広場は
その名のとおりローマ時代の円形劇場の場所につくられた↓
↑昔からこんな風に残されたのだと思っていたが、19世紀にはこの広場にもごちゃごちゃ家が建っていたのを強制排除したのだそうな。
そんな力技、今ではできますまい。
****
サン・フレディアーノ教会のファサード↓
↓13世紀の色鮮やかなモザイク画
路地をさまよって、再びミカエル教会の後陣のところへ出た↓美しいロマネスク形状がそのまま
一度宿泊してもっとじっくり歩いてみたいルッカであります(^.^)
↓平安時代からのファサードの見事な色石モザイクと、重そうな羽を背負った大天使ミカエル↓
↑左右の最後の審判のラッパを吹く天使もよいですねぇ↑
これは↓古代ローマのフォロの上に建てられた聖ミカエル教会の上部にとりつけられている↓
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ピサを出て三十分ほどで平らなルッカの街が見えてきた↓大聖堂の塔は上部が石、下部が煉瓦
バスは城壁外に止めて歩いて入るのだが、今回は城壁内部のナポレオン広場でガイドさんと待ち合わせ↓
↑この宮殿はナポレオンの妹が嫁して住んだ。
広場もその時につくられたものでフランスから持っこさせた木々を植えたのだそうな
↓こちらがさっき塔の先端だけ見えていた大聖堂
ロマネスクのロッジャに↓
↓ちみつな彫刻がほどこされている↓
↓ここは聖マルティヌスに捧げられた教会
↓自分のマントを切って与えるマルティヌスの像
中世の教会のよく描かれていたラビリントス(迷路)↓
↑右側に刻まれたラテン語
クレタ島のダイダロス王によってつくられた迷路だと書かれているのだそうな。
ギリシャ神話由来のものだとちゃんと理解していたのか。
内部↓
ロマネスクの身廊に1484年につくられた小さなチャペル↓
その柵の中に見えるのは↓
ここで人々の巡礼対象となってきたのは「最古のキリスト磔刑像」
聖書の中でユダヤの高官でキリストに心酔したニコデモが刻んだと伝承されている。
それがなぜかイタリアの海岸に流れ着き、曲折の末にルッカにあるのです。
15世紀に亡くなったイラリア・デル・カレットの墓碑は、シエナのヤコポ・デル・クエルチャの出世作↓
ルッカの施政者パオロ・グイニージが1406年に依頼した↓
↓若くして没したイラリアの姿が眠るがごとく刻まれている↓
↓足元から見上げる彼女の愛犬も
★日本で殉教したルッカ出身の司祭がステンドグラスに描かれているのをおしえてもらった↓
日本の着物姿の女性もいっしょに描かれている。
「福者(ベアート)アンジェルス」と足元に名前
後日の調べで、元和の大殉教で亡くなった人物のようだと理解した。
***
教会だけでなく街そのものが見所
中世の商店の入口がそのまま現代に継がれているよう
↓このアンフィテアトロ広場は
その名のとおりローマ時代の円形劇場の場所につくられた↓
↑昔からこんな風に残されたのだと思っていたが、19世紀にはこの広場にもごちゃごちゃ家が建っていたのを強制排除したのだそうな。
そんな力技、今ではできますまい。
****
サン・フレディアーノ教会のファサード↓
↓13世紀の色鮮やかなモザイク画
路地をさまよって、再びミカエル教会の後陣のところへ出た↓美しいロマネスク形状がそのまま
一度宿泊してもっとじっくり歩いてみたいルッカであります(^.^)