旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

紅花「音羽屋」

2020-06-27 11:05:51 | 国内
《手造の旅》山形二日目
紅花の葉にこんなに刺があることなどしらなかった。
夏になって咲く花を摘むのだが、楽に摘ませてはくれない。

慣れた人で一時間に一キログラム程度なのだそうだ。
6月27日、月山の近くから米沢に移動してまず、紅花の畑に連れて行っていただいた。


米沢の紅花は江戸時代18世紀中ごろに盛んに栽培されていた。

音羽屋さんは一時壊滅していた紅花を、偶然みつかった種から復活させて、商品化するところまで手掛けておられる。
★紅花音羽屋さんのホームページ、是非ごらんください!

訪れた時にはまだ咲いていなかった花が、五日後の七月一日にぽつんと一輪咲いたと知らせてくださった

「同じ時期に同じように蒔いて育てたのに、なぜか一輪だけが半夏にぽつんと先駆けるのです」とのこと

今度は咲いている花も見てみたい(^.^)

紅花はまず「紅餅」をつくってそれを染料にしてゆく。これひとつに三千枚の花弁が必要になる。

摘んだものを弱酸性で洗って、まさに餅のように杵でつき、それを発酵させたもの。
名前の通りの紅色だが、これを使って染め上る布は黄色。あとでご紹介します。

では、「紅花」の紅はどうやって生まれ出るのだろう?
「この『うばい』が決めてなのです」
と、黒い球をみせてくださった↓

これは烏梅(うばい)=梅を炭化させたもの。昔からの漢方薬だがそれだけではない。
※こちらのページに詳しく解説してありました
紅花の色素のうちの99%は黄色で1%だけが紅色。
貴重な紅色の色素を取り出すためにこの烏梅がどうしても必要になる。
こちらでは手に入れるために山奥の作り手さんのところまで訪ねていかれたそうな。
都の高貴な人々に珍重される美しい紅。


紅ではなく黄色に染められた米沢織

品よく、使いやすい品々です(^.^)
**
ここで「紅花御膳」の昼食も用意していただいた↓

ホンモノの朱塗りの器。
紅花おひたし、菜の花のてんぷら、ふき…

もう一膳あとから登場!左のお茶漬けは特に秀逸

みなさんに歓待していただき、米沢の地がぐぐっと身近に感じられます(^.^)

ひとつ、裏話。
奥様方が饒舌に説明してくださっている後ろでやさしく微笑んでおられる痩身の男性が気になった。
料理に紅に布に化粧品と女性たちが主役のおもてなし。
だが、裏には東京に生まれ育って奥様の故郷米沢に移り住んだご主人の支えがある。
最上川に近い紅花畑を日々手入れをし、暑い夏には朝四時から収穫に精を出しす。

木の間に渡したこのハンモックは、合間に休憩するために設置されたのだそうだ。
一家で仲よくささえあってつくりだされる音羽屋の品々。
安価ではないけれどその価値はゆっくりひろがってゆくにちがいない。

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月山筍を食べて、翌早朝「つたや」から湯殿山へ参る

2020-06-27 07:46:34 | 国内
月山筍をいろいろなかたちで調理してくださった

ゆたかな香りところっと柔らかい食感が繊細。
この時期限定で、収穫がとてもたいへんな食材ときいた。
※こちらのリンクに説明がありました注:「つたや」さんと関係ある店ではありません

「あの雪渓の方までのぼってとるんですよ」
この宿ではオーナー自ら採りにいかれる。




他の山菜類も多彩で日本的味わい。
秋のキノコもぜひ味わってみたいものだ(^.^)

鮎は洋風に。でも、頭からぜんぶ食べられた。
日本酒だけでなく、山形産のワインもこだわって選んでおられる。

味噌汁にもちゃんとはいっております(^.^)

このシャルドネ、とっても軽くて山菜料理をじゃましません。
おかみさんの手作りプリンで〆るまで、たっぷり多様な山の幸を味あわせていただきました(^.^)

雨模様の日にはよけいに楽しく感じられるロビー

**
翌朝、05:50、現役の山伏でもあるオーナーさんの運転する車で道路が開く前の湯殿山に朝参り。

この先は「見るなかれ、語るなかれ」の場所。

古代から、人々がどのように湯殿山に対してきたのかを感じさせてくれる、特別な参拝になります。




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山形の旅~大日坊の大杉

2020-06-26 09:43:01 | 国内
三か月半ぶりの旅仕事!《手造の旅》山形を四年ぶりに催行(^.^)

林の中を分け入ると、突然大杉が姿をあらわした。

明治の廃仏毀釈で放棄された旧境内をずっと立ちつづけてきた。
※無言で見下ろす大杉の由来をこちらに書きました
**
午前七時過ぎに東京駅を出て十時過ぎに山形に到着
ちょっとハプニングがあって山形駅近くの博物館に「縄文の女神」だけを見にいった。

2014年に上野で開催した「国宝展」の時には黒山の人だかりで見るにも待ち時間があったのに、ここへくればゆっくり独り占めできる(^^)

この「女神」の魅力は斜め後ろから見た時にこそ感じられる。
※2015年に下見に訪れた時のブログに詳しく書きました
見事に修復されているのでぱっと見はわからないのだが、発掘時には五つに割れた破片が二メートルの範囲にに散らばって見つかった。他の破片もいっしょだったので、これらが組み合わさるとこれだけ完璧でオリジナルな土偶になると分からなかった。ピンっとひらめいた研究者の方、すごいです(^.^)
↓近くで見つかった他の断片もかなりおもしろい

同じモデルでつくられたとはっきり分かるモノもある

祭事に使われた折に、意図的に破壊されただろうと推察されている。
***
明治六年に建設された病院、済生館↓の建物が移築されている。これもゆっくり見学したいのだが、まだ果たせていない。また、きっと機会をつくります↓

****
一路、羽黒山を目指してドライブスタート。ドライバーさんお勧めのドライブインで蕎麦を↓これ、一口食べてとてもしっかりした食感にホンモノを感じたのです。
*****
羽黒山の一の鳥居

「ここから旧道をいきましょう」とドライバーさん。旧道沿いには参拝者の宿舎である宿坊がずらりとならんでいる。

芭蕉もこういうところに泊まったのかしらん。

軒下に見えるアレは何?

「あの縄、お祭りの時につかったものの一部を持ちかえって厄除けにしているのですよ」

現地では「?」いまひとつ理解できなかったが、あとから検索してしらべて由来を理解した。
ツツガムシ病が流行った時、巨大な松明を鬼(病気を媒介するツツガムシ=ダニ全般)と見立て縄で作り、ひきまわし、切り刻む祭りがはじまったそうな。切り刻まれた縄をばらばらにしておかないと生き返るのでそれぞれが持ち帰って厄除けとしておるのだと。※こちらのページに詳しい説明と祭のなが~い縄の出てくる写真があります
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国宝の五重の塔まで歩こう

かつては仁王門だったが

廃仏毀釈で神社になって随神門と変えられた。

朱に塗られた橋。その下の川でみそぎをしてから階段をのぼりはじめた場所。



かつて夫婦杉だったが今は「爺」だけになってしまった巨木

その向こうに見えてきた。
何度か再建されて、今見えるものは江戸初期。

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車に乗って羽黒山神社の境内へ向かう。
現代の車の道がかつての石段を寸断しているのを、ドライバーさんがおしえてくれる。

こういう石段にこそ「足跡」が感じられるのだ

********
羽黒山境内の

芭蕉の像があり、そのとなりの句碑に三つ刻まれていた。
「凉しさやほの三日月の羽黒山」
「 加多羅礼努湯登廼仁奴良須當毛東迦那」
「雲の峯いくつくつれて月の山」
真ん中の漢字ばかりものは、「語られぬ 湯殿にぬらす袂かな」と読む。
我々も明日朝訪れる湯殿山参りは、古来語ってはいけないこととなっている。
芭蕉もそれにならって漢字だけで一見読めない句を書いたのですね。

石段にはこういう遊びが隠れている。
*********

冬の間は月山も湯殿山も雪深くなり訪れることが出来なくなる。
その際、ここ羽黒山だけで三社を参ったことにしてくれるので三山の扁額がある。

ふと梁を見るとだれかがぎょろりと見下ろしている
「これはダレですか?」とドライバーさんに訊ねると、ぱっと走っていって分かりそうな人に訪ねてくださった。

「力士(おすもうさん)が四人いて、建物が壊れないように背負ってくれているんだそうです」
なるほど!
ヨーロッパでクリストフォロスを建物に画いて「壁が崩れませんように」と願うのと似た発想ですねぇ(^.^)
**********
午後三時をまわり、大日坊瀧水寺を訪れる。

本堂よりもこの門の方が建物として魅力的。大型バスだと前を通り過ぎるだけになりがちだけれど、是非間近に覗き込んでユーモラスな風神と雷神に出会ってほしい。

そして、本堂で住職のお話を聴いて、真如海上人にもお会いしたら、冒頭の大杉に会いに少し足をのばしてほしい。

今日の宿泊は志津温泉「つたや」さんへ。
五年前にこちらを紹介していただいたことが山形の旅企画実現への契機になりました。

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ポカラからジョムソン空港へ ジョムソン・マウンテンリゾート

2020-06-25 22:34:10 | ネパール
2006《手造の旅》ネパールより

ポカラから飛び立った小型機の窓からマチャプチャレが斜めにみえた。
ジョムソン空港があるあたりは「風の谷」と呼ばれる。午後になると必ず強風が吹き荒れるので天気の良い朝しか着陸のチャンスはない。ツアーの行程に入れるのは賭けだったが、到着することができた。

標高2710mのジョムソンは、ネパールへの観光客が必ず泊まる標高800mほどの温暖なポカラとはがらりと違う風景。

周囲の黒い山の向こうに白銀のヒマラヤが見える。
アンナプルナ山系のニルギリ峰6940mではないかしらん。

↑地図上で左上のあたりがジョムソン。ポカラは下の方。赤い線はアンナプルナを見ながらトレッキングするルート。地図外にあがっていけば、ネパール領内の独立自治国「ムスタン」があるといえばイメージできますかしらん。

今回、四度目のネパール。
登山はできなくてもよりヒマラヤに近い場所へ行きたくなって、ついにジョムソンを行程にいれた。

降り立てみるとカトマンズやポカラとはまったくちがう空気。
ずいぶんまえにインド北部のガンジス水源ガンゴトリを訪れた時を思い出した。

道はあるが一般の車は通らない。
今日宿泊するジョムソン・マウンテン・リゾートまで歩くしかない…とおもっていたら、

↑こんなお迎えがきていた!

荷物といっしょに積み込まれてホテルへ向かう

ネパール国王も泊まるというこのあたりではここしかない立派なホテル


ここがあると知ったからジョムソンを行程に入れたのです(^.^)

日中の観光でたいへんなのはまぁよいけれど、夜は安心して清潔な環境で眠れなくてはダメ。

小松の《手造の旅》の基本コンセプトです(^.^)

このホテルは十分な設備をもっていた。


ヒマラヤが見えるプールまであるのです

今日はカリ・ガンダキ川に沿ってマルファ村まで往復する予定

・・・続く

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日光~大猷院

2020-06-23 22:20:00 | 国内
県をまたいでの移動自粛が解除。時折霧雨の降る日光を訪れた。
日光というと東照宮ばかりが有名だが、今日は三代家光の墓所である「大猷院(たいゆういん)」をじっくり。

「日光」は、もともとあった二荒山(ふたらさん)を音読みして漢字をあてた地名。
八世紀からすでに修験道の場であったので古刹もたくさんあるが、家康の廟がおかれてからの繁栄が今に引き継がれている。

祖父家康を厚く祀った徳川三代将軍家光。家光自身の廟への境内。
ひとつめの門をくぐった広い参道突きあたりにみごとな水場。

四隅の柱は八角と四角を組み合わせている。

天井にはかすれているが龍。

引きこむ水の出口に聖堂の龍と不動明王?

これらは鍋島藩の献上だと解説されていた。

ここから階段をあがり仁王門。

手前に青銅の燈籠。
1651年、家光が没した翌年に設置されている。

苔むした石垣を左に見てのぼると展望所

十万石以下の大名は階段の下までの参内だったのだそうだ。
↑★上の写真で左に少し見える屋根は家光の小納戸役(生活全般の世話をやく・いわば秘書室長のような役どころ。時には月代を剃ったりもする。)だった梶定良が主君の没後、なんと四十八年を暮らした場所。
家光より八歳年下で、少年時代からもっとも身近に家光を見てきた人物。
※今回の訪問でこの「梶さま」(地元に貢献して、そう呼ばれていた)のことを知ったのが収穫だった。
別に書きます。


展望所を過ぎると、次の「夜叉門」がみえてくる。

くぐってすぐ右を振り返る

ここで番をする四体の夜叉のひとりが「烏摩勒伽(うまろきゃ)」
手に持っている矢が凶事を破る「破魔矢」~この神様の像は日本でほぼこれだけなのだそうだ。
膝当てがゾウのカタチをしていて、これが「膝小僧」の語源になっていたゾウ。
へぇ~!知りませんでしたぁ~

ここをすぎるといよいよ本殿。狩野派の獅子などが画きこまれた金ぴかの室内は撮影禁止。
今年は家光の木造が十年ぶりのご開帳をしている。

この豪華な建物は拝殿。
では、家光が埋葬された廟はどこにあるのか?
すぐそとにある竜宮城の様な小門をあがっていったところにあるのだそうだ↓

ここは立ち入り禁止。
忠臣梶定良も家光の墓所のすぐ近くに葬られているのだそうだ。




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