お墓参りをしたい時は
いつでも行けばいいなと思う
毎朝 いろんな人を 声を出して小さな声ですけどね みんなちゃんと声を出して 思い出すこともいるし 忘れちゃうこともいるし 名前も忘れちゃうこともあるし 色々あるんだけど だけど朝声を出してやってるような時間がない時は手を合わせてる 南無阿弥陀仏 という言葉がいい言葉だと思う
インドに行った時
バナレスで
川辺で
ガンジス川に流していた
それを遠いところでも近いところでもない 橋の上にいた バスだったかな
燃やして ガンジス川に流した
儒教において
中国韓国朝鮮 日本というのは
儒教のためのお墓だと思う
お釈迦様 っていうことになると
アジアの場合では
お墓がないかもしれない
結論 見たから知ってる
問題はなくなった人たちを思って 手を合わせていることが一番大事だと思うな
思いがあれば 手を合わせれば
魂
ご先祖様でもなくなった友達でも本当に私はあってるような感じがする 夢の中にも出てくるし 嬉しいね
というよりも悪いことやったら上の方が私のことを思ってるんで
そしてこの世で色々お世話になった人 ご先祖様はもちろん親父でもそうだけどもみんないつでもどこでも思うってことがすごく大事だと思うな
でも こうやって 鳥取の大きなお墓において こうやって魂と会うというのは 一番大事 場所が必要ならば必要 だし場所がない時でも思いが一番あれば大丈夫だと思う
こういう番組があるだけでほっとする
南無阿弥陀仏
これはいい言葉だと思います