NHKスペシャルにて、水木しげるの戦記漫画「総員玉砕せよ!」がドラマ化された番組を見た。「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」で有名な水木氏は今年御年85歳、昭和18年、ニューギニアのラバウルに送られ、過酷な戦地から生き延びてこられたという。ぼくはこの原作を読んではいないが、主人公の丸山二等兵(水木氏のモデル)も死んでしまったという。ドラマでは、戦地で亡くなった同僚兵士の霊に突き動かされるように水木氏が戦記漫画を描き、その物語と執筆中の様子が交互に展開されるが、そのストーリーの合間合間に、当時(昭和47年)大人気のキャラクター、鬼太郎やねずみ男が原稿用紙から飛び出してナビゲートしてくれる。キャラクターの声はアニメ第1シーズン当時の方々だ。
戦争が終わってもう62年。最近、とみに戦争や平和について考える機会が増えたように思う。一昔前は、戦争の話といえば原爆や空襲の恐ろしさを語る話がほとんどで、こんな恐ろしい戦争はもうたくさんだ、というおきまりの結論でいつも終わっていたように思う。ここ数年は、戦地で何が起こったか、軍の上層部はなにをしていたのか、アメリカで、中国で、日本はいったい何をしてきたのか?今まで語ろうとしてもできなかった話がでてくるようになり、ある程度多角的に考えることもできるようになったと思う。「総員玉砕せよ!」は、昭和48年発表だそうなので、その意味では当時としては随分先進的だったのかもしれない、と今は思う。
混迷した状況を打破するために、戦争の一つでも起きればいいと考える若者が増えてきている、という話を聞く。しかしぼくから言わせれば、当時のような戦争はもはやできないと思っている。兵隊同士が銃を持ち、自分の領地を守り、兵士一人ひとりが御国のために戦うという、今考えれば非常に幻想的、物語重視の戦争は、いまや絶対安全な場所からミサイルの1発でも打ち込まれればそれで決着がついてしまう。世界中の誰もが結末をわかっていながら、誰も止めようとしない。いや、誰かが止て無防備になった瞬間を世界中の国々が虎視眈々とねらっている状態なのだ。またたとえが漫画になるが、今考えられる「戦争」の結末は、手塚治虫「火の鳥・未来編」で描かれた、世界同時核爆発により全世界が一瞬で滅んでしまうことではなかろうか?
人々が平和に生きたい、誰とも争いをせず、皆が平和に暮らしたい。あたりまえのことが、なぜ実現できないのか。先の戦争の総括をきちんとできていない、という人もいるが、62年かかっても総括できないものを、いますぐ総括できるかと言えば、どだい無理な話のように思う。
だからぼくらは、毎年考える。長い年月かかっても。考えている間は、少なくとも悪い方向へは行かないと、信じたい。
話は変わる。あるMIDI楽曲の習作に、ふと思いついて続きを作った。そのテーマが、はじめはとくに戦争を意識したわけでもなかったのだが、今回のブログの内容と妙に一致している気がするので、音源を持っている方は、こんなの作ってみました♪(16KB)と言うことでお聴き頂けるとありがたい、かな?
今回の曲タイトルは特にきまってないが、仮タイトルとして「名前を失った兵士-A Soldier who lost his name」としたが、これが相応しいかどうかはわからない。なお、KCFメインサイトへのアップは予定してません。