今、オフィスの階段が一部使えなくなっている。2年前の大震災で破損した壁面をなおすためだ。1つ上のフロアに上がるだけでも遠回りしなければならないが、これもあの日々を思い出せば、2週間なんてあっという間だ、と思っている。
東日本大震災から、きょうでまる2年。
TVのニュース番組に寄せられた意見で、震災の風化が起こっていると感じている人が大勢いることに愕然とした。
日常の生活の中で、ふと忘れ、この時期になると思い出す、という人もいるだろうが、一方で忘れたくても忘れられない人だっている。トラウマになって苦しんでいる人もいるという。
東北に縁のない、実家の母も、大地震のときパニックになり、津波をTVで視た影響をずっと引きずっていて、そんな映像は今も見たくないと言う。
ぼくはといえば、余計な電気をなるだけ使わないようになった。また、万が一に備え、水の備蓄もしている。震災前後で変わった事しているといえばそれだけだが、それでも、震災のことは1日たりとも忘れてない。というより、忘れられるわけがない。
風化して忘れてたという人は、被災地のどこでもいいから、観光でもいいから、一度足を運んでみてはどうだろうか?百聞は一見に如かず、人からの話や、TV映像より、生で街の様子を見て歩くだけでも、考えは随分変わるだろうと思う。
ぼくの場合は、東北に友人がいる。毎年水沢で行われる鉄道イベントへの参加もする、そのついでで、気仙沼を2度、訪れている。本当に物見遊山な、観光気分で来ている。仮設の商店街にふらっと立ち寄り、ちょっとおしゃべりして、安いお菓子やお茶を買っていく、そのくらいしかできない。だから、ボランティアに身を投じて被災者一人ひとりに献身的に尽くしたり、あるいは怒りにまかせて原発のデモなどに参加するなんて、とてもできない。そんな臆病者だ。
この2年で、何が変わり、何が元に戻り、何が忘れ去られているのか?街の面影か?人の心なのか?それとも?
余談、気仙沼の「はまらん焼き」は美味しいぞ~。