人間ドックに行ってきた。年初に健康診断を受けたので、今年はもう必要ないと思っていたら、4月から翌年1月までの間に人間ドックか健康診断のいずれかを受診しないといけないらしく、火曜日の夜に勤務先の人事担当者からメールが来た。今頃言われても、ああいうものは予約がすぐに埋まってしまうものなので、来年1月までに受診など無理なのではないかと思った。それでも水曜の出勤直前に利用実績が一番多い診療所に電話を入れてみた。すると、金曜の朝9時なら一件キャンセルが出たので受診できるというのである。それは願ったり叶ったりで、すぐに予約をして、通常なら郵送される問診票や検便などのセットを、出勤前にその診療所に取りに行ってきた。晴れて木曜に検便を済ませ、今日の受診となった。たかが人間ドックの予約を入れるだけのことなのだが、こうトントンと話が進むと気分が良い。
何度も職場を変わっているので、いろいろなところで健康診断や人間ドックを受けたが、その内容に顕著な違いがあるとは思えない。ちなみにこれまでに経験した病院や診療所は以下の通りである。
東京厚生年金病院
JR東京総合病院
聖路加国際病院
霞が関ビル診療所
海上ビル診療所
社会保険新宿診療所
久しぶりに朝の通勤時間帯に電車に乗って診療所へ行き、あとは流れ作業のように次から次へと検査や計測を受けていく。その場ですぐに結果がわかるものもあれば、後にならないとわからないものもあるが、おそらく最も直接的に検診結果がわかるのは内視鏡による検査ではないだろうか。内視鏡というのは消化器や腸の中を覗く器具なのだから、これほど結果がはっきりしているものはない。
以前にレントゲンで胃の再検査になり、内視鏡検査でポリープが発見されたので、その場で内視鏡に付属している器具で切除したことがある。以来、レントゲンと内視鏡検査の選択ができる場合は内視鏡検査を選んでいる。
今回の内視鏡検査では食道に軽度の炎症と、胃にふたつのタコイボを発見した。どちらもすぐにどうこうということはなく、経過観察ということになった。担当医師によれば、おそらく胃酸がやや多いのだろうとのことで、食事の内容と量に注意をしたほうがよいとの指導を受けた。この食道から十二指腸に至る検査の過程で、声帯にポリープがあることもわかった。声帯のほうは、検査担当医師の管轄外ということで、耳鼻咽喉科の受診を勧められた。
特に何かを指摘されたわけではないが、腹部超音波検査ではおそらく何か問題が発見されているだろう。何年も前から、この検査では腎臓の石灰化が指摘されているので、それに関連したことが検査結果に書かれることになるのだろう。
若い頃は健康診断で何事かの問題点を指摘されることは無かったのだが、40代になると何も指摘されなかったということが無い。これからは悪いところが増えることはあっても減ることはないのだろう。そうして、身体は刻一刻と確実に死へ向かってその機能を低下させていく。以前、何かで聞きかじったところによれば、身体への負担が最も低い死に方というのは、「枯れるように」死ぬことなのだという。幸い、肥満とかメタボというようなものとは縁の無い身体なので、この調子で「枯れ」を目指して身体を整えていきたいと考えている。
ところで、今日、診療所で以前の職場のオフィス・マネージャーと出くわした。勿論、その人も人間ドックの受診で、検査を待つ間、途切れ途切れになりながらも近況を伝えあった。たまたま診療所に予約の電話を入れたらキャンセルが出て空きがあったり、検査の現場で知人に遭遇したり、というようなことも縁なのだろう。偶然そうなったというだけで終わるのだろうが、これがきっかけで何か新しい展開が生まれても面白い。「犬も歩けば棒にあたる」という意味不明の諺があるが、気分としてはそういう感じである。とにかく、ひとりの世界に篭っていては何も起こらない。何も起こらないなら生きていても意味が無い。そもそも生きることに意味があるのかという問いは別にして、自分というものの存在は他者とのかかわりのなかでのみ規定されるということを忘れてはいけないと思う。
何度も職場を変わっているので、いろいろなところで健康診断や人間ドックを受けたが、その内容に顕著な違いがあるとは思えない。ちなみにこれまでに経験した病院や診療所は以下の通りである。
東京厚生年金病院
JR東京総合病院
聖路加国際病院
霞が関ビル診療所
海上ビル診療所
社会保険新宿診療所
久しぶりに朝の通勤時間帯に電車に乗って診療所へ行き、あとは流れ作業のように次から次へと検査や計測を受けていく。その場ですぐに結果がわかるものもあれば、後にならないとわからないものもあるが、おそらく最も直接的に検診結果がわかるのは内視鏡による検査ではないだろうか。内視鏡というのは消化器や腸の中を覗く器具なのだから、これほど結果がはっきりしているものはない。
以前にレントゲンで胃の再検査になり、内視鏡検査でポリープが発見されたので、その場で内視鏡に付属している器具で切除したことがある。以来、レントゲンと内視鏡検査の選択ができる場合は内視鏡検査を選んでいる。
今回の内視鏡検査では食道に軽度の炎症と、胃にふたつのタコイボを発見した。どちらもすぐにどうこうということはなく、経過観察ということになった。担当医師によれば、おそらく胃酸がやや多いのだろうとのことで、食事の内容と量に注意をしたほうがよいとの指導を受けた。この食道から十二指腸に至る検査の過程で、声帯にポリープがあることもわかった。声帯のほうは、検査担当医師の管轄外ということで、耳鼻咽喉科の受診を勧められた。
特に何かを指摘されたわけではないが、腹部超音波検査ではおそらく何か問題が発見されているだろう。何年も前から、この検査では腎臓の石灰化が指摘されているので、それに関連したことが検査結果に書かれることになるのだろう。
若い頃は健康診断で何事かの問題点を指摘されることは無かったのだが、40代になると何も指摘されなかったということが無い。これからは悪いところが増えることはあっても減ることはないのだろう。そうして、身体は刻一刻と確実に死へ向かってその機能を低下させていく。以前、何かで聞きかじったところによれば、身体への負担が最も低い死に方というのは、「枯れるように」死ぬことなのだという。幸い、肥満とかメタボというようなものとは縁の無い身体なので、この調子で「枯れ」を目指して身体を整えていきたいと考えている。
ところで、今日、診療所で以前の職場のオフィス・マネージャーと出くわした。勿論、その人も人間ドックの受診で、検査を待つ間、途切れ途切れになりながらも近況を伝えあった。たまたま診療所に予約の電話を入れたらキャンセルが出て空きがあったり、検査の現場で知人に遭遇したり、というようなことも縁なのだろう。偶然そうなったというだけで終わるのだろうが、これがきっかけで何か新しい展開が生まれても面白い。「犬も歩けば棒にあたる」という意味不明の諺があるが、気分としてはそういう感じである。とにかく、ひとりの世界に篭っていては何も起こらない。何も起こらないなら生きていても意味が無い。そもそも生きることに意味があるのかという問いは別にして、自分というものの存在は他者とのかかわりのなかでのみ規定されるということを忘れてはいけないと思う。