新聞を保管するバッグではない。新聞で作るバッグだ。既にこのブログに何度も登場している梅原真の著作で紹介されている「伊藤さん」考案のものである。この新聞バッグにはいくつか種類があるのだが、今日、私は「Type A」を作ることに挑戦した。
今はエコだのなんだのと喧しく、買い物をしたときの包装も「簡易包装」などと称されるものが使われていたりするのだが、私が子供の頃は通常の包装が今で言うところの「簡易包装」よりも更に簡易であったような記憶がある。新聞紙で包んだだけ、というようなことが当たり前であったように思うのである。八百屋も魚屋も然り、瀬戸物も普段使いの数茶碗などは箱になど入ってはいない。流通が大資本に集約されるようになって個人商店が姿を消すのと軌を一にするように、包装もけばけばしくなってきたような印象がある。
古くなった新聞紙はまとめて古紙回収に出されるのが現在の一般的なリサイクル経路なのだろうが、読み終わったものを包装紙として利用して、その後に古紙回収に出せば、なお一層のこと資源の有効活用になる。新聞紙というのはよく出来た紙で、丈夫で適度な吸湿性があり、古い記事でも暇つぶしの種になる。最近は出かけなくなったが、トレッキングに行くときは、必ず新聞紙をリュックのなかに入れておいたものである。いざというときには防寒具の足しになるからだ。
その優れた素材である新聞紙を材料にしてバッグを作るのである。用意するのは新聞紙と糊。やはり何度もこのブログに書いているように、私は新聞というものを購読していない。その私の職場の隣の人の席には古新聞が積みあがっている。そこで試しに尋ねてみた。
「ね。その新聞紙。もらってあげよっか。」
そうやって半月分ほどの日経新聞を調達した。
ひとつのバッグを作るのに、2枚の新聞紙が必要だ。これらを折り曲げたり糊付けしたりしてバッグになる。切るという作業は無い。いざ、作り始めてみると、いくつかの難関工程がある。まず、マチをきれいに折ること。最後に縁を折り込んできれいにするところ。自分が不器用だとは思わないのだが、それでも、この2箇所の工程は難渋した。あと、糊付けの場所とタイミングも工夫が要る。
先日、後楽園の近くにあるホームセンターで調達した糊と刷毛を使って、いろいろ悩みながら4時間近くもかけて新聞バッグ作りに取り組んだ。2つほど失敗したが、12個のバッグを作った。このうち3個は縁の加工まで終わった完成形だ。残りは縁のところの作り方を工夫してみようと思っている。正月休みの間に、もう少し作ってみるつもりだ。
今はエコだのなんだのと喧しく、買い物をしたときの包装も「簡易包装」などと称されるものが使われていたりするのだが、私が子供の頃は通常の包装が今で言うところの「簡易包装」よりも更に簡易であったような記憶がある。新聞紙で包んだだけ、というようなことが当たり前であったように思うのである。八百屋も魚屋も然り、瀬戸物も普段使いの数茶碗などは箱になど入ってはいない。流通が大資本に集約されるようになって個人商店が姿を消すのと軌を一にするように、包装もけばけばしくなってきたような印象がある。
古くなった新聞紙はまとめて古紙回収に出されるのが現在の一般的なリサイクル経路なのだろうが、読み終わったものを包装紙として利用して、その後に古紙回収に出せば、なお一層のこと資源の有効活用になる。新聞紙というのはよく出来た紙で、丈夫で適度な吸湿性があり、古い記事でも暇つぶしの種になる。最近は出かけなくなったが、トレッキングに行くときは、必ず新聞紙をリュックのなかに入れておいたものである。いざというときには防寒具の足しになるからだ。
その優れた素材である新聞紙を材料にしてバッグを作るのである。用意するのは新聞紙と糊。やはり何度もこのブログに書いているように、私は新聞というものを購読していない。その私の職場の隣の人の席には古新聞が積みあがっている。そこで試しに尋ねてみた。
「ね。その新聞紙。もらってあげよっか。」
そうやって半月分ほどの日経新聞を調達した。
ひとつのバッグを作るのに、2枚の新聞紙が必要だ。これらを折り曲げたり糊付けしたりしてバッグになる。切るという作業は無い。いざ、作り始めてみると、いくつかの難関工程がある。まず、マチをきれいに折ること。最後に縁を折り込んできれいにするところ。自分が不器用だとは思わないのだが、それでも、この2箇所の工程は難渋した。あと、糊付けの場所とタイミングも工夫が要る。
先日、後楽園の近くにあるホームセンターで調達した糊と刷毛を使って、いろいろ悩みながら4時間近くもかけて新聞バッグ作りに取り組んだ。2つほど失敗したが、12個のバッグを作った。このうち3個は縁の加工まで終わった完成形だ。残りは縁のところの作り方を工夫してみようと思っている。正月休みの間に、もう少し作ってみるつもりだ。