年賀状を書かないといけないと思いつつ、その前に個展の案内状も少しは消化しないといけないので、10月に送られてきた大学の名簿を見ながら、宛名を書いた。学生当時も今も人付き合いの良いほうではないので、知っている名前というのはそれほど多くはないのだが、相手が覚えていようがいまいが、とにかく知っている名前を拾い上げて、案内状の宛名に記していた。クラス順に並んでいる名簿のあるところへ来て、ふと手が止まった。
そのひとは、まだ教養課程の頃に少人数で受講する授業で一緒になった人だ。特別親しいというわけではなかったのだが、なんとなく話をするようになって、帰り道が同じ方向でもあったので、たまに一緒に帰ったりした程度だ。それでも、なにかのやりとりで、彼女がケーキを焼いて持ってきてくれたことがあった。女の子にケーキを焼いてもらうなど、それまで経験したことがなかったので、嬉しいには違いないのだが、それ以上に思い切り照れてしまった。ただそれだけのことで、そこから付き合うようになった、というようなこともなく、それでも同じ学部なので専門課程に進んだ後もたまに学内で会えば挨拶を交わす程度の間柄でしかなかった。
その彼女の名前のところに、「物故」とあった。今日、こうして名簿を開くまで思い出すこともない人だったのに、何故か衝撃を受けた。漸く回復し始めた体調が途端に崩れてしまい、結局、夕方に実家へ出かけるまで、ずっと家のなかで過ごした。
悲しいというより焦りを感じた。自分の死ということは、けっこうよく考えるのだが、自分の友人知人の死というのは、あまり現実味を持って考えたことがなかった。身の回りでは同僚の妻が病気で亡くなるとか、友人の弟が水難事故で無くなるという事例はあるのだが、自分が直接知っている相手が亡くなるのは初めてのことかもしれない。月並みだが、自分にとって大切だと思う相手との付き合いは、きちんとしておかないといけないとの思いを新たにした。
そのひとは、まだ教養課程の頃に少人数で受講する授業で一緒になった人だ。特別親しいというわけではなかったのだが、なんとなく話をするようになって、帰り道が同じ方向でもあったので、たまに一緒に帰ったりした程度だ。それでも、なにかのやりとりで、彼女がケーキを焼いて持ってきてくれたことがあった。女の子にケーキを焼いてもらうなど、それまで経験したことがなかったので、嬉しいには違いないのだが、それ以上に思い切り照れてしまった。ただそれだけのことで、そこから付き合うようになった、というようなこともなく、それでも同じ学部なので専門課程に進んだ後もたまに学内で会えば挨拶を交わす程度の間柄でしかなかった。
その彼女の名前のところに、「物故」とあった。今日、こうして名簿を開くまで思い出すこともない人だったのに、何故か衝撃を受けた。漸く回復し始めた体調が途端に崩れてしまい、結局、夕方に実家へ出かけるまで、ずっと家のなかで過ごした。
悲しいというより焦りを感じた。自分の死ということは、けっこうよく考えるのだが、自分の友人知人の死というのは、あまり現実味を持って考えたことがなかった。身の回りでは同僚の妻が病気で亡くなるとか、友人の弟が水難事故で無くなるという事例はあるのだが、自分が直接知っている相手が亡くなるのは初めてのことかもしれない。月並みだが、自分にとって大切だと思う相手との付き合いは、きちんとしておかないといけないとの思いを新たにした。