横須賀美術館で開催中の「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」を観に出かけてきた。子供と9時半に巣鴨駅で待ち合わせ、都営三田線、都営浅草線、京浜急行を乗り継いで馬堀海岸で下車。そこから1時間ほど歩いて横須賀美術館へ。
馬堀海岸駅から線路沿いを浦賀方面へ行く。横浜横須賀道路の下をくぐって最初の角を左へ折れ、そこから海沿いに出るまで直進する。あまり高い建物の無い地域ということもあり、青空が広がっているという所為もあり、空が広く感じられる。再び蛇行している横浜横須賀道路の下をくぐると、フェニックス並木の道路に出る。ここは高潮対策として整備された護岸で、道路に面した壁に絵が描かれている。この絵の部分を「うみかぜ画廊」というのだそうだ。「うみかぜ画廊」の向こう側は海だ。海上交通の要衝である浦賀水道は大小様々な船舶がひっきりなしに往来する。天気が良いので遠くに富士山も見える。
東北出身の同僚が語っていたのだが、彼が東京に初めて出てきたときに一番感動したのは富士山が見えたことだったそうだ。私は子供の頃から見慣れているので、きれいな姿だとは思うが「感動」するほどのことでもないと感じていた。彼に言わせれば、富士山の見える景色こそ日本の原風景、なのだそうだ。身の回りの風景を見て、自分が日本人であることを感じる瞬間というのは、晴れ渡った冬の日に富士山とそれに連なる山々の後ろへ陽が沈む頃の空の色、その下に広がる山々のシルエット、それらを包む大気、そうした諸々の組み合わせを前にしたときの胸膨らむような気分を感じる時かなとも思う。
浦賀の海の水は思いのほか透明度が高い。近くには走水海水浴場もあるくらいだから、そういう水質なのだろう。おそらくこのあたりも高度経済成長の時代には、海水浴ができるような水質ではなかったと思う。環境対策の努力もあっただろうが、それ以上に東京湾周辺の工業地域が縮小した効果のほうが大きいのではないだろうか。
海水浴場周辺は宿泊施設や海産物店などが散在して、なんとなくそれらしい雰囲気だが、さすがに都内から日帰り圏ともなると泊りがけで遊びに来るような人は少ないのではないだろうか。それでも、そうした店舗の過半は営業しており、海辺の道路の交通もそこそこ活発だ。その道路を観音崎方面へ歩く。海水浴場入口を通り過ぎると上り坂になり、その坂の上で振り返ると、横須賀の海の向こうに富士山が見える、というなかなかの絶景だ。
坂を越えたところに走水漁港がある。ここから釣り船で出かける人も少なくないようで、駐車場は満車に近い。漁港の隣は防衛大の訓練施設でカッターボートが吊り下げ器具に装着されて並んでいる。この施設の隣が京急ホテルだが、その海側にボードウォークが整備されている。ちょうど満潮時のようで、歩道ぎりぎりまで波が押し寄せていた。京急ホテルの向かいが、今回の目的地、横須賀美術館である。
今回は立ち寄らなかったが、馬堀海岸駅から美術館に至る途中には、走水神社をはじめとする神社仏閣があり、それぞれに云われのある碑や塚などがあるらしい。なんと言っても走水は神話に登場する場所なのである。何も無いところに神話は生まれないだろうから、そうした神話の世界を訪ねる目的でこのあたりを歩くのも面白いかもしれない。ちなみに、走水という場所は、日本武尊が東征の際に、海が荒れて船が沈みそうになったところで、妻の弟橘媛命が海神の怒りを慰撫するために身を投げ、航海の安全を図ったところなのだそうだ。こうした云われがあるから、ここに防衛大や軍事基地がある、のかどうかは知らない。
横須賀美術館に着いたのは12時半。腹ごしらえをする時間だ。美術館にはアクアマーレというイタリアン・レストランがある。東京の広尾にあるアクアパッツアのシェフ日高良実氏がプロデユースしているが、地元で調達できる食材を取り入れたメニューとなっている。なかなか人気のある店なので、既に満席で順番待ちの人の列もある。ただ、天気が良いとは言え、この時期なのでテラス席は空いている。小一時間ほど歩いた直後で、多少は身体が暖まっていた所為もあり、今更食事場所を求めて彷徨うのも野暮だと思った所為もあり、テラス席でジャケットを着たまま食事をすることにした。「おすすめ」というコースを注文するが、子供はメインに肉料理を選択し、私は魚料理を選ぶ。味のほうは値段以上のものだと思う。尤も、野菜嫌いの子供のほうは、付け合せの温野菜と格闘しているようだった。
今日はここまでの道すがらの会話のなかで、進路のことが話題になった。子供はそろそろ将来のことを自分で決めなければならない時期になり、それなりに悩んではいる様子だ。経験したことのない何事かを決断するというのは勇気の要ることではある。私がもし、改めて子供と同じ立場で進路を決めるとしたら、という仮定の話なら何とでも選択肢を設定することはできる。しかし、それは私のことであって子供本人のことではない。自分の人生を生きるのは自分だけなので、参考意見として私の話をすることはできても、それがどの程度の参考になるのかは聴く側の判断だ。
おそらく、子供が自分の進路を考える上で、参考にできることがあるとすれば、それは身近な人の生活の様子そのものではないだろうか。なかでも一番身近な他人である親の姿というのは否応なく眼に入るものだろう。これまで、このブログのなかで何度となく書いているが、人は関係性のなかでのみ存在する。自分というものを形作る関係のなかで、親子という関係はやはり無視できない強いものだろう。親がその場しのぎの取り繕った安直な生き方をしていれば、心ある子供はそういう親を軽蔑すると思う。結果として親子関係は軋む。自分が真摯に何事かを考え、その自分の考えに忠実に生きていれば、現象面での結果がどうあれ、子は少なくとも真摯さを評価するのではないだろうか。自分で考えることなしに、習慣や世間にべったりと依存していると、子はその醜悪さを嫌悪するだろう。また、その嫌悪の情が子供自身の関係形成にも悪影響を及ぼすことになるのではなかろうか。
親が子供のためにできることは、きちんと生きること以外に何もないとさえ思う。物質的な面での扶養であるとか、遺産であるとか、形のあるものというのは、その大小はともかくとして、誰でも提供できるものだ。しかし、生きる姿は各自各様であり、その人だけのものだ。それは不定形で、言語化することも困難で、明確な形態を伴って表現することはできないけれど、それこそが親から子へ継承できる唯一無二のことだと思う。
あれこれ考え、一生懸命生きて、それでも伝わらないのなら、もうどうしようもない。しかし、単に習慣や世間に流されて思考を怠っているのなら、そもそも伝えるものが創られていない。「伝わらない」という現象面での結果は同じことかもしれないが、あるものが伝わらないのと、伝えるべきものがないのとでは、後々の可能性のあり方が全く違う。何事かがあるのなら、いつかそれに気付く可能性は残されている。生きるのは自分だが、生きることに意味があるとすれば、それは人から人へ、あるいは世代から世代へ、何事かをつないでいくことだと思っている。
ところで、「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」だが、展示にもう少し工夫があってもよいのではないかと思う。音声ガイドはやはり欲しい。A&Dオーディオガイドとかカセット・ミュージアムといった業者があるが、そうしたところに発注する経費がなければ、手間隙がかかることは十分想像できるが、自作して頂けるとありがたい。今年5月の連休に宇都宮にある栃木県立美術館で観た濱田庄司展では美術館自作の音声ガイドが無料で提供されていた。業者が制作する専用端末を使ったものと違って、iPod nanoを利用したものなので使い勝手の悪さは否めなかったが、それでも制作スタッフの熱意は伝わってくるし、なによりも展示品に対する理解が高まる。
企画展のタイトルが「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」なのに、両者の関連がいまひとつわかりにくいのもいかがなものか。限られた作品を駆使して何らかのテーマを表現するのだから、作品を展示するだけでは不十分だろう。せめてウィリアム・モリスが何者であるか、モリス商会がどのような活動をしていたのか、ということはきちんと、しかもわかりやすく説明するべきではないだろうか。ついでに、ラファエル前派の画家たちとウィリアム・モリスの人物相関図のようなものがあると、鑑賞者の関心をより強く引くのではないだろうか。
美術館というのは作品の収蔵と継承も重要なのだが、人類共通の財産である美術品を鑑賞者が身近に捉えることができるような媒介役を果たすことも負けず劣らず重要なミッションだろう。理想を言えば、展示されている作品が鑑賞者個人の生活と実はつながっている、ということを想起させるような仕掛けがあって欲しいと思う。
馬堀海岸駅から線路沿いを浦賀方面へ行く。横浜横須賀道路の下をくぐって最初の角を左へ折れ、そこから海沿いに出るまで直進する。あまり高い建物の無い地域ということもあり、青空が広がっているという所為もあり、空が広く感じられる。再び蛇行している横浜横須賀道路の下をくぐると、フェニックス並木の道路に出る。ここは高潮対策として整備された護岸で、道路に面した壁に絵が描かれている。この絵の部分を「うみかぜ画廊」というのだそうだ。「うみかぜ画廊」の向こう側は海だ。海上交通の要衝である浦賀水道は大小様々な船舶がひっきりなしに往来する。天気が良いので遠くに富士山も見える。
東北出身の同僚が語っていたのだが、彼が東京に初めて出てきたときに一番感動したのは富士山が見えたことだったそうだ。私は子供の頃から見慣れているので、きれいな姿だとは思うが「感動」するほどのことでもないと感じていた。彼に言わせれば、富士山の見える景色こそ日本の原風景、なのだそうだ。身の回りの風景を見て、自分が日本人であることを感じる瞬間というのは、晴れ渡った冬の日に富士山とそれに連なる山々の後ろへ陽が沈む頃の空の色、その下に広がる山々のシルエット、それらを包む大気、そうした諸々の組み合わせを前にしたときの胸膨らむような気分を感じる時かなとも思う。
浦賀の海の水は思いのほか透明度が高い。近くには走水海水浴場もあるくらいだから、そういう水質なのだろう。おそらくこのあたりも高度経済成長の時代には、海水浴ができるような水質ではなかったと思う。環境対策の努力もあっただろうが、それ以上に東京湾周辺の工業地域が縮小した効果のほうが大きいのではないだろうか。
海水浴場周辺は宿泊施設や海産物店などが散在して、なんとなくそれらしい雰囲気だが、さすがに都内から日帰り圏ともなると泊りがけで遊びに来るような人は少ないのではないだろうか。それでも、そうした店舗の過半は営業しており、海辺の道路の交通もそこそこ活発だ。その道路を観音崎方面へ歩く。海水浴場入口を通り過ぎると上り坂になり、その坂の上で振り返ると、横須賀の海の向こうに富士山が見える、というなかなかの絶景だ。
坂を越えたところに走水漁港がある。ここから釣り船で出かける人も少なくないようで、駐車場は満車に近い。漁港の隣は防衛大の訓練施設でカッターボートが吊り下げ器具に装着されて並んでいる。この施設の隣が京急ホテルだが、その海側にボードウォークが整備されている。ちょうど満潮時のようで、歩道ぎりぎりまで波が押し寄せていた。京急ホテルの向かいが、今回の目的地、横須賀美術館である。
今回は立ち寄らなかったが、馬堀海岸駅から美術館に至る途中には、走水神社をはじめとする神社仏閣があり、それぞれに云われのある碑や塚などがあるらしい。なんと言っても走水は神話に登場する場所なのである。何も無いところに神話は生まれないだろうから、そうした神話の世界を訪ねる目的でこのあたりを歩くのも面白いかもしれない。ちなみに、走水という場所は、日本武尊が東征の際に、海が荒れて船が沈みそうになったところで、妻の弟橘媛命が海神の怒りを慰撫するために身を投げ、航海の安全を図ったところなのだそうだ。こうした云われがあるから、ここに防衛大や軍事基地がある、のかどうかは知らない。
横須賀美術館に着いたのは12時半。腹ごしらえをする時間だ。美術館にはアクアマーレというイタリアン・レストランがある。東京の広尾にあるアクアパッツアのシェフ日高良実氏がプロデユースしているが、地元で調達できる食材を取り入れたメニューとなっている。なかなか人気のある店なので、既に満席で順番待ちの人の列もある。ただ、天気が良いとは言え、この時期なのでテラス席は空いている。小一時間ほど歩いた直後で、多少は身体が暖まっていた所為もあり、今更食事場所を求めて彷徨うのも野暮だと思った所為もあり、テラス席でジャケットを着たまま食事をすることにした。「おすすめ」というコースを注文するが、子供はメインに肉料理を選択し、私は魚料理を選ぶ。味のほうは値段以上のものだと思う。尤も、野菜嫌いの子供のほうは、付け合せの温野菜と格闘しているようだった。
今日はここまでの道すがらの会話のなかで、進路のことが話題になった。子供はそろそろ将来のことを自分で決めなければならない時期になり、それなりに悩んではいる様子だ。経験したことのない何事かを決断するというのは勇気の要ることではある。私がもし、改めて子供と同じ立場で進路を決めるとしたら、という仮定の話なら何とでも選択肢を設定することはできる。しかし、それは私のことであって子供本人のことではない。自分の人生を生きるのは自分だけなので、参考意見として私の話をすることはできても、それがどの程度の参考になるのかは聴く側の判断だ。
おそらく、子供が自分の進路を考える上で、参考にできることがあるとすれば、それは身近な人の生活の様子そのものではないだろうか。なかでも一番身近な他人である親の姿というのは否応なく眼に入るものだろう。これまで、このブログのなかで何度となく書いているが、人は関係性のなかでのみ存在する。自分というものを形作る関係のなかで、親子という関係はやはり無視できない強いものだろう。親がその場しのぎの取り繕った安直な生き方をしていれば、心ある子供はそういう親を軽蔑すると思う。結果として親子関係は軋む。自分が真摯に何事かを考え、その自分の考えに忠実に生きていれば、現象面での結果がどうあれ、子は少なくとも真摯さを評価するのではないだろうか。自分で考えることなしに、習慣や世間にべったりと依存していると、子はその醜悪さを嫌悪するだろう。また、その嫌悪の情が子供自身の関係形成にも悪影響を及ぼすことになるのではなかろうか。
親が子供のためにできることは、きちんと生きること以外に何もないとさえ思う。物質的な面での扶養であるとか、遺産であるとか、形のあるものというのは、その大小はともかくとして、誰でも提供できるものだ。しかし、生きる姿は各自各様であり、その人だけのものだ。それは不定形で、言語化することも困難で、明確な形態を伴って表現することはできないけれど、それこそが親から子へ継承できる唯一無二のことだと思う。
あれこれ考え、一生懸命生きて、それでも伝わらないのなら、もうどうしようもない。しかし、単に習慣や世間に流されて思考を怠っているのなら、そもそも伝えるものが創られていない。「伝わらない」という現象面での結果は同じことかもしれないが、あるものが伝わらないのと、伝えるべきものがないのとでは、後々の可能性のあり方が全く違う。何事かがあるのなら、いつかそれに気付く可能性は残されている。生きるのは自分だが、生きることに意味があるとすれば、それは人から人へ、あるいは世代から世代へ、何事かをつないでいくことだと思っている。
ところで、「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」だが、展示にもう少し工夫があってもよいのではないかと思う。音声ガイドはやはり欲しい。A&Dオーディオガイドとかカセット・ミュージアムといった業者があるが、そうしたところに発注する経費がなければ、手間隙がかかることは十分想像できるが、自作して頂けるとありがたい。今年5月の連休に宇都宮にある栃木県立美術館で観た濱田庄司展では美術館自作の音声ガイドが無料で提供されていた。業者が制作する専用端末を使ったものと違って、iPod nanoを利用したものなので使い勝手の悪さは否めなかったが、それでも制作スタッフの熱意は伝わってくるし、なによりも展示品に対する理解が高まる。
企画展のタイトルが「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」なのに、両者の関連がいまひとつわかりにくいのもいかがなものか。限られた作品を駆使して何らかのテーマを表現するのだから、作品を展示するだけでは不十分だろう。せめてウィリアム・モリスが何者であるか、モリス商会がどのような活動をしていたのか、ということはきちんと、しかもわかりやすく説明するべきではないだろうか。ついでに、ラファエル前派の画家たちとウィリアム・モリスの人物相関図のようなものがあると、鑑賞者の関心をより強く引くのではないだろうか。
美術館というのは作品の収蔵と継承も重要なのだが、人類共通の財産である美術品を鑑賞者が身近に捉えることができるような媒介役を果たすことも負けず劣らず重要なミッションだろう。理想を言えば、展示されている作品が鑑賞者個人の生活と実はつながっている、ということを想起させるような仕掛けがあって欲しいと思う。