熊本熊的日常

日常生活についての雑記

色即是空 空即是色

2010年12月19日 | Weblog
例の黒砂糖を菅野さんのところへ届けようとご都合伺いのメールを出したら、今日ということになった。トレーディングポストの青山店の店長ご夫妻と、たまたまキーホルダーを贈答品用に発注しようとされている方が同席で、津川さんの燻製を頂きながら歓談することになった。

普通に暮らしていると、人間関係は狭くなる一方だ。人はひとりで生まれ、ひとりで死ぬ。おそらく、一生の間には、普通に暮らしていて自然に知り合いが増える時期というのもあるのだろう。年齢を重ねても、財力や権力に恵まれれば、それが人を吸引するということもあるだろう。しかし、社会の最も活発な活動領域から身を引いてしまった後は、余程意識的に他者と交際を結ぼうと努力しない限り、人は最期の姿に向かって進むものではなかろうか。

人と人とが出会うきっかけは様々あるだろうが、長く付き合うには、自分の意思で相手を選ぶことが基本になる。例えば、学校や職場での出会いは、偶然そこに集められた結果として関係を結ばざるを得ない。嫌でも容易に逃れられないが故に、そうした場においては何かと不幸なことが起こるのである。出会いに限ったことではないが、自分の判断で行動した結果なら、それがどのようなものであれ、素直に受容できるものだ。不平不満が多いのは、結局、自分で考えて行動していないことの証左でもある。

人との出会いについても、近頃は個人情報を晒すことに過剰に敏感になって、警戒ばかりが先行する畜生のような感覚の持ち主が増えているのではないだろうか。どこでも通用するような価値ある個人情報の持ち主などは極めて限られている。心配する以前から杞憂に終わることがわかっているようなことを思い煩うよりは、自分が属する文化や文明をもっと信頼したほうが、結果としては豊かな時間を得るのではないだろうか。「文化や文明」を信頼するというのは、真っ当に考えて導き出される論理を信じるということだ。己の欲望に従って、どう考えても怪しい儲け話などを無闇に信じるということではない。

要するに健康な思考というものに拠って、自分を信じ、その自分が一部となっている社会を信じることが、真っ当な豊かさというものだろう。その自分を取り巻く関係性の糸や網を辿ることによって、新たな地平を求めて行けば、それだけ重ねていく時間が豊かなものになるのではないだろうか。結果として不都合なことに遭遇しても、その眼前の不都合すら、長い眼で見れば深い洞察の材料になるだろう。

ところで、「自分」ということを喧しく書いているが、これは不定形だ。実体として在るものではなく、関係の結節点として、見方によっていかようにも見える幻想のようなものかもしれない。実体が無いという意味においては、それは「空」であるとも言える。だからこそ、自分の存在を確認すべく、「空」を埋めるかのように、人は物理的な存在を求めるのだろう。したがって、そうして手に入れた身につけるものや身の回りのものというのは、単なる「もの」ではなく、幾重にも絡まる関係性の表現として在るものなのだと言える。そう考えると、たとえボールペン一本選ぶにしても、あれこれと思い悩むことになる。それは楽しいことでもあり、けっこう辛いことでもあったりする。