栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

失われてきた季節感

2005-08-13 12:24:08 | 視点
 最近、季節を感じることが少なくなってきた。苺やトマトが年中店頭に並んでいるだけではない。生活のあらゆるシーンで季節感がなくなりつつあるのだ。
 先日、熊本から来た知人が「福岡はいい」と喜んでいた。何がいいのかというと「8月に夏物セールをしているから助かる」と言う。
 知人によれば「熊本は7月末で夏物セールが終わり、8月になるともう秋物が売られていて夏物がない」のだそうだ。
 まだ8月になったばかりの時だったから、とても奇妙な感じがした。
特にここ数年、気温が1月後ろにずれているようで、7月は暑いというよりまだ肌寒かったりする。
 8月から本格的な夏でどうかすると9月になっても残暑が続く。
それなのに、本格的な夏が来る前に夏物一掃セールが行われ、本格的な夏が始まった時には秋物しかないというのだから、いくら季節を先取りするのがファッションといっても少し行き過ぎではないかと思う。

 季節感がなくなったのは食べものや着るものばかりではない。
先日、かもめーるでハガキが届いた。
そこには「残暑お見舞い申し上げます」と書かれてあった。
見間違いかと思いもう一度見直してみたが、やはり「暑中」ではなく「残暑」だった。
たしかに8月に秋物を売る時代である。
季節感も先に進んでいるのかもしれないが、8月になったばかりで残暑はないだろう。

 そういえば昨夏は7月末に残暑見舞いハガキを受け取った。
これには飛び上がるほど驚いた。
たしかに太陰暦の立秋を境に残暑見舞いだ。
あくまで太陰暦だから太陽暦の8月ではない。

 ここ数年の気候は1カ月後ろにずれているような感じがするし、特に九州の気候を考えれば残暑見舞いはせめてお盆前後からにして欲しいものだ。
因みに残暑見舞いを戴いた人は九州の人だった。

 それにしても最近、増えているのが時代の逆行とも思える現象。
TVの話題づくりに乗せられている側面もあるのだろうが、風水や占星術が流行るのも同じだろう。
ある意味、成熟社会の宿命ともいえるかもしれないが、新しい価値感が生み出せなくなると古い価値観に頼るようになり、社会が保守化してくる。