栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

責任逃れの言い分けに使われる個人情報保護法(2)

2016-12-03 12:41:32 | 視点
 田舎の子はよく挨拶するが、都会ではあまり見かけない。
疲れた顔をしてダラダラと歩いているか、スマホを見ながら歩いている子は多いが、
すれ違う時に「こんにちは」と声をかけてくる生徒にはほとんど会わない。

 それどころか一度、車のトランクが開いていることを知らせる警告ランプに気付き車を駐めたところ、
車の少し先にいた少女がこちらを伺うような目で見、道路の反対側に素早く走って渡った。
 その子は辻から出てきたので、安全を確認し、道路を急いで渡ったのだろうと思ったが、
その後、何度もこちらを振り返りながら走り去る姿を見て別のことが頭を過ぎった。
どうも怪しい人物と疑われたらしい。
そういえば最近、子どもを車に無理矢理乗せ誘拐する事件が後を絶たないから、
車には注意しなさいと親から教えられているのだろう。
 この少女の対応は正しいと褒めるべきなのだろうが、怪しい男と疑われたこちらはなんとも複雑な気持ちになった。

感謝の意も直接伝えられず

 それはさておき、学校の行き帰りに子どもが挨拶をしてくるのは実に気持ちがいい。
このまま真っ直ぐに育って欲しいと思う。
そして、そういう子どもを育てている校長に一言感謝の意を伝えたいと思った。

 そう感じたところで即行動すればいいのだが、根が不精者だからなかなか行動に移さない。
そうこうしているうちに1年あまりがたってしまったが、帰省している時、そのことを思い出し校長に会いに行った。

 好事門を出でず、悪事千里を行くという。
苦情を言いに来る人は多くても、感謝の言葉はなかなか耳に入らないだろうと思っていたから、
手紙や電話ではなく、やはり直接会って校長の教育がこのように実っているということを伝えたかった。

 学校でK校長に面会を申し込むと、春に別の学校に異動になり、本校にはもういないと言われ、ちょっとがっかり。
 応対に現れた年配の女性教師はそう返事しながらも怪訝な顔で「どちら様ですか」「どういうご用件でしょう」と
尋ねてきたから、その無愛想な対応に多少不快さを感じながらも、面会趣旨をきちんと説明。

 「ここの生徒達はよく挨拶をすると帰省の度に感心していたが、1年前のPTA新聞に校長の挨拶文が載っており、
生徒がよく挨拶をするのは校長の教育方針の賜物だと感じ、直接お会いしてそのことを伝えたくて」
「K校長先生はこの春転勤で他に異動されました」
「そうですか。どちらに異動されたのですか」
「それは個人情報ですのでお教えできません」
「えっ・・・」。絶句してしまった。
 そんなこと個人情報ではないだろう。教員の人事異動は毎春、新聞にも掲載されているし、用件も話しているのだから、
「校長も直接そういう風に言われると喜ぶと思いますよ」と言うならまだしも、相手はオウムのように
同じ言葉を繰り返すだけ。「個人情報ですから」と。

 こちらの質問に対し同じ言葉をただ繰り返すだけの人は近年増えている。
ただし、それは若い人によく見かける傾向で、今回のように年配の教師では珍しい。
いずれにしろ問題解決とは程遠い態度で、そこにあるのは責任逃れ。
もし、なにかあった時に上司や他から責められたくないという自己保身だ。
 いい話はなかなか耳に入ってこない。だからこそ、校長に会って直接伝えたかったが、
その女性教師と言い合っても仕方ないので、それは諦めた。

 それにしても個人情報保護法って一体何だろう。
いろんなところで、「ここで知り得た情報は○○以外には利用しません」などとよく明記されているが、
それを言葉通りに信じている人がどれぐらいいるだろうか。少なくとも私は全く信じていないが。

 銀行であれクレジットカード、アンケートであれ、なにかに記入すれば相変わらず数日後から1か月以内ぐらいに
どこかから何かしらの案内や電話が届くし、大量の会員情報が漏洩する事件は後を絶たない。
結局、個人情報云々は責任逃れの言い分けに使われる常套句でしかない。

 個人情報ももちろん大事だが、それ以上に情報開示の方を積極的に行って欲しいものだ。
そうすれば不正行為に対し追跡調査も出来るし、誰がどこで、いつ、個人情報を流したのかも究明できるというものだ。
ところが今、この国は逆の方向に動いている。その先に一体何が潜んでいるのか--。






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責任逃れの言い分けに使われる個人情報保護法(1)

2016-12-03 10:46:58 | 視点
 個人情報保護法が成立した時、これは「天下の悪法」--というのは多少大袈裟かもしれないが、
これで取材がやりにくくなり、情報が秘匿されていくだろうと思ったのは事実だ。
結果、今その通りになっている。
一方で情報公開が叫ばれながら、現実はそれに逆行する動きはますます強まっている。

 例えばいま話題の豊洲市場問題。本来、盛り土をするべきだったところに盛り土がされてなく、
おまけに地下空間から環境基準を上回るベンゼンやヒ素、さらには地下空間の大気から国の指針の
7倍に当たる水銀が検出された。
これらに対し、即座に健康に影響を与えるものではないと言われても、豊洲市場で扱っているもの
を食べたいと思う消費者は恐らく皆無だろうし、環境汚染の中で働くことに不安を感じない市場関係者もいないだろう。

個人情報を盾に情報開示を拒む

 とにかく次から次へといろんな疑惑が出てくる豊洲市場移転問題だが、問題の解明を遅らせて
いるものに都の情報秘匿があるのは誰の目にも明らかだろう。
役人の事なかれ主義、責任逃れ体質は何も今に始まったことではないし、都だけではないと言われ
るかもしれないが、仮にそうであってもそれでよしとして見逃すわけにはいかない。
やはり一つひとつ問題を潰していかなければいつまでたっても変わらない。

 さらに言うなら、そういう問題を見過ごしていくと逆に彼らの闇の中に取り込まれ、
ミイラ取りがミイラになってしまう。
そういう意味で小池都知事は今が正念場。ここで安易な妥協をし、落とし所など探るのではなく、
この際徹底的に膿を出し、透明な都政にすべきだ。
そのためにも情報公開をしっかり行ってもらいたい。

 ところが伏魔殿・都庁はそうやすやすと情報を公開しない。ひたすら隠すことで自らを守ろうとする。
豊洲市場の盛り土がされなかった問題の検証報告内容がそうだ。
10月6日に行われた都議会経済・港湾委員会の集中審議で、「ヒアリング内容が真実の究明には重要。
証言は公開できるのか」との自民党議員の質問(追求?)に対し、中央卸売市場の担当者は
「ヒアリングは行政監察手続きの一環で実施した。聴取を受けていることや聴取の発言は個人情報に当たる」
から公開できないと答弁している。

 ヒアリング内容を明らかにすると誰が何を言ったかという個人名が出てくるので、
それは個人情報だから明らかにできないというわけだ。
早い話、個人情報保護法を盾に事実の隠蔽を画策しているとしか言い様がない。

 こういう場合に個人情報保護を盾に情報を秘匿するのは間違いだし、個人情報保護法が適用されるとも思わないが、
この法が施行されて以後、あらゆる場面でこういうパターンに遭遇する。

 「個人情報ですので」。
これさえ唱えておけば、面倒なことに巻き込まれなくて済むし、あらゆる責任から逃れられると思い込み、
呪文のようにこれを唱える。特に公務員が。
その結果、おかしなことが起きる。不都合な事実だけでなく、好都合な事実まで伝わらなくなるのだ。

「あいさつは魔法の道具」と教えた校長

 以下は実際に私が経験したことである。
昨春、帰省した際、ポストにPTA新聞が投函されていたのを見つけた。
新聞と言ってもA4用紙の見開き程度の大きさの紙1枚で、そこに「平成26年度を振り返って」と題した1文が載っていた。
書いたのは地元校のK校長。以下、引用してみる。

 「元気に 笑顔で 一生懸命!」始業の式の日、160名の子ども達に一番に伝えた言葉です。
人生いろんなことがありますが、「元気に 笑顔で 一生懸命!」に生きたいと私も思っていますし、
子ども達にもこうあって欲しいと思っています。その時、がんばってほしいことを2つ話しました。
 1つは「気持ちの良いあいさつをしよう。」ということです。気持ちの良い挨拶をすれば、自然と笑顔になります。
笑顔が多くなればやる気が湧きます。やる気が湧けば色々なことが出来るようになります。
色々なことが出来るようになれば、自信がつきます。
自信がつけばもっと他のことにチャレンジしようという気持ちが湧いてきます。『あいさつは魔法の道具』です。(原文のまま。以下割愛)

 私の田舎の子どもはよく挨拶をする。道をすれ違った時に「こんにちは」と声をかけてくるのだ。
感心したのは車道を挟んで向こう側を歩いている子どもが挨拶をしてきた時。
道路の向こう側を歩いている人にまで声をかけるというのはなかなかできない。
中学生ぐらいになると、そういうことに気恥ずかしさを覚えたりもするから、なかなか声をかけられないものだ。



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