今年9月、スマートフォンの使用が法律で禁止された--。
と言っても日本ではなくフランスでのことだが、法規制までしなければいけないとは穏やかではない。
なぜ、そこまでしなければならないのか。背景には何があるのか。
また、こうした動きは今後他国、例えば日本でも広がる可能性があるだろうか。

この問題には2つの側面がある。
1つはフランス特有の問題であり、もう1つは世界各国(主として先進各国)が共通して抱えている問題である。
前者はフランスの新大統領にエマニュエル・マクロン氏が就任したことと大いに関係している。
というのはマクロン氏はフランス全土の幼稚園、小中学校で生徒の校内でのスマホ使用禁止を
大統領選での公約の1つに掲げていたからだ。
そして公約通りに9月の新学期開始と同時に実施したわけだが、それは実施目標でも
「お願い」でもなく法律まで作って禁止したのだから、自由の国フランスではさぞかし反対されたに違いない。
そう考えたのはこちらの思い過ごしで、むしろ保護者からは支持されるなど好意的に受け止められたようだ。
なぜ、スマホの校内使用禁止が支持されたのか。
それはスマホが生徒の集中力を阻害しているからである。
これについて異論がある人は少ないだろう。
集中力の阻害は勉強だけではない。
仕事上でも現れているし、スマホが登場する以前の携帯電話時代でも現れていた。
例えばこんな例がある。オフィスワークをしている女性社員が頻繁にデスクの引き出しを開けている。
最初のうちはペンか定規でも取り出しているのだろうと思っていたが、別にそれらを取り出すわけでもなく、
引き出しを開けて中をチラッと見て閉めるだけだ。
ただ開ける引き出しは決まって一番上で、それ以外の引き出しを開ける時はファイルだったり
書類を必ず取り出していた。
その光景を目にした当初は、その女性の癖だろうと上司は思ったらしい。
仕事中に無意識のうちに行う意味もない癖の1つや2つは誰しもある。
だが、気になりだすとどんどん気になるもので、しばらく観察していてあることに気付いたと言う。
それは携帯電話の着信を見ていたのだ。
着信音は鳴らない設定にしているが、バイブレーションで着信を知らせる設定にしているため
周囲に悟られることなく、振動がする度に引き出しを開けてチェックしていたというわけだ。
携帯電話時代でさえこれだから、スマホになるともっと頻繁になり、
会話中でも講演を聴いている時でもスマホをポケットから取り出し、
テーブルの下でそっと見ている光景は今では当たり前のように目にする。
社会人ですらこうだから小中学生なら授業よりスマホの画面が気になり勉強に身が入らなくなるのは当然だろう。
イギリスのロンドン大経済政治学院が2015年に行った調査によれば、携帯電話の使用を
禁止するとテストの結果が6%アップしたという結果が出ている。
これならマクロン大統領が携帯電話の校内使用を禁止したくなるのはよく分かる。
マクロン大統領は小中学生の勉強だけでなくマナーにも厳しいようで、
6月にパリ近郊のモンバレリアン要塞を公式訪問した際、待ち受けた中学生の一団に囲まれ、
彼らと一緒に自撮りなどをしていたが、男子生徒の1人から「マニュ、調子はどう」と呼びかけられた。
「マニュ」はマクロン氏の名前、エマニュエルの愛称だが、そう呼びかけられた彼は
「それはいけない」と男子生徒に注意し、次のように諭したのだった。
「君は公式行事でここに来ているのだから、きちんとしなくてはいけない。
私のことは大統領、あるいはムッシュと呼ばないといけない。分かったね」
そう、公式行事では相手に敬意を払い、「大統領」「議長」などと役職名で呼ぶか、
名前を呼ぶ時でもファーストネーム(名)ではなくラストネーム(姓)で呼ぶべきなのだ。
どこぞの国の首相は相手国のトップとの親密度を演出したいのか、
やたらとファーストネームで呼んでいるが、それは礼を欠いている。
少なくともマクロン氏はそう思うに違いない。

さて、日本ではスマホ使用はどうか。
このような調査も法規制の動きもないがスマホ使用の弊害は以前から指摘されている。
「ライン」などのSNS疲れ、スマホ依存症まであるが、
やはり心配なのは高校生以下の注意力散漫、読解力の低下。
なかでも長文を読めなくなり、短文、極端な場合は1フレーズのやり取りが増え、
思考力低下を招いていることだ。
思考力の低下は忍耐力、許容力の低下に繋がり、短絡的で自己中心的な考えに陥る。
その結果、自己中心的で短絡的な犯罪や無差別殺人が増えている。
こうした状況は日本だけではなく、アメリカでも中国でも、スマホ所持率が高い国々で共通している。
ただ、日本はフランスに比べると民主的というか寛容で、法規制までしようという動きはない。
せいぜい「午後9時以降はスマホ利用を制限する」というルールを作ろうとしている程度だ。
それでも福岡県川崎町のように町内の全小中学校で携帯電話、スマホの校内持ち込みを
2015年10月から全面禁止した町もある。
水は低きに流れ、人は易きに流れる。
一度手に入れたスマホを数時間でも手放す習慣が作れるかというと多少疑問はある。
それでもバス内で大声で電話する人は随分減ったような気がするし、
飲食店で喫煙する人も減少する傾向にあることを考えれば啓蒙活動の効果もあるかもしれない。
子は親に似るというから、大人である私達自身が率先して夜9時以降の携帯端末操作をやめ、
電源を切るようにすることの方が大事かもしれない。
と言っても日本ではなくフランスでのことだが、法規制までしなければいけないとは穏やかではない。
なぜ、そこまでしなければならないのか。背景には何があるのか。
また、こうした動きは今後他国、例えば日本でも広がる可能性があるだろうか。

この問題には2つの側面がある。
1つはフランス特有の問題であり、もう1つは世界各国(主として先進各国)が共通して抱えている問題である。
前者はフランスの新大統領にエマニュエル・マクロン氏が就任したことと大いに関係している。
というのはマクロン氏はフランス全土の幼稚園、小中学校で生徒の校内でのスマホ使用禁止を
大統領選での公約の1つに掲げていたからだ。
そして公約通りに9月の新学期開始と同時に実施したわけだが、それは実施目標でも
「お願い」でもなく法律まで作って禁止したのだから、自由の国フランスではさぞかし反対されたに違いない。
そう考えたのはこちらの思い過ごしで、むしろ保護者からは支持されるなど好意的に受け止められたようだ。
なぜ、スマホの校内使用禁止が支持されたのか。
それはスマホが生徒の集中力を阻害しているからである。
これについて異論がある人は少ないだろう。
集中力の阻害は勉強だけではない。
仕事上でも現れているし、スマホが登場する以前の携帯電話時代でも現れていた。
例えばこんな例がある。オフィスワークをしている女性社員が頻繁にデスクの引き出しを開けている。
最初のうちはペンか定規でも取り出しているのだろうと思っていたが、別にそれらを取り出すわけでもなく、
引き出しを開けて中をチラッと見て閉めるだけだ。
ただ開ける引き出しは決まって一番上で、それ以外の引き出しを開ける時はファイルだったり
書類を必ず取り出していた。
その光景を目にした当初は、その女性の癖だろうと上司は思ったらしい。
仕事中に無意識のうちに行う意味もない癖の1つや2つは誰しもある。
だが、気になりだすとどんどん気になるもので、しばらく観察していてあることに気付いたと言う。
それは携帯電話の着信を見ていたのだ。
着信音は鳴らない設定にしているが、バイブレーションで着信を知らせる設定にしているため
周囲に悟られることなく、振動がする度に引き出しを開けてチェックしていたというわけだ。
携帯電話時代でさえこれだから、スマホになるともっと頻繁になり、
会話中でも講演を聴いている時でもスマホをポケットから取り出し、
テーブルの下でそっと見ている光景は今では当たり前のように目にする。
社会人ですらこうだから小中学生なら授業よりスマホの画面が気になり勉強に身が入らなくなるのは当然だろう。
イギリスのロンドン大経済政治学院が2015年に行った調査によれば、携帯電話の使用を
禁止するとテストの結果が6%アップしたという結果が出ている。
これならマクロン大統領が携帯電話の校内使用を禁止したくなるのはよく分かる。
マクロン大統領は小中学生の勉強だけでなくマナーにも厳しいようで、
6月にパリ近郊のモンバレリアン要塞を公式訪問した際、待ち受けた中学生の一団に囲まれ、
彼らと一緒に自撮りなどをしていたが、男子生徒の1人から「マニュ、調子はどう」と呼びかけられた。
「マニュ」はマクロン氏の名前、エマニュエルの愛称だが、そう呼びかけられた彼は
「それはいけない」と男子生徒に注意し、次のように諭したのだった。
「君は公式行事でここに来ているのだから、きちんとしなくてはいけない。
私のことは大統領、あるいはムッシュと呼ばないといけない。分かったね」
そう、公式行事では相手に敬意を払い、「大統領」「議長」などと役職名で呼ぶか、
名前を呼ぶ時でもファーストネーム(名)ではなくラストネーム(姓)で呼ぶべきなのだ。
どこぞの国の首相は相手国のトップとの親密度を演出したいのか、
やたらとファーストネームで呼んでいるが、それは礼を欠いている。
少なくともマクロン氏はそう思うに違いない。

さて、日本ではスマホ使用はどうか。
このような調査も法規制の動きもないがスマホ使用の弊害は以前から指摘されている。
「ライン」などのSNS疲れ、スマホ依存症まであるが、
やはり心配なのは高校生以下の注意力散漫、読解力の低下。
なかでも長文を読めなくなり、短文、極端な場合は1フレーズのやり取りが増え、
思考力低下を招いていることだ。
思考力の低下は忍耐力、許容力の低下に繋がり、短絡的で自己中心的な考えに陥る。
その結果、自己中心的で短絡的な犯罪や無差別殺人が増えている。
こうした状況は日本だけではなく、アメリカでも中国でも、スマホ所持率が高い国々で共通している。
ただ、日本はフランスに比べると民主的というか寛容で、法規制までしようという動きはない。
せいぜい「午後9時以降はスマホ利用を制限する」というルールを作ろうとしている程度だ。
それでも福岡県川崎町のように町内の全小中学校で携帯電話、スマホの校内持ち込みを
2015年10月から全面禁止した町もある。
水は低きに流れ、人は易きに流れる。
一度手に入れたスマホを数時間でも手放す習慣が作れるかというと多少疑問はある。
それでもバス内で大声で電話する人は随分減ったような気がするし、
飲食店で喫煙する人も減少する傾向にあることを考えれば啓蒙活動の効果もあるかもしれない。
子は親に似るというから、大人である私達自身が率先して夜9時以降の携帯端末操作をやめ、
電源を切るようにすることの方が大事かもしれない。