「経高政低」あるいは「経済は一流、政治は二流」「技術立国」という言葉が
日本を象徴する言葉として語られてきた。
政治の二流はいまだ変わらないが、「経済は一流」も「技術立国」も実に幻想だったことが、
最近ようやく周知されだした。
いまや技術は韓国、中国の後塵を拝する有様である。まだ、その現実を認めようとしない企業人は多いが。
デジタル時代は多くのものをコモディティ化したのは事実だが、デジタル時代になり
新規技術で日本がリードした分野はそう多くはない。
その一つにカメラがあるが、それもスマートフォンのカメラ機能にかなりの部分で浸食されている。
仮に日本企業、パナソニックでも富士通、ソニーでもいいが、それらの企業が
スマートフォン市場で存在感を示していたとして、スマートフォンのカメラを片側ダブルレンズにし、
一眼レフカメラのような撮影効果を持たせる機能を付加しただろうか。
答えはノーだろう。富士通も、ソニーでさえまだダブルレンズは搭載していない。
なぜ、日本企業はそのような商品を作れないのか。
日本企業は垂直思考は得意だが、水平思考は苦手だからだ。
例えば写真の映りをよくしたいと言われれば、センサーの画素数を上げ、
できるだけ鮮明な映りにしようとするし、そうした垂直思考は得意である。
ところが、ダブルレンズにしてボケ味を出そうという発想には行かない。
どちらも映りをよくしたい、一眼レフカメラに少しでも近づけたいという思考は同じである。
前者は一眼レフカメラに近づけるために解像度を上げ画像を精細にするという発想であり、
後者は一眼レフカメラのように前後のボケ味を楽しみたいという発想から作っている。
写真を楽しもうという発想からのアプローチと、写真の出来をより高度にしようという
アプローチの違いであり、高解像度を追求する方向はいかにも日本人技術者らしい生真面目さだが、
ユーザー視点に立てばボケ味が楽しめる映りの方が面白いだろう。
なんといっても一眼レフカメラの面白さは被写体の前後をボケさせて、
被写体を際立たせる、クローズアップさせるところなのだから。
言い換えれば、これは「省く」技術であり、高解像度を追求する方は「足す」技術。
日本人が弱いのは「省く」技術である。
日本を象徴する言葉として語られてきた。
政治の二流はいまだ変わらないが、「経済は一流」も「技術立国」も実に幻想だったことが、
最近ようやく周知されだした。
いまや技術は韓国、中国の後塵を拝する有様である。まだ、その現実を認めようとしない企業人は多いが。
デジタル時代は多くのものをコモディティ化したのは事実だが、デジタル時代になり
新規技術で日本がリードした分野はそう多くはない。
その一つにカメラがあるが、それもスマートフォンのカメラ機能にかなりの部分で浸食されている。
仮に日本企業、パナソニックでも富士通、ソニーでもいいが、それらの企業が
スマートフォン市場で存在感を示していたとして、スマートフォンのカメラを片側ダブルレンズにし、
一眼レフカメラのような撮影効果を持たせる機能を付加しただろうか。
答えはノーだろう。富士通も、ソニーでさえまだダブルレンズは搭載していない。
なぜ、日本企業はそのような商品を作れないのか。
日本企業は垂直思考は得意だが、水平思考は苦手だからだ。
例えば写真の映りをよくしたいと言われれば、センサーの画素数を上げ、
できるだけ鮮明な映りにしようとするし、そうした垂直思考は得意である。
ところが、ダブルレンズにしてボケ味を出そうという発想には行かない。
どちらも映りをよくしたい、一眼レフカメラに少しでも近づけたいという思考は同じである。
前者は一眼レフカメラに近づけるために解像度を上げ画像を精細にするという発想であり、
後者は一眼レフカメラのように前後のボケ味を楽しみたいという発想から作っている。
写真を楽しもうという発想からのアプローチと、写真の出来をより高度にしようという
アプローチの違いであり、高解像度を追求する方向はいかにも日本人技術者らしい生真面目さだが、
ユーザー視点に立てばボケ味が楽しめる映りの方が面白いだろう。
なんといっても一眼レフカメラの面白さは被写体の前後をボケさせて、
被写体を際立たせる、クローズアップさせるところなのだから。
言い換えれば、これは「省く」技術であり、高解像度を追求する方は「足す」技術。
日本人が弱いのは「省く」技術である。