12月になると急に増える物がある。
まず街で見かけるのがクリスマスツリー。
ついで店頭で目に付くお歳暮商品。
そして郵便ポストに毎年数通配達されてくる喪中葉書である。
喪中葉書の形式は大体決まっているようで、
誰それがいついつ何歳で永眠致しましたというパターンは皆一緒である。
しかし、よく見ていると微妙に違ってきている。
今年届いたものの中で、おやっと目を引いたのは横長のものだった。
書き出しも「喪中のため新年のご挨拶は・・・」ではなく、
「今となれば、世界一の母でした」となっていた。
差出人はコピーライターである。
喪中葉書というのは定型文で、どこをどう変えようにも変えられないようだが、こういう変え方もある。
実母のことを思い出させる文章の中に、さりげなく本人の職業をも思い出させる葉書で、妙に感心してしまった。
また、非常に信心深い人もいるもので、永眠日を見ると今年の1月始めになっていた。
ほぼ丸々1年も喪に服しているわけだ。
ここまでしてもらえると彼岸に旅立った人も幸せに違いない。
なかには相手の意図を図りかねるような葉書もある。
今まで交流もなかったり、すでに年賀他の挨拶も途絶えて久しい人から突然届く喪中葉書である。
どう見ても名刺をひっくり返して、家族で手分けして出したとしか思えない。
意図を図りかねる葉書といえば、年賀状に家族写真を送ってくる人だ。
それまで家族ぐるみの付き合いをしている人なら、家族が写っている年賀状をもらってうれしいが、そうでない人から家族の写真をもらうと戸惑ってしまう。
どうも幸せの押し付けのような感じがして、私はあまり好きではない。
押し付けといえば、実は喪中葉書もそうで、本来は年賀のご挨拶を頂きましたが、私の方は失礼させてもらいますという断りで、出さないで下さいよ、ということではない。
それが年末に届く喪中葉書はどうも「出してくれるな」という拒否的な意味合いを強く感じあまり好きにはなれない。
私は父の時も妻の時も喪中葉書はどこにも出さなかった。
父はクリスマスの時だったので、いまから葉書を注文しても間に合わないだろうということもあり、母には出さなくていいと伝えたが、こういう形式にうるさい弟はきっちり出していた。
だが、私は最初から出さないと決めていたので、どこにも出さなかった。
妻の時も同じだった。
年賀のご挨拶を頂いた方には寒中見舞いという形で2月に出した。
妻のことに関しては、私はいまでも「旅立っている」と思っているから、「旅立ち」という言葉しか使えない。
状況を詳しく知らない人には「逆単身赴任」で私は一人残されていると説明している。
いままで私は「栗野的通信」というタイトルでメールを発信していたが、妻の旅立ち以後、親交があった方達に妻の病気を含めた当時の状況を知ってもらうために、「栗野的通信」に綴ったので、この名称で他の情報を配信するのを止めた。
以後、「栗野的通信」は今まで封印してきた。
代わりに「栗野的視点」「栗野的雑感」のタイトルで配信するようにしたが、ごく最近、「栗野的通信」をブログ上に復活した。
そろそろ一つのケジメを付ける時期にきているかもしれないと思ったからである。
まず街で見かけるのがクリスマスツリー。
ついで店頭で目に付くお歳暮商品。
そして郵便ポストに毎年数通配達されてくる喪中葉書である。
喪中葉書の形式は大体決まっているようで、
誰それがいついつ何歳で永眠致しましたというパターンは皆一緒である。
しかし、よく見ていると微妙に違ってきている。
今年届いたものの中で、おやっと目を引いたのは横長のものだった。
書き出しも「喪中のため新年のご挨拶は・・・」ではなく、
「今となれば、世界一の母でした」となっていた。
差出人はコピーライターである。
喪中葉書というのは定型文で、どこをどう変えようにも変えられないようだが、こういう変え方もある。
実母のことを思い出させる文章の中に、さりげなく本人の職業をも思い出させる葉書で、妙に感心してしまった。
また、非常に信心深い人もいるもので、永眠日を見ると今年の1月始めになっていた。
ほぼ丸々1年も喪に服しているわけだ。
ここまでしてもらえると彼岸に旅立った人も幸せに違いない。
なかには相手の意図を図りかねるような葉書もある。
今まで交流もなかったり、すでに年賀他の挨拶も途絶えて久しい人から突然届く喪中葉書である。
どう見ても名刺をひっくり返して、家族で手分けして出したとしか思えない。
意図を図りかねる葉書といえば、年賀状に家族写真を送ってくる人だ。
それまで家族ぐるみの付き合いをしている人なら、家族が写っている年賀状をもらってうれしいが、そうでない人から家族の写真をもらうと戸惑ってしまう。
どうも幸せの押し付けのような感じがして、私はあまり好きではない。
押し付けといえば、実は喪中葉書もそうで、本来は年賀のご挨拶を頂きましたが、私の方は失礼させてもらいますという断りで、出さないで下さいよ、ということではない。
それが年末に届く喪中葉書はどうも「出してくれるな」という拒否的な意味合いを強く感じあまり好きにはなれない。
私は父の時も妻の時も喪中葉書はどこにも出さなかった。
父はクリスマスの時だったので、いまから葉書を注文しても間に合わないだろうということもあり、母には出さなくていいと伝えたが、こういう形式にうるさい弟はきっちり出していた。
だが、私は最初から出さないと決めていたので、どこにも出さなかった。
妻の時も同じだった。
年賀のご挨拶を頂いた方には寒中見舞いという形で2月に出した。
妻のことに関しては、私はいまでも「旅立っている」と思っているから、「旅立ち」という言葉しか使えない。
状況を詳しく知らない人には「逆単身赴任」で私は一人残されていると説明している。
いままで私は「栗野的通信」というタイトルでメールを発信していたが、妻の旅立ち以後、親交があった方達に妻の病気を含めた当時の状況を知ってもらうために、「栗野的通信」に綴ったので、この名称で他の情報を配信するのを止めた。
以後、「栗野的通信」は今まで封印してきた。
代わりに「栗野的視点」「栗野的雑感」のタイトルで配信するようにしたが、ごく最近、「栗野的通信」をブログ上に復活した。
そろそろ一つのケジメを付ける時期にきているかもしれないと思ったからである。