リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

頼りにすべき相手ほど信頼できないと言う矛盾

2022年03月24日 | 日々の風の吹くまま
3月22日(火曜日)。☁☂☁。霧雨なのか、朝から五里霧中で何にも見えない。何ともパッとしない春だなあ。まあ、何も見えない方が手元のことに集中できるからいいかな。朝ご飯が済んだら、まず一番にBill Millerd Artist Fundの奨学金候補のセカンドレビューとして申請書のカバーレターを読み直し。どれも「アーティストとして云々」というアピールは華々しいけど、若くて情熱を燃やしているせいもあるだろうとしても、観客がいてこその演劇人のキャリアという視点が弱いのは否めないな。それでも、最終的に1、2件の順位を入れ替えたり、やっぱり何だかなあというのを外して、リストに14件の候補をまとめて書記役のスティーブンに送付。後は日曜日の選考会議を待つだけ。

☆☆何となくすることが続出して中断☆☆

3月23日(水曜日)。🌧☁。週の真ん中。また雨模様だけど、気温は上昇。東京は季節外れの低温と地震による電力不足が重なってあわやという状況だったらしいけど、気温が上がって何とか危機を脱したらしい。今夜はArts Clubのグランヴィルアイランド劇場でMade In Italyのオープニングとレセプションがあって、途中で招待したY君を拾って行くのに早めにでかけるので、やることはヘアカットだけ。仕事に埋もれていた昔はサロンに行く時間がなくて自分でカットしていたもんだけど、コロナのせいでまた「自分でやる」ことに戻ったと言う感じかな。

ニューヨークタイムズを読んでいて、ウクライナ侵攻で誤算続きのプーチンにとって今一番恐れるべきなのは、抵抗するウクライナ軍でも生活を脅かされるロシア国民でも経済制裁の打撃をもろに受けるオリガルヒでもなくて、クレムリンの奥深くでプーチンを取り巻いている「シロヴィキ」だという論説記事があって、なるほどなあ。プーチンが日々の情勢の報告を受けたり、それに対する指示を与えたりする人たちなわけで、プーチンのあのやたらと長いテーブルはそういう人たちから身を守るためだったわけね。ウィルスが怖いんじゃなくて、いつ自分に刃を向けて来るかわからない「側近」が怖かったんだな。なるほど、本質的にプーチンは臆病者で人を信用できないからこそ、強い自分を演出、誇示して相手を委縮させることで自信と安心感を得ていたんだろうな。そういうタイプの人間はどこにもごまんといるけど、そういう人間が独裁的な統治者になると普通の人間社会がどえらい迷惑を被るということは、世界史の教科書を紐解くまでもない。

シロヴィキはソ連時代のKGBを前身とするFSB(連邦保安局)の中でも特に諜報活動や軍隊、警察を牛耳っているエリートなんだそうで、国防や治安維持の裏では反政府活動家や反プーチンの要人の暗殺もやるという怖い集団。KGB出身のプーチンが作り上げて、常に身辺を固めて来たという話だけど、自分たちの権益が脅かされると恩人でも誰でも容赦なく抹殺するというからおっそろしい。ウクライナ情勢が行き詰まって、そういう連中がプーチンに反旗を翻すとしたら皮肉中の皮肉だな。プーチンにしてみれば引き立ててやった連中が正しい情報を集めて来なかったから判断を誤ったといいたいところだろうけど、シロヴィキにしてみればネガティブな報告でボスの機嫌を損ねたら自分の首が危なくなるから、聞きたがっていることを「忖度」していただけなんだろうと思う。現にプーチンが侵攻がシナリオ通りに行っていないことに苛立って、幹部を自宅軟禁したり、更迭したりし始めているそうだから、すでに内部でほころびができ始めているということかもしれないな。最近はプーチンの精神状態に疑問を投げかける向きが増えているけど、もしかしたら苛立ちの上に高まる不信感が重なってメンタルに不調を来しているのかもしれないな。

イギリスに「王冠を頂くものは安心して眠れない」という古いことわざがあるけど、まさにプーチンはその通りの状態なんだろうな。何でもプーチンが食事をするときには毒見係が侍るんだそうで、ロシアでは敵視する人間に毒を盛るのは古くは帝政時代からの得意技だし、プーチン自身もKGBやFSBで「政府の敵」の毒殺に関わって来ただろうと思うから、その危険を誰よりもよく知っていて、実際に恐れているのかもしれない。為政者が身近で補佐する立場にあって一番頼りにできるはずの人たちを一番恐れなければならないというのは、一見して矛盾しているけど、(詐欺師やごますりのような)元々信用の置けないタイプほど相手の深層心理を見抜いてまんまと付け入る才があるらしいし、付け入れられる方は自分の基準に従って承認欲求を満たしてくれる相手には(不信感を持ちながらも)寛容なところがあるようだから、そこは太古の昔から文化に関わりなく、変わることなく続いて来た人間社会の一面なのかもしれない。