リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

ズームでのワークショップと会議で演劇漬けの1日

2022年03月28日 | 日々の風の吹くまま
3月27日(日曜日)。☁🌧☁。まだパッとしない天気の日曜日。今日のワタシは大忙しの日。なのにカレシは「これからは毎日10時にウォーキングに行って、3時に軽い筋トレをする。規則的にやるのが一番効果があるからね」。はあ、何の風の吹き回しか知らないけど、毎朝10時か10時半にウォーキングに行くと宣言したのは遠い昔のことじゃないような気がするなあ。あれは3日坊主だったけど、今度は「何日」続くか、やってみてのお楽しみ。というわけで、掃除日の今日はダスターをかけて、箒で掃いて、掃除機をかけたところで10時。カレシが「掃除がまだ終わってないならウォーキングは後にしようか」と言うので、ウォーキングから帰って来てからモップかけても11時半のズームミーティングには余裕で間に合うから大丈夫。急速思考でフレキシブルに行かなきゃ。

先週の演劇ワークショップに参加できなかった相棒のアビーと、11時半からズームで自主学習。別のペアのディスカッションと演技を観察したことをアビーに説明して、私たちの場面(第18場)に登場する3人のワタシが演じる妻役の過去の人生と心理、次にアビーが演じる仮想現実空間の若者のキャラの具体化と後半に出て来る夫役の心理について互いに想像しまくって、少し手ごたえが感じられるようになったところで台本読み。たしかに、現時点では仮想現実空間でのアバターである若者を除いて、前回よりも人物に奥行きが出て来ていて、1度、2度と読んで、互いに「せりふに感情がこもって来たわねえ」。うん、芝居の中の人物だって生まれてからこの方の人生史があるんだから、場面でのせりふに過去の経験の心理的な影響を反映させることで、人間としての奥行きや幅が出て来て、ストーリーが濃くなるってことだと思う。芝居脚本を翻訳するということは、そうやって作り上げた役を異なる言語で「演じる」ということなんだと、ワタシなりにわかって来た気がする。ズームの残り時間はおしゃべりで消化したけど、22歳のアビーともうすぐ74歳のワタシにびっくりするくらいたくさんの共通点が見つかって、年が離れているからって話が合わないなんてことはあり得ないっと思った、その瞬間の何という心地の良さ・・・。

ランチを済ませたら2時からの会議の準備で、まずはラップトップを充電しながら、応募者を(選考委員の)投票数ごとにまとめたリストを印刷。選考委員は6人いて、それぞれの候補者リストに載ると1票と数えて、最終的に5票が4件、4票が2件、3票が5件、2票が10件、1票が11件で、13件は得票ゼロ。この中から今年度の予算内に収まるように受給者と実際の支給金額を決めて行くわけで、5票集めた4件についてはあっさりと申請額支給で決定。その後は、大学で舞台美術を教えているアリソンが主導する形で、奨学金の対象である講座やワークショップ、個人指導について詳しい内容や講師の評判などを説明した上で、応募者の意図を勘案しながら、得票2票までは満額または減額して全員に支給を決定したけど、ワタシには目の前がぱぁ~っと開けるよう発見ばかり。

最終的に支給総額がぎりぎりで予算内に収まって、最後に講座の受講やワークショップの受入れの確認を支給条件にした何件かが辞退した場合を考えて、得票1票のリストから補欠を5件ほど選んで会議はお開き。演劇界でキャリアを伸ばすために勉強を重ねようと言う人たちを審査する過程で、何だかワタシの方が彼ら以上に勉強させてもらった感じがする。受講料だけを申請した人たちが多かったけど、受講中の生活費全般まで補助してもらおうとした人たちもいて、言い方は悪いけど歌舞伎役者のルーツである「河原乞食」という言葉が思い浮かんで来た。考えたら、シェイクスピアの時代も戯作者や役者は同様に卑しい職業だったわけだけど、選考から落ちた応募者に多かった「my art(我が芸術)」の連呼と「クレクレ星人」ぶりはそのまま芝居のキャラクターになりそうで、演劇とは高尚な芸術なのか、はたまたエンタテインメントなのか、観客の存在意義は何なのかと考えさせられたのだった。