『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

イヴ

2018-12-25 08:58:00 | 季節
ロンバケ・シンドロームがでた。

8時頃に起きて
いつものように
ひとり朝食と朝刊読みを済ませ、
さてブログでも書くべぇかと
お茶を飲みのみ
カタカタやっていたら、
いつの間にやら10時を過ぎてしまった。

階下に
洗面しようと降りたら
カミさんが起きてる素振りがないので、
心配になってガラリと寝室を空けてみた。

そしたら
もぬけの殻で、
家中どこにもいないので、
はて、朝っぱらから
何処に出かけたのだろう・・・と、
怪訝に思っていた。

ハテ (・_・?)  

車がないので、
どーこ行ったんだろー・・・と、
しばらく考えていたら、
アラマ・・・そーいや、
まだ仕事収め前だった・・・(笑)。

なので、
いつも通りに
6:45に出勤していただけだった。

(´ε `/// )ゞ ヘヘ


***


子どもたちが
みな家を出て、
老母もホーム入りになってから、
ここ数年は、
カミさんと二人きりの
聖夜の晩餐になっている。

・・・といっても、
普段の夕餉よりも
目先の変わった
ディナー・プレートに
非日常的な料理を盛るだけである。





子どもたちがいる頃は、
喜ばせようと
オマールや伊勢海老の
テルミドール(オーヴン焼)なぞを
はりきって作っていたが、
老夫婦ふたりきりでは
鶏モモひとつを
分け合うような晩餐だった。

それでも、
出来合いの照焼をやめて
生の素材をグリルで火入れして
皮目をパリリと仕上げたら
「皮んとこが美味しいね」
とカミさんが喜んでいた。

「パテ・アン・クルート」は
思い切り手抜きで
出来合いのパイ生地に
半額だった生ハンバーグ
(2ケ160円)を鋳込み、
スパイス、ハーブを効かせ
カリリと焼き上げた。

これも
ナイフを入れた瞬間
「香りがフワ~ッと、たった~」
と喜んでくれた。

あとは、
クリームシチューに
ドライフルーツ入りのピラフ、
サラダに
「トウフ・オー・シノワーズ」
(豆腐の花椒炒め)と
週末“ひとりフレンチ”よりは
手抜き感のある晩飯となった。

我が家の「食卓の儀」として
鶏の丸焼きだの、
鯛の尾かしら焼きだの、
ホールケーキだのは、
トーチャンがナイフで
デクパージュ(取り分け)する。

欧米でもそれは
シェフ、主夫、亭主の役目だが、
元はキリストがパンとワインを
弟子たちに分け与えた
という行為に依拠する。





誕生日もそうだが、
クリスマスも
もの心つく頃から
ケーキを欠かしたことがない。

これを幸いと言わずして、
何が幸いであろうか。

もちろん、
ケーキも嫌いではないが、
それが一度も欠かさずに
食べてこれた人生こそが
幸多きものだったと
感謝したいのである。

ひと月も前から
方々からチラシが入り、
毎年、何処のものにしようかと
カミさんとあれこれ審議するのを
恒例としているが、
今年は還暦を過ぎたせいか
昔を懐かしんで
唯一バタークリームがあった
フジヤにしてみた。

幼い頃は、
それが主流であったし、
チョコレートや
生クリームが出てきたときには
驚いたものである。

亡父は子ども二人を喜ばそうと、
毎年、ホールのアイスケーキと
二種類買ってきてくれた。

子どもたちがいた頃には、
さすがにその真似は
できなかった。

懐かしのバタークリームは
昔よりは断然軽く仕上がっていたが、
アフターフレーバーに
フッとバターの香りが鼻腔に抜けた。

昔風レシピに合わせたのか、
ジェノワーズ(スポンジ)は
いくぶんパサつき感があって、
あいだのコンフィチュール
(アプリコット・ジャム)も
垢抜けない昔感があった。

フジヤの現代レシピは、
ふんわりした軽さがあるので、
やはり昭和世代を意識した
創りなのかもしれない。

カミさんは
「やっぱり、重いねぇ・・・。
 ひとつで、たくさんだわ・・・」
と、珍しく
オカワリしなかった。

「あとは、オトーサンよろしく・・・」
と託されたので、
今日、明日と
チビチビと片付けなきゃである(笑)。

ランチのデザートにした後、
近所のエクセルシオールに
散歩がてらエスプレッソを
やりにいくのも
クリスマスっぽくていい鴨(笑)。





朝刊の県内版に、
発達障害が小中高で
9.300人ほど見られるという
県教委の調査結果が出ていた。

ただ、
正式に医師が診断したものでなく
学校での様子を観察してのものだが、
おそらくSCのアセスメントに拠るのだろう。

「医師法」「心理師法」では
「診断」は医療行為なので、
心理師は「アセスメント(心理査定)」と
言わねばならない。

院の師匠だった
MD(医学博士)の市橋先生からは
「DSMやICDという操作的定義の
国際的な診断基準によって
『診断』が一般にも解放されたんだ」
と教わったが、
さすがに学校教員が
「診断」という言葉を
口にされると抵抗があり、
それを改めさせている。

朝刊記事でも
「判断」としているが
それなら妥当であろう。

もっとも、
何をもって判断したのか、
「それらしい」では
科学的ではなく恣意的であり、
その程度の「疑い」で
障害者差別法の合理的配慮の
対象になるからといって
配布される告知マニュアルで
拙速、軽率に学校から
「告知」されては問題である。

「障害受容」は
当人や保護者にとっては
ナイーヴな問題なので、
ファミレス・アルバイターの
接客マニュアルのように
済むことではない。

それこそ、
ケース・バイ・ケースである。

たしかに、
適切な特別支援を享受するには、
当人や保護者が
「障害」を認めることから
出発するのが前提だが、
その「告知」「受容」というのは
一様に一筋縄ではいかないのである。

「障害」という言葉が
重くのしかかってきて、
保護者は涙し、当人も当惑するのが
少なくない。

ともすると、
教育現場では
SCという専門家に
その役目を期待されたり
負わされたりする場面が多く、
我われも細心の注意を払い
苦慮しながら対処している。

シゾ(統合失調症)や
デプ(うつ病)であれば、
すぐに保護者を召喚して
病理説明・心理教育をして
病院へ送るが、
こと「発達障害」系は
それを「個性」と開き直られて
学校側と関係性が悪くなることも
ままあるのである。

まずは、
『対応ハンドブック』なるものが、
手許に届いてから
検討することにしよう。

場合によっては、
市教委主催の連絡協議会で
問題提起して
議論する必要もあるかと思う。

教育行政側の
スクール・カウンセリング担当は、
2年ごとに交替する
「当て職」的立場なので
専門的見地に欠けることが間々あり、
これまでも随分と
不満を伝えてきた。

あんまり憎まれ口をきいてると
BLに載って仕事を干されるかもなので、
近頃では大人しくしているが・・・(笑)。














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