私が小学生の頃、実母は何を考えたのか、友人から小さな食料品店を譲り受けた。
私は、毎日おいしいお菓子が食べられると大喜びだったが、
親戚たちは、元々お嬢様育ちの母に商売は無理だと思っていたらしい・・・。
その予想通り母の店はいつも大赤字で、当時サラリーマンをしていた父が損失分を補填して、ようやく、どうにかこうにか営業していた。
お人よしの母は、まだ消費期限が3日も残っている厚揚げをお客さんにタダであげたり、
オマケといって、小さい子供には必ずグリコのキャラメルをつけてあげたり・・・
とにかく売り上げ等は、全く気にせずに大盤振る舞いするものだから、儲かるわけがなかった。
その母の店で、小学生の私と妹は、家の手伝いと称して牛乳配達をしていたのだが
ある時から、
「もうしなくていいよ、牛乳配達はヤッチャンにやってもらう」
そう言って母は、
配達を近くに住む小学4年生の小さな男の子と交代させた。
そのヤッチャンというのは、
父親が窃盗など何度も繰り返すような札付きのダメ男だった。
母の店に、遊び仲間のヤクザと2人でやってきては、
買い物するふりをして、
店頭でバラ売りしているミカンをポケットに入れ知らんぷりして帰ろうとするのを、
気付いた母が呼び止め、
「盗ったものを出しんさいっ!」
と言って諌めたこともあった。
それなのに、
「なんで、ヤッチャンに頼むん?」
と訊くと、
「ヒイちゃんが、気の毒だから」
と母は言う。
ヒイちゃんというのはヤッチャンの母親である。
「なんで、気の毒なん?」
と訊けば
「生活が大変なんよ」
とのこと。
ヤクザな父親は、今でいう妻子へのDVだけでなく、生活費を入れずにパチンコ屋に入りびたりで遊びまわっているという…。
ヒイちゃんと呼ばれるその30そこそこの母親は、
いつも着古したような地味な服装で、浮かない表情で買い物に来ていた。
子供の私にも、その生活の困窮振りは化粧っ気のない土気色のこけた頬から想像できた。
その一家とは特別親しい関係ではなかったが、
母の勧めもあって、
ヤッチャンは家計を助けるため、毎朝早く店に来ては、
重い牛乳を20本ずつ麻の布袋に入れて、両手に持ち100軒近くを1時間かけて歩いて配っていた。
配り終わると母からバイト代をもらい、ついでに期限切れの近い食パンや、売れ残りの黒い点が出始めたバナナなどをよく貰って帰っていった。
それは、彼が中学を卒業するまで続いた。
そのヤッチャンの名前を再び聞いたのは、私が大学1年の夏休みだった。
町内の盆踊りの会場から、息を切らして帰ってきた私の二つ下の妹がいきなり
「おねえちゃん!たいへんなんよぉっ!」
と言って、泣きじゃくりはじめた。
どうしたのか、と訊くまもなく
パトカーのけたたましいサイレンが鳴り響き、近所の人たちの下駄の音が大急ぎで会場の小学校に向かっているのがわかった。
私も、大慌てで会場へと走った。
小さな町の小さな学校の薄暗い校庭で、赤いパトカーの点滅と大勢の人のわめき声、
そして、わめき声の中心には一台の軽乗用車がエンジンをかけたまま停まっていて、
その車を取り巻く輪の中央には、
うずくまって「イタイイタイ」と唸っているおばちゃんと、
そして車の下敷きになって苦しそうに喘いでいるおばちゃん・・・
二人とも母の店の常連の顔見知りのおばちゃんたちだった。
それを見ても、どうすることもできないで、
ただただ
「がんばりんさい、いま救急車がくるからね」
と声をかける、母をはじめとする近所の人たち、
そしてその前で地べたに座り込んで
「おばちゃん、ごめんね、おばちゃん、ごめんねぇ、ごめんねぇ…」
と泣きじゃくるヤッチャンの姿があった。
救急隊がかけつけて、車の下敷きになっていたおばちゃんが助け出され救急車で運ばれた後
ヤッチャンは、相変わらずしゃくりあげながら警察からの事情聴取を受けていた。
ヤッチャンは、知人の車を校庭の片隅で乗り回していたらしい。
校庭は盆踊りのため、当時は車の乗り入れが禁止されていた。
妹たちが注意しても、少し離れている場所だから大丈夫だと思ったのか、
未成年で無免許のヤッチャンは運転操作を誤り、盆踊りを見ていた近所のおばちゃんたちの輪に突っ込み、轢いてしまったということだった。
妹は、近所のおばちゃんが下敷きになった姿に相当ショックだったらしく
「あんなに注意したのに・・・」
と泣きじゃくっていた。
その後、思いのほか怪我が軽く近所のおばちゃんたちは3か月ほどで退院したと聞いているが、
加害者のヤッチャンはどうなったか・・・。
母たちが、地元の婦人会などに働きかけて、
少しでも罪を軽くしてもらうための嘆願書を提出したという。
「なんで、そこまでするん?」
と訊くと、
「あの子は、本当は母親思いのいい子なんよ」
と母…。
ふと今朝、母の遺影を拭いていて思い出した。
あれからヤッチャンは、どうしたのだろうか。
更生して普通のオトナになってくれていれば良いけれど・・。
今となっては、知るよしもないが・・・。
しみずゆみ
Like your mother loved you