声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

自衛官の結婚

2013-01-01 17:15:15 | 自衛官時代の想い出
年が明けましたが、喪中の我が家では大声で
「おめでとうございます」と言えないのが、例年との違いでしょうか…。(^_^;)

とはいえ、元日の楽しみでもある実業団駅伝観戦では、1時間以上も前から
沿道に並び、
6区を走る注目の柏原選手を間近に見ながら、誰よりも大きな声援を送って帰ってきたところです。

遅ればせながら、いつも
こんな拙いblogを読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

今年もよろしくお願いします。



さて、伊丹駐屯地での生活については
12月10日までの、blogに書きましたが

書き記すという作業は記憶の風化と脳の老化を防ぐための作業であることには違いないようです。

その作業中に気づいた事があります。

当時はあれ程「しんどい」と
思っていたのに今は何故か、辛いことよりも、
「あの頃は楽しかったなぁ…」
と思う事の方が圧倒的に多いのです。

特に団体生活は、確かに鬱陶しい
と思う事もありましたが、淋しいと思うことは一度もなく、
とにかく賑やかで、楽しいものでした。
一生の友も、できました。


ユリちゃんは同期ですが、同じ居室で
暮らすようになったのは伊丹駐屯地か
らです。

通信隊勤務の彼女は、山口県出身で
その隣の島根県益田市出身の私とは
方言に共通点が多く、すぐに意気投合しました。

小柄で少しウェーブのかかったショートの髪に、小さめの可愛い口元、
そして大きくてクルクルよく動く目、

白眼が少なく瞳が大きくていつも潤んでいるような眼が魅力的な少女でした。

彼女は現在、「防衛技官」として中部方面総監部に勤務しています。

彼女が普通科連隊に務めるAさんと結婚
したのは私が自衛官を辞めた後でしたが、
しばらくは共稼ぎをしていたように
記憶しています。

この自衛官同志の結婚というのは、
大変な覚悟が必要な事なのです。

同期にも何人か自衛官夫婦がいますが
夫が沖縄で妻が北海道、という別居婚も珍しくはありません。
何かと家庭を犠牲にせざるを得ない事情も出てくるのです。


ユリちゃんが自衛官を辞めて、現地採用で転勤のない技官になったのも、
家庭との両立を考えた事からではないかと思います。

結婚して30年になる彼女には一女一男
があり、
娘さんは看護師、息子さんは自衛官で東日本大震災でも
災害出動任務に携わったそうです。

震災直後は、群馬県の被害状況を気にして何度もメールをくれましたが、
阪神大震災を経験しているだけに、
心配で仕方がなかったのでしょう。

普通科連隊の自衛官だったご主人は
私より1、2歳年下だったかと思いますが、今は定年退職して、
第二の人生を歩まれていると昨年の年賀状で知りました。


結婚して自衛官を辞めた後、
通信隊でそのまま技官として残ったのは、215名のうち彼女くらいでしょうか…。

地に足をしっかりつけて、着実に仕事と家庭を両立させているようです。

彼女の勤務先では、通信隊を対象に行
われる電話応対コンクールがあると聞いた事がありますが
そこでも、常に上位に入る程の実力の持ち主です。

伊丹駐屯地に電話すると、彼女の声は
すぐにわかります。
落ち着いた柔らかい美声で、安心感を与えてくれる対応です。

自衛官を辞めたあとの人生は様々ですが、
次回は退職後の人生についてお話ししますね。





コメント (2)
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前代未聞の珍事

2013-01-01 00:00:00 | 自衛官時代の想い出
陸上自衛隊では、女性隊員を
通称WAC(ワック)と呼びます。
英語でwoman army corpという、婦人自衛官の略です。

陸上自衛隊朝霞駐屯地は
練馬区大泉学園にありますが
隣の埼玉県和光市にもまたがる広大な敷地を持っています。

ここには、オリンピック選手を輩出している自衛隊体育学校や
マーチのCDを何枚も出している陸上自衛隊中央音楽隊、

それにエリザベス女王などVIPの
来日時に栄誉礼で迎える重要な役割を
担う儀状隊、302保安中隊など
有名な部隊もあります。

日本一大きな駐屯地です。

婦人自衛官教育隊は、
それら精鋭部隊の所属する駐屯地の
一番奥に位置していて、

WAC24期の私が入隊した当時は、
木造2階建ての建物は戦時中、
兵舎として使われていたという古い
建物でした。


緑で囲まれた敷地の境界線には
有刺鉄線の柵が張り巡らされ、

その向こうには今は使われていない
元米軍の基地だった広大な敷地と建物が見えます。

車の音も聞こえないほど静かで、
木々には鳩が巣を作り、
一日中クックルクックルと鳴いている
のどかな場所でもあります。

私は今でも鳩の鳴き声を聞くと朝霞駐屯地の夏を思い出しますが、

夏の訓練は、過酷でした。

教育隊に入って1ヶ月が経った頃だったでしょうか、
その日は、とにかく暑くて
水をガブガブ飲んでも、とめどなく汗が出てきます。

誰かが、
「ねえ、シャワー浴びたいね。」と言い出しました。

ねえ、と声をかけられ、

「ほんと!もう限界だよね、」

と意気投合。

同じ区隊の仲間、15~6人でシャワーを浴びて帰ってくると、
班長が顔をこわばらせて立っています。
「お前らっ!
いったい何をしてきたっ!!」

直ちに、その事実が区隊長に報告され
私は仲間たちと一緒に、呼ばれました。

「どいつもこいつも、ここを何だと思ってるっ?!
しかも、成績優秀なものばかりがなんという、不謹慎な事をするんだ。
えっ?お前達は自分のやったことが、
わかっているのか?!」

「ここが戦闘地だったらどうだ?
戦闘中に、シャワーを浴びる馬鹿が
どこにいるっ!!前代未聞だぞ!」

血走った区隊長の目は、一番の年長者である私に注がれていました。

ほとんどが18歳の同期たちの中で
22歳の私は、お姉さん的な存在
だったのです。

私が率先してやったのだろう・・・
と思われたのでした。

率先したわけではないけれど、
やはり年長者の責任は重いという
ことで

その事件以降、
私は区隊長から完全にマークされるようになったのでした。(~_~;)




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