遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   朝 お風呂で踝を磨いていました。浮腫みもしだいにとれてきてよかったなぁと足をさすっていたとき、不意にいとしさがこみあげてきて、まな裏が熱くなりました。身体をささえさまざまな人の出会いにわたしをはこんでくれた脚、覚束ないながら四人の子どもを育て上げたこの掌、おおくのものを抱きとめた腕.....湧き上がる身体への感謝に我をわすれ撫でさすっておりました。

   わたしは自分の身体をいとしいなどと思ったことはありませんでした。それは少女時代に植えつけられたものかもしれません。父やおさだ叔母のことばの端々から女の身体は不浄というイメージがしみこんだのかもしれません。それとともに聖書の禁欲的な考え方、肉欲をともなう身体のイメージ、また肉体をコントロールする精神という考え方....次第に身体は精神に従属するという誤った観念に深く考えることもなく陥っていた.....

   そんなことを思いながら身体を抱きしめていたとき、深い水底から記憶が甦ってきました。.....春でした。黄色の花が風に揺れていました。由紀ちゃんのおばちゃんが妹のヤスコの足をこんこんと湧き出る清水で洗っていました。「やっちゃんはいい子ね。ゆきとようこちゃんはぐずぐずいうけれど....」...わたしはゆきちゃんのおばちゃんはヤスコのほうがすきなんだ.....と思いました。

   夏でした。母が柱を背に蹲って泣いていました。秋でした。母は登校班の上級生たちに鉛筆をくばっていました。手に握られた鉛筆の束、母は越境入学させたわが子の打ち解けないようすや機転のきかないこと、なにごとにつけ行動がおそいことを心配したのでしょう。....けれども鉛筆を配ることはわたしにとって恥ずかしいことでした。

   冬でした。ねんねこにくるまれ母におぶわれてわたしは長嶋医院に行きました。母の背のぬくもり....と幼稚園なのにおぶわれているという恥ずかしさががわたしをつかんでいたたまれなくさせわたしはねんねこの襟に顔を埋めていました....たくさんのたくさんのことが思い出されてわたしを揺さぶります。近所のお母さんだち、由紀ちゃんのおばちゃん、チエコちゃんのおばちゃん、直ちゃんのおばちゃん....昔の女のひとたちは今の女のひとより高く澄んだ声をしていたように思います。

   それらの記憶のなかの5.6歳のわたしを捕えていたのは、愛されたいという想いと焼け付くような恥の感覚でした。筋肉組織の神経は過去のトラウマを記憶するといいます。わたしは自分が身体を受け入れたことで、それらの記憶が封印を解かれてあふれてきたのだ....と思いました。こんなふうに夫の体にも、娘の身体にも過去の記憶が刻まれている、すべてのひとたちの身体に....それはとても不思議なかなしいうつくしいことのように思えました。

   お風呂の澄んだお湯.....地球上の水の量は何億年も変わることがないそうです。空から落ちてきた雨は地にしみこみ、川を流れ動物や植物の体内をとおり、川となってみずうみとなって海となって、蒸発しふたたび空に還ります。この水の旅は平均して28日だそうです。水は輪廻を繰り返しているのです。

   そしてひとは....ひとも生まれ変わり、死に換わりして輪廻転生を繰り返しています。今世の記憶のまえに膨大な記憶がある、なぜかそれを表面上はリセットされてこの地上に戻ってくる.....水はどうなのだろう....蒸発するとき地上の穢れをすててゆけるのだろうか.....このわたしが浸かっている澄んだ水のひとつぶひとつぶはどんな旅をしてきたのだろう.....かつてシーザーの体内を流れたことがあったやも知れず、黄河をミシシッピーを流れたこともあったであろう....氷河に眠っていたこともあっただろう....

   わたしたちもそのようなものなのかもしれない。一にしてすべて、いつかみなもとに帰りまた旅を繰り返す。生きることは....汚れ穢れを消していくことかもしれない....そのためにかなしみや苦痛や喜びがあるのかもしれない....

   朝 お風呂のなかでそんなことを考えておりました。



   

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