海へ行くはずであった。大洗の海へ....
ところが夫の気まぐれで というか 最初からそのつもりであったのか 行き先を変更して 会津にゆくことになった。会津は今年一月 亡くなった義父の故郷である。今まで書いてきたように 福島飯舘が夫の出処であるが なかなか込み入った家系であった。
祖父の直市は 会津鉄道の工事を請け負った福島でも一、二の土建屋であった。会津田島から会津高原までの工事のとき 直市は田島の旅館に泊り込んで工事の指揮をとっていたのだが その旅館の娘といい仲になり飯館に連れ帰った。ところが直市にはすでに妻がいたので妻妾同衾ということになった。正妻には娘がふたりいたが 男子はいなかったので 田島から弟を呼び 長女と娶わせ 跡継ぎにした。ところが長女が結核で世を去り 次女がのち添えになった。この鶴さんが夫の母である。鶴さんはそのとき ひそかに想いを寄せていたひとがいたらしい。
今日は その元旅館の夫の従兄を訪ねたのである。会津西街道には鬼怒川から入った。花さんざめく春と紅葉の秋はじつにうつくしい街道であって わたしはこの道がすきである。けれども 途中 眼がシバシバしたり耳がイタクなったところがあった。このうつくしい山河にも放射能が降ったのであろう。荒海 アラカイ と読む。このあたりらしく 酒屋で好物の酒 男山を二本くくってもらった。大きな家だった。義父の葬式ではじめて会ってすっかり気に入ってくれた叔母さんはねぎを植えに畑に行っていなかった。息子さんが迎えに行ってくれ 軽トラを運転して畑から戻ってきた叔母さんとわたしはハグした。
会津の女は強い。秩父の女もつかたくよいけど。.... わたしは男気があってやさしい そんな女のひとがだいすきだ。鶴かあさんの人生も叔母さんの人生も 妾になった 伯母さんもたいへんな人生だったと思う。でも... みんな 運命を抱きしめて生きた、たたかった。わたしは会津の出ではないけれど おとこ気のあるそしてやさしいつよい女でありたい。....そう思う。
叔母さんと別れて 道の駅たじまで昼食をとった。喜三郎 というそばやであったが その佇まいから予感どおり 売り物とは思えないほどのいただけない蕎麦だった。ラーメンもすっぱかったとのこと。
そのあと 二荒山神社中宮祠までと思ったが 遠すぎるので 瀧尾神社に向かった。世界遺産東照宮あたりは日曜でもありたいへんな混雑だったが奥まった瀧尾神社は 緑のしじまにしんとあった。先月の参拝のとき つかわせていただいた杖かわりの木の枝が 石にたてかけてある。ありがたく手にして 石段を登る。すぐと樹齢千年はあろうかと思われる木肌に苔むす杉の巨木がある。ひたひたと杉の大木から氣がつたわってきてありがたく瞑目する。
自分のことをお願いすることは滅多にないのだが この世での役目を果たさせていただけるようご守護を祈った。子どもの戦争全五回 御心に添うように 聴き手のみなさまとえにしをむすべるよう 祈った。子種の石 に どうか ひのもとの国に 子どもがたくさんさずかりますように祈った。
瀧尾神社は 瀬織津姫 を 祀る神社であると思う。ご祭神の田心姫は 宗像三女神のおひとりであるが宗像三女神はもともと一神であられた。熊野のまことのご祭神は瀬織津姫といわれているが 本殿のひだりがわのひろばのようなところの氣が熊野 大斎原の氣に似ている....とてもなつかしい.... 大地の下から脈動を感じる。
今回 はじめて しらいとの瀧をしみじみと見た。
世々を経て 結ぶ契りの 末なれや この瀧の尾の 瀧の白糸
瀧神としての むすひの神としての 瀬織津姫神をつよく 感じた。眼をつぶると 白く輝くお姿が髣髴とした。
http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/18713111.html