ノートを整理していて 一冊のノートをひろげて読んでみたら 夢中になってしまい 読んだあとで伯家神道の研修のノートと気づいた。伯家とは 皇室大嘗祭のもっとも大事な儀式“祝(ほふり)の神事”をつかさどる唯一の家でした。京都明治天皇はその儀式をなさっただろう。だが東京明治天皇はわからない。少なくとも 大正天皇 昭和天皇はなさっていない。なぜなら白川家は滅びたからです。
メモから
1 『こと』 はひとりでにおきない 。祈り 信じ 行動する渾身のちからでことにあたったとき 扉がひらく。
2 『ことたま』 とはことば・文字にあるのではなく そのひとの魂が息となって発せられたときに 聴くものの魂にひびくことたまとなる。
安倍首相や 菅官房長官は 魂が息となることばは発していないから心に響かないのでしょうね。
「言葉には現実の出来事を引き起こす力がある」 日本人は昔から そのように感じて生きてきた。ゆえに 祝詞奏上も一言一句間違えてはいけなかったし 万葉の昔 「言」と「事」は同じ意味だった。
安倍首相を称して 「息を吐くようにウソをつく」 と 巷で言われるが 国のおおもと 国の『事』を決める 首相や官房長官 が まつりごとにおいて 日常的にウソをつくようになったら ことたまのさきはう国 は おしまいだ。
伯家の予言。“祝(ほふり)の神事を行わない天皇の治世が100年つづくと国体は滅亡する”
昨年か一昨年 ぎょっとしたのですが 3.11は大正天皇ご即位から100年目にあたるのです。3.11のときも数えてたのですが そのときは99年後だから予言は当っていない と思ってしまった。
3.11 東日本はなくなるはずだった。フクイチの吉田所長も東日本はもうダメだと観念したと報告書に書かれている。しかし 犠牲は多かったが 神一厘の仕組みが起きて助かった。フクイチの工事が遅れていなかったら 東海村の防潮工事が3.11寸前で終わっていなかったら 東日本 首都圏 全滅だった。
放射能の被害は甚大でそれはまだ続いているし ベラルーシの20年後を見るとき 日本の正念場はこれからだと思う。
神は一度は救ってくださったが これからはおまえたちの番だ。 祈り 信じ 行動せよ とおっしゃっているのではないか と わたしは感じる。
わたしはなぜかわからないが 2010年5月 筑波山神社に詣でたときから 「どうか日の本の国をお救いください この地をお守りください」 と祈るようになり 毎週茨城北部の神社をたずねては 祈りをつづけた。自分でもわからないなにかのちからに押されて。(今は日の本の国をまもってくださってありがとうございます。日の本の国の子どもと水をお守りくださいと祈っています)
そのような日本人はほかにもいた いると思います。今は千載一遇のときなのです。ひとりひとりが鏡を見るように己を見て ただすことが あたらしい日本へむかってゆく。これからたいへんな時代がくる。 だがあきらめてはいけない。祈り 信じ 渾身のちからをこめ 行動すれば 扉はひらく。
しばらく ブログが滞っていたのは 行動にシフトを移したからでした。ふたたび行動に全力を傾けますが 時間があればブログを書きます。みなさまがミチをたゆまずゆかれますよう祈ります。