…ビョルンアンドレセンの伝記映画のレビューを見ていたら あっ と思った。ベニスに死す で ドラマティックに私たちの前にタッジオことビョルンアンドレセンが顕れたのは1970 年だった。そして 少女漫画の革命 おもに花の24 年組の活躍はまさに1970年代にはじまった。
それぞれの作家の切り口は違った。少女の代わりに少年に語らせる 少女の男装 また壮年に愛される少年 いずれの場合も 少女と見まごうばかりの瑞々しい少年 あるいは少年のごとき凛々しい少女が 織りなすものがたりが読者をときめかせたのは事実である。そのなかで いくつかの作品は 少年や少女の成長を描きながら 普遍的なひとの存在の意味とはなにか まで昇りつめた。まさに作家にとっても読者にとっても稀有な幸せな時間だった。
それが ひとりの美少年の出現に 触発されたためだったかも知れない、そしてその少年が性的に搾取されていたと知ったとき あの熱狂的な時代の底流にあったのが赫きばかりでなく翳りをも含んでいたことに 今更ながらうなづくのである。
当時 わたしは 小説ベニスに死すと映画は別物だとかんじていたし 丸山明宏を五十年以上前見た子どもの頃とおなじような 羞恥を感じずにはおれなかった。それは魅力的ではあったが 隠微な思わず目を背けさせるものであった。その感覚は 間違ってはいなかったと はっきり思う。今 世界を支配しているひとたちは男同士の愛が好きのようである。ヒルゲイツもオハマもお相手は女装した男であるし ヒルクリントンは女装がお好きなようである。
わたしは同性のカップルが幸福になることを祝福するが 神が仰せられたことばもまたおもいだす。 「生めよ ふやせよ 地に満てよ 」 世界中の昔話に 子供のない親に子供がめぐまれるものがたりがあるのは何故か? それが天の摂理だからだ。単純なことなのだ。男同士では子どもは生まれない。
彼らは 根絶やしにしようとしている。ジェンダーフリーというわけのわからぬ呪文によって 化学という医学といういかがわしい魔術によって……。
胎児にも 幼児にも 滅びの魔術をかけようとしている。
海の向こうでひとびとは圧政に対し健気に戦っている。日本のメディアはスルスルスルーである。この辛うじて保たれている均衡が向こう側に傾いたとき 多くのひとが病に苦しみ 飢餓に苦しみ 気候の変動に苦しみ 文明は終わる。仕方がないのかな 散々好き放題してきたのだから 彼らに踊らされて。しかし 殺されるのはいやだな
タイトルは少女漫画の進化だが 実態は男側に立ったジェンダーフリーに実は加担し 先鞭を切っていた少女漫画である。諸先生がた 滅びの事実を類稀なる直観で察知していらっしゃいましたら なにがしかの力を振るってください。幼き子らの命のために。