遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



きのう 17歳の硫黄島を読んだ。

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作者秋月鶴次さんは群馬県出身(現在は栃木県)15歳のとき 志願しました。配属されたのは 硫黄島 地獄と呼ばれた硫黄島で 地下壕の猛暑と異臭のなかで6時間片時もレシーバーを放さず 通信兵としての勤めを果たし つぶさに圧倒的な米軍の物量の前に 日本軍が制空権も制海権もなくしてゆくさまや激戦地すり鉢山の死闘を目にしたのでした。 壕が破壊されたあとは負傷した身体をひきずりながら 自らは死ぬまい 生きられるだけは生きようとジャングルをさまよい 人事不省のまま 米軍の捕虜となったのです。翌年1月 日本に帰ってからも秋月さんは死んでいった戦友たちのことを片時も忘れず 書き溜めたものを17歳の硫黄島として出版しました。

 「....昼も夜も変わらぬ暑さだ。まるでオンドルが全開しているようだ。汗が糊となって身体中の布を吸いつける頭から煙が上るように湯気が立ちレシーバの押さえる耳の感覚が薄れ腎部が痺れてくる、通信科の隅にはバケツの水が用意されていた。常時、水番が見張っている、一度に小さな茶碗に一杯だけ飲めることになっている、水を飲むと汗が倍加するので控えたいがやはりなによりも水が飲みたい。一度でいいから思い切り飲みたい。バケツの水は、水と言っても名ばかりでしょせん雨水だし、硫黄ガスの独特な臭気と室温を溶かしこんでいる、ゴミや微生物も見え隠れしていた、食事も握り飯がひとつきりだった。」

とうとう米軍上陸 侵攻がはじまる。

「前線陣地からの状況連絡員がきた。彼は米軍上陸以来何ひとつ口にしていないという。食べ物が欲しい、死傷者が続出しているから増援がほしい。弾薬がない。素人の手も借りたい。悲痛な訴えであった。その連絡員を見れば、両手首から先がない。足のある者は弾薬運びを、片手の者はその片腕を使って、兵器を修理しながら奮闘しているのだという。.........増援を頼みます、とその手の無い連絡員は懇願した。さっそく 本部に連絡した。 増援はない。突撃は好ましくない。夜間切り込み作戦により被害を増すより、地下陣地にて持久戦を択び、各自 陣地を死守せよ、との返事だった。わかりました、とにかくそこを墓場として死ねということか.....仲間が今かまだかと待っているので帰ります。....男はちいさく細い病人のような、今にも倒れそうな足取りで戻っていった。」

「一分経過するごとに三人が死に、一メートル進むたびに一人が死ぬ。日本軍の防衛拠点となったのが、島一帯に無数に築かれた全長18キロの地下壕。内部の気温は昼夜問わず40度近くあり、排せつ物や死体の腐乱臭で満ちた。硫黄島の戦いは、敵に接近された時に応戦する持久戦で、本土への攻撃を一日でも遅らせるためのものだった。敵弾が命中すると辺りに肉片が降り注ぎ、「おっかさん」との叫び声が上がった。投降するよりはと死を択ぶものも多かった。銃声一発でひとり死んだと思った。」

「耐久試験だ、これは 人間の......。でも頑張るんだ、このことをだれかに言うんだ、と思った。だから俺は生きなくちゃなんない。......」

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2006年NHKスペシャル 硫黄島玉砕で...

「死んでね 意味があるんでしょうかねえ。どうでしょうねえ。だけど無意味にしたんじゃかわいそうですよね。それはできないでしょう。”おめえ 死んで意味なかったなぁ.......”っていうのでは、酷いですよね。家族に対してもね。そして、どんな意味があったかというと.........これは難しいんじゃないですか? まあ、(死んだ戦友たちに対しては)俺はこういう生き方しかできなかったんだ。勘弁してくれって言うだけです。これで許してくれ、 これで精一杯なんだ、と」

オンエアされなかった秋月さんのことば

どんな意味があったか それは難しい。でも あの 戦争からこちら六十年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねぇ、と言ってやりたい。」

 

 

 日本軍二万二千人のうち 生き残ったのは千名あまりだったという。硫黄島で硫黄島は自衛隊の管理下におかれ 一般人は入ることができない。まだ一万人以上の遺骨がジャングルのなかに眠っている。



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