東海道と中山道の分岐点にあたる交通の要衝である。現在本陣が修復され当時の姿を今に伝えている。現存する本陣としては全国でも最大級である。多くの諸国大名や幕府役人が宿泊した「大福屋」には、「忠臣蔵」の吉良上野介の名もある。
草津本陣は、20年前までは、14代目の当主が住んでいたそうであるが、今は文化財として保護されている。
追分を過ぎる、琵琶湖に注ぐ瀬田川の瀬田の唐橋を渡ると、JR石山駅で、ここで街道は鉄道で一旦分断される。唐橋の右手に琵琶湖が広がり、その湖岸に沿って街道は北上する。JR石山駅には芭蕉の像が立っている。途中の義仲寺には芭蕉の墓もある。
二束三文の語源「三文」は、江戸時代のお金の低い単位。二束でも三文という僅かな金額にしかならないことと「二足三文」と書くこともあり、草鞋の値段が、二足で三文の値段であったことに由来する。
大津宿迄は14.3kmの道程である。
広重の絵は「草津・名物立場」の図である。草津名物・うばがもち屋。その起源は諸説があるが、近江の所司代になった織田信長に滅ぼされた近江源氏佐々木義賢の3歳になる曽孫の乳母福井とのが、郷里草津に身を潜め、育てる手立てとして、幼児を抱いて餅をつくり、売ったのが、誰いうとなく姥が餅と言うようになった。右に描かれた道標には「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」と刻まれている。やばせは、近江八景の一つ、矢橋の帰帆で有名な矢橋港である
春の七草「芹(せり)」
今日1月7日は七草を食べた。
田や湿地に自生。
・1ヶ所に「せり」(競)合って
生えることから「せり」。
・食べられます。おいしい。
・春の七草のひとつ。
・食の味を味わうのは主に春だが、
花は夏に咲く。
白い小さな花が多数集まる。
・「丈夫(ますらを)と 思へるものを
大刀(たち)佩(は)きて
かにはの田井(たい)に
世理(せり)ぞ摘みける」
万葉集 薩の妙観の命婦
(さつのみょうかんのみょうふ)
「あかねさす 昼は田たびて ぬばたまの
夜の暇(いとま)に
摘(つ)める芹子(せり)これ」
万葉集
葛城 王(かずらきの おおきみ)
(季節の花300より)