江戸期の小山市域は日光街道の宿場町、あるいは、江戸川に通ずる思川の舟運によって栄えることになる。思川の河岸である乙女河岸は世に言う「小山評定」(関が原の合戦のため奥州征伐をやめ、西に向かう評定をしたこと)後、兵馬の運搬に使われ、以降、幕府の厚い恩恵を受け日光東照宮造営のための資材船下ろし場となるなどして発展した。
人口244人、家数59軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒 その昔は芋柄新田と言われていたが宿駅となり新田宿となった 宿の入口は日光山、赤城山などが見え眺望よしと言われていたが今は眺望悪し
新田---銅市金属工業前---小山用水路---一里塚---小金井宿迄は 2.9kmの道程である。
旧日光街道は、県道265号線→住宅地一般道、の経路となる。
小山宿は元和3年(1617)宿として成立し、北関東の交通の中心として発展した。
宿内の長さは南北約1.4kmで残らず町並みを形成していた。
また小山城の城下町でもあった。
小山城は平将門の乱を鎮めたいわれる藤原秀郷を祖とする、
小山政光が久安4年(1148)に築城したのが始まりで、
その後11代義政が城内に祀られていた祇園神社から名をとって「祇園城」と改名した。
その後小田原の北条氏の支配下に入ったが、
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅びるとともに、
11代政種も城を追われ約450年続いた小山一族の幕は閉じられ、祇園城も廃城となった。
新田宿本陣跡青木家の木の門
冬の花「カラン」
秋から初冬にかけて咲く。
(温室ものは春まであるようです)
・葉っぱは多肉質。花色が鮮やか。
・アフリカ東部のマダガスカル島を
中心とした、熱帯地方原産。
・別名「紅弁慶(べにべんけい)」
赤く強壮な花なので。
・3月21日の誕生花
・花言葉は「幸福を告げる」
(季節の花300より)