人口947人、家数175軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠50軒
宿内は日光側を上町と呼び、中町、下町と続いていた
芭蕉は二日目の夜にこの宿に泊まったのだが場所は定かではない
間々田---西堀酒造---栗宮---小山宿まで 6.2kmの道程
間々田の名前は、古くは真々田、儘田とも書かれたともいう。間々田宿は江戸および日光から11番目の宿場にあたり、距離的にも18里(約72km)の中間点に位置していた。間々田宿は元和4年(1618)に宿駅となり、奥州大名の参勤交代に利用され、
また壬生通りの日光参詣する大名や旗本にも利用される、位置的に重要な宿場であった。
恩川の乙女河岸は江戸時代米の積出などの物資輸送の重要な役割を果たしていた。
天保14年(1843)の記録では、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠50軒とある。
街道の名物として、鎌倉時代のの伝統を引き継ぐいだ間々田紐があり、
帯紐や羽織紐など民芸品として珍重されている。
乙女一里塚
冬の花「プリムラ」
開花時期は、12/10頃~翌5/15頃。
・「西洋桜草(せいようさくらそう)」は
野生の桜草の園芸品種で、プリムラの一種。
別名 「マラコイデス」、
「乙女桜(おとめざくら)」。
マラコイデスの名前がよく知られていますね。
(季節の花300より)