小山は鎌倉時代、鎌倉幕府の有力武家 藤原秀郷流小山氏の居城、祇園城(ぎおんじょう)の城下であった。しかし、室町時代に入り幕府が京に移ると守護の地位は国司・宇都宮氏や関東管領・上杉氏に授けられ、ようやく守護に復帰した小山善政は宇都宮氏を攻略し、逆に鎌倉府に討伐されてしまった。その後、小山氏傍系の結城氏一門が小山氏を名乗り家は再興されたが、戦国期以降には後北条方に味方した小山氏は後北条氏に滅ぼされ、遺領は結城氏が継いだが嫡子がなく断絶した。江戸時代初期には祇園城に本多正純が3万石で入るが、間もなく16万石で宇都宮城へ移封となり、祇園城は廃城となった。以降、一時、城域の一部は将軍日光参宮のための休憩所「小山御殿」として使われたが、古河藩の財政難のおり廃止されている。
この区間は、2003.11.2 間々田宿に引き続いて歩いた。
旧日光街道は、県道265号線→住宅地一般道、の経路となる。
小山宿は元和3年(1617)宿として成立し、北関東の交通の中心として発展した。
宿内の長さは南北約1.4kmで残らず町並みを形成していた。
天保14年(1843)の記録では、人口1392人、本陣1、脇本陣2、旅籠74軒。
田原藤太秀郷が平将門を追討するために東国に下りここに城を築いた伝承がある 秀郷の子孫である小山氏が城を守り続け、その後は北条氏の持城となった
小山---日枝神社---喜沢の追分---一里塚---新田宿まで 5.0kmの道程。
寺宝院
冬の花「眉刷毛万年青(まゆはけおもと)」
南アフリカ地方原産。
明治初期に渡来。球根植物。
・刷毛(はけ)のようなフサフサの花。
これで眉毛(まゆげ)をふいたら
おもしろそう♪
温室でたまに見かけます。
・葉っぱは多肉質で、ぶっとい。
「万年青(おもと)」の葉に
似ており、そこから花の形状と合わせて
「眉刷毛万年青(まゆはけおもと)」と
名付けられた。
・別名 「ハエマンサス」 学名から。
(季節の花300より)