鎌倉時代から江戸時代の初めにかけては古河公方の家臣一色氏の領地であったが、その後、大部分は天領に、関宿向川岸・槙野地は下総国関宿領となった。このころ、五街道が整備され、日光街道の宿場町として現在の市街地の基盤が形成される
人口3937人、家数962軒、本陣1軒、旅籠27軒
日光街道と御成道との合流地点なので賑わった宿であった
雷電の神体を田の中の社に祭っていたことから田宮という地名だったが、元禄のころ幸手に改名した
幸手---権現堂堤---弁財天・一里塚--- 栗餅屋跡---栗橋 までは、 8.1kmの道程。
日光御成街道の景色
1月に咲いている花「唐綿」
熱帯アメリカ原産。江戸末期に渡来。
・色鮮やかな花。
・傷をつけると白い乳液を出す。
・種に白い綿毛がつくことから
「外来の綿」→「唐綿」になった。
(季節の花300より)