江戸時代、日光街道の宿場町として栄えた。明治時代、廃藩置県により日光県~栃木県となり、仮の県庁が置かれたこともある。明治期以降、周辺農村の中心地として栄えた。近年は、消防署や警察署等が設置され、広域行政の中心地としての役割も担っていた。
人口414人、家数79軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒 上町、下町、下石橋と町が続き当時は繁盛していたが今は車の往来が激しいのみ。宿役を努めていた伊沢諸氏はその昔多功城没落時に土着し百姓となった旧家である
石橋---鞘堂地蔵尊---一里塚跡---陸自駐屯地---雀宮宿迄 5.7kmの道程。
石橋の地名は一説によると、池上明神(現在はない)の前の水が流れるところに、
当時では珍しい石の橋があったところから、つけられたとも伝えられている。
石橋宿は、天保14年(1843)の記録によると、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒で小規模な宿であった。
JR石橋駅風景
冬の花「ヒマラヤ雪の下」
開花時期は、12/15頃~ 4/20頃。
・ヒマラヤ地方原産。明治初期に渡来。
・きれいなピンク色の花。長い間咲く。
・暑さ寒さに強いが湿気を嫌うらしい。
・林下や岩の間で生育する。
・名前は、ヒマラヤ、シベリア地方に多くて
寒さに強く、冬でも常緑の葉を雪の下から
のぞかせていることから。
(または「雪の下科」であるところから)。
・葉は革質で固い。葉や茎にタンニンを多く
含むので、ロシアではこのタンニンを
製革用に使用している。
・何年たっても草姿が乱れないので園芸品種と
して人気がある。
(季節の花300より)