江戸時代には日光街道が利根川を越える要地として栗橋関所がおかれた宿場町であった。国道4号・国道125号・県道さいたま栗橋線等の主要道路が交差する交通の節点である。また、歴史的な地名としての「栗橋」には現在の茨城県猿島群五霞町の一部(元栗橋地区)を含む場合があり、古河公方家の支城・栗橋城は両町の境界線上にある(現在「栗橋城址」とされる史跡は行政区的には五霞町側に所属するが、城の一部は権現堂川右岸である栗橋町側にも及んでいた。)
人口1741人、家数404軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒
利根川の船渡し(房川渡し)の町として賑わった宿場であった
関東の北側に対する警備の要所として関所がもうけられていた
栗橋---中田宿まで 1.8km
古河城史跡
長瀞・宝登山の蠟梅は早咲きが満開で見ごろである。1/16撮影