石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

北欧が上位を独占、中東アラブ諸国はすべて100位以下:報道の自由度 (上)

2020-07-27 | その他
(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0510WorldRank10.pdf

(世界ランクシリーズ その10 2020年版)

  国連などの国際機関あるいは世界の著名な研究機関により各国の経済・社会に関するランク付け調査が行われている。これらの調査について日米中など世界の主要国及びトルコ、エジプト、イランなど中東の主要国のランクを取り上げて解説するのが「世界ランクシリーズ」である。

 第10回の世界ランクは、ジャーナリストのNGO団体「国境なきレポーター(Reporters Without Borders)」(略称RSF)が発表した「報道の自由度2020 (Press Freedom Index 2020)」をとりあげて比較しました。

RSFホームページ:https://rsf.org/en/ranking

1.「World Press Freedom Index」について
 「国境なきレポーター(Reporters Without Borders)」は、1948年の世界人権宣言、及びこれに続く1950年の「人権と基本的自由の保護に関する会議」などで採択された、いくつかの憲章や宣言に触発され、各国の報道関係者が自発的に結成した非政府組織(NGO)である。フランスのジャーナリストが中心となって設立されたため、正式の組織名はReporters Sans Frontieresであり、その頭文字をとってRSFと略称され、本部はパリにある。

 RSFは、世界各国で取材妨害を受け、時には生命の危険に晒されているジャーナリストを保護し、その障害を取り除く活動を行っており、その一環として2002年から毎年、報道の自由度に関する各国のランク「報道の自由の指標(Press Freedom Index)」を公表してきた。この指標はRSFが作成したアンケートに対して、世界各地の表現の自由のための擁護組織団体及び多数のジャーナリストが回答した結果を集計したものである。

 2020年版Press Freedom Indexは世界180カ国の報道の自由度を指標化し、ジャーナリストに対する各国の対応ぶりを評価したものである。今回のアンケートではメディアの独立性、政府機関の透明性など7つのカテゴリーにわたる87の設問に対し、130カ国のジャーナリストが回答したものを統計処理し、各国毎に0点から100点の得点が付けられている。最も自由度が高い場合が0点であり、最悪の評価が100点である。

なおアンケートは毎年行われるため、直近に報道の規制または記者の逮捕などの政府の取材妨害があった国、或いはジャーナリストが誘拐・殺害に遭った国についてはその年のランクが低くなる傾向がある。RSF自身は、このランクは「報道の質」の良否を示すものではない、と断っている。

RSFのレポートでは点数(ポイント)に応じて各国の自由度を下記の5つに分類し色分けをした世界地図を掲載している。

(1)白(薄黄)色:0~14ポイント(Good situation)
(2)黄色:15~24ポイント(Satisfactory situation)
(3)橙色:25~34ポイント(Noticeable problems)
(4)赤色:35~54ポイント(Difficult situation)
(5)黒色:55~100ポイント(Very serious situation)

(続く)

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp
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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(42)

2020-07-27 | その他
(英語版)
(アラビア語版)

第5章:二つのこよみ(西暦とヒジュラ暦)

6.二度にわたりノーベル平和賞を受賞したイスラエルの首相

 世界平和に貢献した者に対して授与される賞は国連平和賞、フィリピンのマグサイサイ賞などいくつかあるが、知名度の高さ或いは歴史の長さなどの点でノーベル平和賞に適うものはないであろう。第1回のノーベル平和賞は1901年、赤十字社を創設したスイス人アンリ・デュナンが受賞、最近では2019年にエチオピアのアビー首相が受賞している。

 この名誉あるノーベル平和賞に二度にわたりイスラエルの首相が受賞している。最初は1978年のメナハム・ベギンであり、この時はエジプトのサダト大統領との共同受賞であった。二人は1973年の第四次中東戦争後、周囲の反対を押し切って和平に踏み切ったことが評価されたのである。二度目は1994年のイツハク・ラビンとシモン・ペレスであり、当時ラビンは首相、ペレスは外務大臣(後に首相)であった。そして彼らと共同受賞したのがPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長である。湾岸戦争後のこの時、イスラエル・パレスチナ間に対話の機運が生まれ、ノルウェーの調停により両者の間にいわゆる「オスロ合意」が締結された。イスラエルとPLOが相互に承認するという歴史的な出来事がノーベル平和賞の受賞理由となったのである。

 歴代のノーベル平和賞受賞者を見ると個人と団体がほぼ半々である。そして個人では平和運動家や哲学家などの民間人が殆どであり、政治家は多くない。まして一国のトップは2019年のエチオピア首相を含めてもわずかである。さらにトップと言っても日本の佐藤栄作元首相のように受賞時はすでに現役を引退している者が大半である。加えてこれら一国トップの受賞者を国別にみるとセオドア・ルーズベルト(1906年)、ウッドロー・ウィルソン(1919年)、ジミー・カーター(2002年)、バラク・オバマ(2009年)など歴代大統領が並ぶ米国を別格として一国で政治家が複数回受賞した例は極めてまれである。

 そのような中でイスラエルのトップが1978年と1994年の二度にわたりノーベル平和賞を受賞したことは驚嘆すべきことと言えよう。さらに驚くべきことは受賞者たちのその後の暗転の歴史である。1978年にベギンと共同受賞したエジプトのサダト大統領は3年後に暗殺されている。そして1994年の受賞者であるラビン首相も2年後に同じく暗殺されている。共に現職の国家元首のまま和平に反対する自国の軍人或いは反対派の青年に狙撃されている。

 そもそもノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルは遺言で、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の消滅・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしとしている。そしてスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を願って「平和賞」の授与はノルウェーで行うことになっている。この結果物理学、化学、生理学・医学、文学、経済の5分野のノーベル賞はスウェーデンのストックホルムで授与されるのに対して、平和賞だけはノルウェーのオスロで授与式が行われている。

 イスラエルとパレスチナの中東和平に与えられたノーベル平和賞とは一体何だったのであろうか。「中東に和平を築く努力に対して」というのが彼らの受賞理由である。イスラエルの政治家3人が国内の根強い反対の中でパレスチナとの和平に大変な努力をしたことは間違いなく、それがノーベル平和賞に値するとの選考委員の判断に異論をはさむつもりは毛頭ない。

 しかし第二次大戦後の中東の平和問題がイスラエルとパレスチナの関係に限定されてよいものであろうか。戦後の欧米の中東論は中東和平即ちイスラエルとパレスチナ(およびアラブ諸国)の和平という視点が強すぎ、そのような中でイスラエルが四度の戦争に勝った事実を事後承認する形で中東の平和が語られている。そこにはパレスチナでのユダヤ人のホームランド建設(イスラエル建国)の結果、中東に四度もの紛争を引き起こした問題を「中東和平」という形に変え、それをノーベル平和賞でオブラートに包もうとした西ヨーロッパ諸国の意図が見透かされる。また1994年の受賞のきっかけとなったのがノルウェーの調停であり、そのノルウェーがノーベル平和賞を与える立場にあったことも何やら自画自賛の匂いすら感じられる。

 確かに第四次中東戦争、そして二度にわたるノーベル平和賞の授与以降、イスラエルとパレスチナ及びアラブ諸国との戦争は無くなった。それでは地域に平和が訪れたかと言えば否というほかない。ラビン首相暗殺以降も中東の平和は悪化の一途をたどっていると言えよう。

(続く)

荒葉 一也
E-mail: areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

ホームページ:OCININITIATIVE 
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