美瑛町に住むようになって、初めて美瑛でお芝居を観ました。
「二十二夜待ち」木下順次作
まるで童話の1ページをめくるようなシンプルなお芝居でした。
正直者の「おばあちゃんと孫息子」と「ならず者」の一夜のお話。
「父歸る」菊池寛作
サーカスの興業のため家の金を持ち出し、女性を作って家を出た父が20年ぶりに帰って来たというお話。
父がいなくても家を支え成長した長男は、家族を裏切って出て行った父を許せず、家に入れません。
出て行った父をなんとか引き戻したい母のために、長男は家に入れるのを許します。
でも、もう父の姿はどこにもなかった・・・・
この旅公演を知った時、故 宇野重吉さん を思い出しました。
がんの宣告を受けてなお、お芝居に掛ける情熱ってなんだろうって、当時思っていました。
舞台袖で酸素吸入しながら舞台に立ち続けた映像も記憶に残っています。
まさに壮絶でした。
宇野重吉さんと共に旅周りした米倉さんは、自分もこういう公演をしたいと望んでいたのだと思います。
わたしは小さい町に育ったので、子供の頃は「○○座」が小学校の体育館で公演に来たのを覚えています。
大きな都市部には、いつでもお芝居や映画、娯楽が多いけれど、小さい町には本当に少ないのです。
北海道の、おそらく演劇の公演など殆どない町にも、旅一座がやってくる。
美瑛町民センターは、満席になりました。
インターネットやDVDなど、地方にいても情報は収集できる時代になりました。
でも生のお芝居って違うんですよね。
全国のいろんな町に自分たちのお芝居を届けたい、と思う米倉斉加年さんの想いが、心に響く舞台でした。
ただ・・・・客席の話声、ひそひそ話、こそこそ話が多すぎて、芝居に集中できなかったのが残念でした。
10/6 仕事を終わらせてから、帯広に向かい、道東小劇場演劇祭を観てきました。
翌日も仕事があるので、北見 劇団動物園 帯広演研 のお芝居は観れず、釧路の北芸「この道はいつか来た道」を観ました。
いつもはスタッフとして裏方に回っているのですが、今回は観客です。
受付には過去に上演されたポスターが変わらずに貼られています。
このお芝居、初演の1998年の時から観ていて、札幌公演の時はお手伝い、東京アゴラ劇場でも韓国でも上演されました。
段ボールを腰にロープで縛りつけた老女と、ゴザを腰に巻きつけた老男。
二人はホスピスを抜け出し、結婚し、「死は痛いものだから、痛がって死にたい」と言い続けるも、死に切れず、7回目のプロポーズをして、結婚して「痛がって死のう」と言います。
老女の身体がだんだん動かなくなり、目も見えなくなり、老男は「痛がったって死ねないのなら寒がって死のう」と言います。
雪が舞い落ちて、背中合わせの二人は、ついに眠りにつきます。
初演の頃、「死が痛いのは、本人では無く、周りいる人たちだ」と思ってホスピス派と言い放ったわたしです。
あれから14年の時がたち、大切な人、お世話になった人など、いろんな「死」がありました。
自分の中にどんな答えも見えないままだけど、この作品が大きくなって行きました。
二人が闇に消えた時、涙が止まらず、ボロボロと泣いてしまいました。
長く続いた北芸さんの活動も、今年11月の釧路公演を持って解散することになったそうです。
釧路の演劇を支えていた老舗劇団も無くなるのかと思うと、とても切なく寂しい思いがします。
座席に座って、客電を見ていたら、「私にもここで情熱を燃やした時代が確かに有った」と確信しました。
人生、順風満帆なんてことは殆どなく、躓いたり転んだりして年を重ねていきます。
前しか向かず突き進んで来て、ふと立ち止まったら若い時がむしゃらに頑張った自分が愛おしくなります。
孤軍奮闘していると思っていても、やっぱり誰かに、何かに支えてもらっているんだなぁ・・・って感じます。
いつもは回収しているアンケート、今回は初めて書きました。
アフタートークの時間まで10分、芝居の余韻が続いていた時、T永氏の司会進行の声が聞こえました。
まだ余韻に浸っていたかったので、ちょっと雑音に聞こえました(ゴメン!)
薦められて観てきました。
久しぶりにシアターキノに行って来ました。
ユーモアにあふれた映画かと思ったら、新法王の心の葛藤を描いた映画でした。
選挙で選ばれた新ローマ法王は、ローマ市民の前で演説をする前にプレッシャーでバルコニーに現れず、その後、お付きの人の目を盗んで逃げだしてしまいました。
そこで多くのローマ市民と触れ合い、自分を見つめ直していきます。
新ローマ法王はチェーホフの舞台が好きでした。
この映画でチェーホフを聞けると思わなかった・・・・
連れ戻された法王がバルコニーに立ち、演説を行います。
わたしはまるでローマ市民になったような気分でした。
なので、最後は茫然としました。ショックでした。
言葉を失う・・・ということはこういうことなのだと思います。
(まだ見ていない人のために、ネタばれしないようにしています)
久々に心にざらつきを残した映画でした。
なぜ、こういう結果になったのが、なぜこういう映画を作りたかったのか、頭から離れなくなりました。
好きか嫌いかといわれたら、断然好きな映画です。
北海道近代美術館で催されている「東山魁夷展」を見てきました。
10年以上前に「東山魁夷 青の世界」を見てから、本当に好きで、楽しみにしていました。
ぼんやりした絵のように見えても、少しの陰影を細かく描写。
しっかりとした構図の中に静けさを感じます。
日本画を基礎とした美しい風景画も、実はどこにも存在しない架空の場所。
でも何処かで見たような懐かしい風景です。
パンフレットに使われたこの道の絵も、あえて咲いているお花たちを排除して、道だけを際立たせ、同じ 色の様に見えて、丁寧に陰影を付けています。
いろんな絵があり、人それぞれ感想は違うけれど、日本の四季に心を揺さぶられ、暮れゆく風景を心にとどめ、いつもいろんなことを感じられる自分でありたいと思いました。
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上野公園内の美術館は2館行ったことがありますが、ここは初めてでした。
国立西洋美術館、似た名称の美術館がたくさんありますね(^_^;)
ここでは古代の建築物をモチーフに描き出された風景画見ることが出来ました。
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遠近法も学んだロベールの素描を中心に、しっかりした構図の美しい風景画が並んでいました。
ロベールは建築家で庭園デザイナーでもあったんですね。
安心感があります。
2日前、ポロック展を見たあとでは無く、こちらを先に見ればよかったなぁと思いました。
品川から羽田に行き、旭川行きの搭乗手続きをし、ショップを見てお弁当を買おうと思ったら、時間が無くなってしまいました。
お腹が空いた~。
羽田空港の夕陽が綺麗だったなぁ・・・
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旭川空港へは順調に到着。
駐車場は雪解けで、水浸しです。
そして、東京で乗り継ぎを間違えなかったのに、最後に道を間違えて、東神楽まで来てしまったおバカなわたしです(^_^;)
ちゃんちゃん。
初めて旭川空港から出かけた2泊3日の旅です。
美瑛から旭川空港まで、車で15分程度でしょうか。
こんなに早く飛行機に乗れちゃうなんて、嘘みたい。
AM10:10発 羽田行きで出発です。
定刻より若干早目に羽田に到着、暑い(^_^;)
最初に行きたかったのは、東京国立近代美術館です。
羽田から京急にて品川に行き、品川から山手線に乗り換え東京駅へ。
東京駅から東京メトロ東西線に乗り、竹橋駅で下車。
乗り換えがとっても不安だったけれど、あっさり到着!
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ヨーロッパのモダンアートを積極的に取り入れ、アクション・ペインティングで、世界的に有名になったポロック。
求めるものの先には常にピカソがいて、やりたいもの全て先を越される。
彼の独特な手法は、ついにアメリカンドリームを手に入れ歴史的な大作も手掛け、映画にもなったそうです。
観ていて、意味するものは何かとか考えだすと、さっぱりわからない。
だけど・・・面白い!って思ってしまいました。
いろんな試行錯誤が絵の中に見てとれる。
ただ絵具を垂らしただけ、とか思って見ていたけど、観て行くうちに引き込まれていく不思議な力がありました。
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ポロックのアトリエを模して作られた空間です(撮影可)。
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ポロック展を見た後、皇居の周りをJR東京駅まで歩いて散策しました。
暑いんですけど(^_^;)
朝の美瑛は-12℃だったんですけど・・・
水面に映るビルが東京らしいと思って撮った写真です。
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今見るとビルの間に東京タワーが写っていました。
これからはスカイツリーが主役を張るんだね。
映画「三丁目の夕日」の中では、ひときわ聳え立っていたタワーだけど、今は小さく見えますね。
イギリス映画が好きだから、観ました(^^ゞ
恋人に「横に誰かがいると眠れないから」と言って彼女から離れるマイケル(ユアン・マクレガー)。
彼はレストランのシェフ。
漠然と石を投げたい衝動に駆られるスーザン(エヴァ・グリーン)。
彼女は感染学の科学者。
ある日、隔離された「嗅覚を失った患者」のもとにスーザンが呼ばれます。
世界の国々で同じ症例が起こっているので、感染病ではないかと疑います。
原因が分からず、世界中で暴動が起き、24時間以内に次々と感染して行きます。
そんな時、レストランの外いたマイケルは、このビルの上階に住んでいるスーザンに「タバコは無いか?」と声を掛けることから、二人は知りあいます。
二人も嗅覚を無くし、世間も荒れて行きます。
レストランは無理かと思ったけれど、シェフの彼らは、味や辛味を強くして、人気を保っていきます。
少しずつ落ち着きを取り戻した頃、世界中が飢えていき、食べられるもの何もかも奪いあって口に入れます。
それが治まった時、今度は味覚を失います。
五感が少しずつ失わる恐怖心、緊張感の中でマイケルとスーザンは互いを確かめ合います。
味覚が失われ、また落ち着きを取り戻すと、マイケルは堅かったり柔らかかったり、感触を味わう料理を創作し、人気を得ます。
そして今度は、気性が荒荒しくなり、罵声を送ります。
人を傷つける言葉を平気で吐きます。
お互いがお互いを傷つける罵り合いをした後、聴覚が失われます。
スクリーンから音が消えました。
そして、視覚も・・・・
とっても不思議な想いをした映画です。
時に不快な臭いから逃れたかったり、ある匂いで昔を思い出したり。
嗅覚には気づかないところで脳を蘇らせる力があると思います。
このシーンを観ているとき、映画館の中でクンクンと臭いを嗅いでいる自分がいました。
映画館って、臭いが無いのかな?それともわたしの嗅覚も無くなったんじゃ・・・とも思いました。
少しずつ失われる五感に、残っている感覚を少しでも働かせようとする。
何かを失っても逞しく生きる人間を、映画の中で見つけました。
映画が終わって、後ろの席の方のコートを着る音や、ビニール袋をしまう音が、妙に新鮮に聞こえました。
当たり前に思っている五感も、失ってわかる大切なもの。
曇ったような少し暗めの独特なスクリーンの中、SFチックでありながら、人間臭さを感じる映画でした。
テレビ番組で映画の宣伝で見た主演の原田知世。
その清潔感と透明感に魅かれ、書き下ろしの本を買い読んでみました。
何度か映画館に観に行こうと計画を立てるも、吹雪の影響で行けなくなり、やっと観ることができました。
父子で暮らしていたりえさん(原田知世)、父亡き後、なんだかいろいろ大変で、生きていくのが大変で、そんな時、水縞くん(大泉洋)に「月浦に行きませんか?」と誘われたのです。
洞爺湖を見下ろすcaféマーニ ここは泊まれるレストラン「オーベルジュ」
水縞くんが薪で焼くパンと、りえさんが淹れるコーヒーが、スクリーンを通しても香ばしさが伝わってきます。
待ち合わせた彼氏にドタキャンされ、沖縄に行くはずが真逆の北海道、月浦に来てしまった斎藤さん。
背伸びをし、見栄を張り続けてきた彼女が、マーニで癒され、自分を見つめ直す。
最高の誕生日を祝ってもらい、素敵な笑顔で東京に帰ります。
両親が離婚し、父親と暮らすみくちゃん。
お母さんの作ったかぼちゃのポタージュが食べたいという。
ある日お父さんとみくちゃんがマーニでかぼちゃのポタージュを食べます。
「お母さんのとは違うね」・・でも二人はパンにポタージュを付けて食べます。
みくちゃんは大泣きします。
「思い切り泣きたかった」
月浦でプロポーズして結婚し、神戸で銭湯を営んでいた老夫婦。
妻がパンを食べられない、ということでお米を買いに吹雪の中車を出す水縞くん。
留守の間に、老夫婦は吹雪の中、外に出ようとします。
りえさんと、ちょうど帰って来た水縞くんに止められ中に入ります。
妻が病気で、二人でここで死にたかったのです。
炊いたご飯を食べ始める時、そこで焼いていたパンの香りに誘われて、パンを食べてみる老妻。
「美味しい」
老夫は気づきます。
「人間は最後の最後まで変化し続ける」ことを。
洞爺湖の四季の美しさと、自然の恩恵を感謝しながら生きる人々。
こんなにゆったり、のんびり、暮らせるわけはない、と田舎暮らしのわたしは思う。
どこに住んでいても生活がある訳だし、そこにはいろんな戦いだってある。
都会の人たちはこういう生活に憧れるかもしれない。
でも生半可な気持ちじゃ暮らして行けない。
そこにはそこに住むための信念や、強さが必要なのだと思います。
冬の厳しさ、春の喜び、吹き荒れる嵐、遅霜、猛暑 人とのお付き合い、等、いろんなことを経験しながら人は成長する。
人の人生を変えられるほど大きなお手伝いは出来ない、いや、しない。
ほんのひと時、安らぐ時間を共有する人になりたい、と、観光業の私は思ったのでした。
※大泉洋っていう俳優は「イナダ組」の時から知っていたけど、そんなに好きじゃなかったんです。彼の映画は初めて見ました。自然な佇まいがいいです。
久しぶりに映画を観ました。
少し年上の年代の青春時代です。
この時代の学生運動や闘争など、リアルに映画化すると、生々しい戦いや流血などが有るはず。
そういうリアルさは追求していません。
この映画は、純粋でまっすぐな思いが伝わってきます。
カルチェラタンの映像は、どこかの大学の会館で見たことがあります(^_^;)
宮崎映画に現れる「キャラクターもの」は無いけれど、静かに心にしみる映画でした。
その世代の方たちの思い出の中に入ったみたいな気持です。
学生運動については昔、舞台で演じたことがあります。
というか、昔学生運動をしていた女闘士だけど、今は銀行に勤める人の奥様という役。
私の時代は「三無主義」とか「しらけ世代」とか言われた時代だったから、熱い時代が羨ましかった。
当時のこういった運動はもっと違った形で心に残っている方もいるいるかもしれないです。
あれはなんだったんだろうとか、疑問を持った人もいるかもしれない。
それでもその時代は純粋でまっすぐで、自分たちは正義感に燃えていた、と振り返られる。
宮崎駿さんと宮崎吾朗さんから、団塊の世代へのプレゼントのような気がしてならないです。
観る前にアカデミー賞の発表でした。
王族に生まれ育っても国王になる気もなく、吃音というハンディのため、ラジオ放送にさえ毎回緊張している次男ジョージ6世。
彼を支える妻が、言語療法士を見つけた。
彼との出会いで、時間を掛けて吃音を治していく。
長男は、国王の座より「愛」を選び、次期国王になってしまうジョージ6世。
ヒトラーの出現により、ドイツと戦争状態になろうとしている頃、国民の熱い期待に応え、立派に演説するジョージ7世。
今まで次男の顔、自信のない顔だった彼が、演説を終えた後聴衆の前に立ったときの顔は「国王」になっていました。
王族ってもしかしたら自分の言葉では無い言葉を発しているかも知れない。
でも、普通にしていては「言葉」を上手く伝えられない「吃音」のジョージ。
大切に伝えなければならない「言葉」を、言語療法士と共に伝えるための努力を続けた彼に、敬意を表したい。
民衆は何を聞きたがっているのか、どんな言葉を待っているのか、理解しているからだと思う。
イギリス国王の歴史と、隠されたヒューマンドラマを見た気がします。
王族も悩みはあるのだなぁって。
重厚でありながらユーモアのあるこの映画は、派手さは無いものの心の奥の方でずしんと何かを感じる素晴らしい映画でした。
イギリス映画、やっぱり好きだわ。