高校の卒業証書のケースの中に、一枚の黄ばんだ新聞の切り抜きが挟んである。「卒業ですよ」という見出しの記事。記事の写真は、病室で卒業証書を持って微笑んでいるクラスメートの「ナナ」と校長先生のツーショット。
あれは高校三年の秋。始業のチャイムがなる直前、友人のS美が息を切らして教室に入ってきた。「ナナが倒れたよ。今、救急車で運ばれた!!!」
もともと身体が弱かった彼女が、受験勉強のため無理をして倒れてしまったらしい。でも病状はけして軽いものではなく、帯広の「国立療養所」に入院したのであった。
何度かお見舞いに行った。病室のナナはいつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれた。でも、彼女が高校に戻ってくることは無く、病室で試験を受けて、卒業に至ったのであった。
その後一年間入院生活を続けたナナであったが、健康を取り戻し、放送局でバイトしながら社交ダンスを始めていた。一緒に市民ミュージカルのオーディションを受けようと張り切っていたが、わたしが所属する劇団はこのミュージカルに参加しなかったため、ナナ1人でオーディションを受け、バックダンサーとして舞台に立った。ナナとの約束を守れなかったことが、今でも心残りである。
ナナは2年の間に母親と弟を失った。悲しみの中から這い上がり、夢に向かって一歩歩き出した。20代も後半のある夏の日、ナナは東京に旅立った。
それから2年後の10月。訃報が入った。ナナ?ナナのお父さん?いやナナ本人だった。
うそ・・・・これが夢でありますようにと願った。でもいつかこんな日がやってくるかも知れないと言う予感もあった。
やはり夢ではなかった。翌日新聞の死亡広告欄にナナの名前が載っていた。どんなに悲しみに打ちひしがれても、仕事がある。我慢して職場に向かう。当時土木の設計をしていたわたしは、会社の誰とも話をせず、黙々と仕事に打ち込んだ。そうでもしないと涙が溢れて止まらなくなりそうだったからだ。でも劇団代表からの一本の電話でこの我慢も限界に達してしまった。
「うちの芝居見てくれているナナさんじゃないの?」「そうです。」言葉少なに電話を切った。それからはもう駄目だった。涙がとめどなく流れてきて、仕事に集中できなくなった。
近所に住んでいるY枝を迎えに行き、ナナの思い出話をする。まるで懐かしい友人に会いに行くような感覚になった。でも到着した場所は葬儀場。祭壇の真ん中で微笑んでいるナナを見て、ナナの死を受け入れなければならない苦しさを知った。
詳しい話を聞くと、ナナは漫画家のアシスタントをしていて、日課になっていたランニング中に倒れたのだそうだ。志半ばで倒れたナナ。
すでに荼毘に付され、骨になってふるさとに帰ってきた。
少し遅れて若い男性が葬儀場にやってきた。遺影を見た途端暴れだすように泣き出した彼は、あの年下のBFだ。周囲の人が取り押さえるほど激しく慟哭した姿は、悲しみを通り越し、怒りに打ち震えていた。
あの彼がどんなにナナを待っていたか、私は知っている。ナナが東京に旅立ってからも劇団の公演に足を運んでくれ、客席をキョロキョロしていた。ここに来たら会えるかもしれない。もしかしたら帰ってきているかもしれないという表情で客席を見回していた・・・。でも彼は二度とナナに会うことは出来なかった。
あれから10年以上の年月が経った。友を失った悲しみも今ではすっかり癒えている。けれど卒業シーズンに必ず思い出すナナのこと。短い命が解っていたかのように懸命に生きていたナナ。
ナナを思い出すことで、今の自分を見つめ直すことができる。自分が自分らしくいるために今何をすべきか考えてみよう。
いつまでも若くて美しいナナ。しわしわになってもしみだらけになっても、それでも天寿を全うするまで生きて生き延びて、たくさんの冥土の土産を持って行きたいと思う。
あれは高校三年の秋。始業のチャイムがなる直前、友人のS美が息を切らして教室に入ってきた。「ナナが倒れたよ。今、救急車で運ばれた!!!」
もともと身体が弱かった彼女が、受験勉強のため無理をして倒れてしまったらしい。でも病状はけして軽いものではなく、帯広の「国立療養所」に入院したのであった。
何度かお見舞いに行った。病室のナナはいつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれた。でも、彼女が高校に戻ってくることは無く、病室で試験を受けて、卒業に至ったのであった。
その後一年間入院生活を続けたナナであったが、健康を取り戻し、放送局でバイトしながら社交ダンスを始めていた。一緒に市民ミュージカルのオーディションを受けようと張り切っていたが、わたしが所属する劇団はこのミュージカルに参加しなかったため、ナナ1人でオーディションを受け、バックダンサーとして舞台に立った。ナナとの約束を守れなかったことが、今でも心残りである。
ナナは2年の間に母親と弟を失った。悲しみの中から這い上がり、夢に向かって一歩歩き出した。20代も後半のある夏の日、ナナは東京に旅立った。
それから2年後の10月。訃報が入った。ナナ?ナナのお父さん?いやナナ本人だった。
うそ・・・・これが夢でありますようにと願った。でもいつかこんな日がやってくるかも知れないと言う予感もあった。
やはり夢ではなかった。翌日新聞の死亡広告欄にナナの名前が載っていた。どんなに悲しみに打ちひしがれても、仕事がある。我慢して職場に向かう。当時土木の設計をしていたわたしは、会社の誰とも話をせず、黙々と仕事に打ち込んだ。そうでもしないと涙が溢れて止まらなくなりそうだったからだ。でも劇団代表からの一本の電話でこの我慢も限界に達してしまった。
「うちの芝居見てくれているナナさんじゃないの?」「そうです。」言葉少なに電話を切った。それからはもう駄目だった。涙がとめどなく流れてきて、仕事に集中できなくなった。
近所に住んでいるY枝を迎えに行き、ナナの思い出話をする。まるで懐かしい友人に会いに行くような感覚になった。でも到着した場所は葬儀場。祭壇の真ん中で微笑んでいるナナを見て、ナナの死を受け入れなければならない苦しさを知った。
詳しい話を聞くと、ナナは漫画家のアシスタントをしていて、日課になっていたランニング中に倒れたのだそうだ。志半ばで倒れたナナ。
すでに荼毘に付され、骨になってふるさとに帰ってきた。
少し遅れて若い男性が葬儀場にやってきた。遺影を見た途端暴れだすように泣き出した彼は、あの年下のBFだ。周囲の人が取り押さえるほど激しく慟哭した姿は、悲しみを通り越し、怒りに打ち震えていた。
あの彼がどんなにナナを待っていたか、私は知っている。ナナが東京に旅立ってからも劇団の公演に足を運んでくれ、客席をキョロキョロしていた。ここに来たら会えるかもしれない。もしかしたら帰ってきているかもしれないという表情で客席を見回していた・・・。でも彼は二度とナナに会うことは出来なかった。
あれから10年以上の年月が経った。友を失った悲しみも今ではすっかり癒えている。けれど卒業シーズンに必ず思い出すナナのこと。短い命が解っていたかのように懸命に生きていたナナ。
ナナを思い出すことで、今の自分を見つめ直すことができる。自分が自分らしくいるために今何をすべきか考えてみよう。
いつまでも若くて美しいナナ。しわしわになってもしみだらけになっても、それでも天寿を全うするまで生きて生き延びて、たくさんの冥土の土産を持って行きたいと思う。