今更、遅っ!っていう感じで恐縮です。
巷じゃいろんな映画賞ノミネートが一段落し、キネ旬の映画ランキングも発表になり、例年同様ぱんぴーの見た映画は一つも推されておらず、「おいら文化人とちゃうもんね!」と半グレ状態で拗ねてましたが、唯一「日本アカデミー賞」はノミネートされとるんよね。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」。
いい映画、というのは世の中にたくさんあると思うし、おいらも、「続・三」だけが良い映画だ、という気はありませんが、この作品について、まだよく語ってなかったような気がしたので(いや、既に語り尽くしたのを忘れただけかもしれんが(汗))、ここで述べさせていただきたいと思います。ネタバレよっしゃ、な方だけ、下にどうぞ♪
*****************************
「基本的に話がセンチメンタルすぎる!」とは、「その時代」を知ってる親父の感想ですが、おいらは、そのセンチメンタルさが、「最近、生活に潤いがほしー」と思ってる渇いたココロにうまくしみ込んで、けっこう心地よかったです(苦笑)。
「三丁目の住人が感動するような大衆向けの作品が芥川賞候補になるはずがない」とか、「賞を取る前から、候補作を出版して読ます事実はなかった」とか、まぁ、史実(?)と異なる点は多々あるのですが、そこんとこ現実通りにしてしまうと、物語が成立しない訳で、、、(苦笑)山崎監督も苦しんだんだろうなぁ。。。だから、ゴジラに暴れさせたくもなったんだよなぁ(笑)「これもアリな世界なんですからねー!フィクションですからねー!」って叫びたかったに違いない。
ともあれ。そこに描かれていた人間達の体温やら、横町の匂いなんかは、厳然としてそこに存在していた訳で。はとこの女の子のわがままな中の涙する不安やら、六ちゃんの女の子らしい優しさや、鈴木さんの戦友の笑顔やら(原作で一番大好きな話だ)、茶川さんの声も無く打ちひしがれる様子やら、淳之介くんの精一杯の「やだやだ!」っぷりの強さやら、一平くんの「デリカシーって、、」の無邪気さやら、焼き鳥持って踊ってる宅間先生の、シャレにならないくらいの切なさやら、鈴木家かあさんの「ああ、日本のお母さん!」と幻想を抱いてしまいそうな(実際はあんな慈母はおいらの幼少時、周囲に存在しなかったような気がするが(爆))優しさやら、決して裕福でもないが、なんとなく呑気に暮らしてそうな三丁目の住人達の軽さやら、その中で強烈な存在感を輝かせつつ、まるで「現代の良識人代表」のように、品よく厳しく立ちはだかる(でも理性的な)淳之介の実父やら、、、まぁ、もう、コテコテなぐらいに人間っぽくて、(それはともすればあまりに人間っぽくて、今の生活ではとんと見かけなくなったくらいで)、、、気がつくと、泣いてました。
なんか、ね。こんな人間関係が、瞬間的に恋しかったのかもしれない(笑)。いろんなことが未解決で、冷たく世知辛い中でも、単純にあったかいこともあった、そんな時代に。いうなれば、それは、ぼくらの幼年期。戦後日本人にとっての幼年期、だったのかもしれない。
あの時代、万歳、とは言えないけど、あの時代の人達も、一生懸命生きていた。ままならないことがあったり、悔し涙にくれることがあったり、どうしようもないことがあったり、それは、今と同じ。でも、頑張って生きていてくれたから、今、おいら達の時代が、ある。(もちろん当時の負債もあるけど、それは、おいら達も同じことを後世に対して、やってるんだと思う。)
色々なストーリーが平行して語られる中で、一番印象的だったのは、淳之介くんのことだ。結局、彼は、自分の帰る家を「つくった」んだなぁ。。。と。茶川さんの背中をどやし(笑)て奮起させ、ヒロミさんのココロに訴えかけ、実の父親にも立ち向かい、彼は、自分の理想とする家族を、つくった。
最後の橋の場面で、茶川さんとヒロミさんの手をとり、誇らしげに2人を見上げ、そして夕日をみつめる淳之介くんの笑顔に、おいらは圧倒され、感動した。今まで、母親に連れられて、大人の都合に振り回され続けたこの子は、くじけることなく、病気にもならず、大事な人達の人生を良い方向に変え、幸せを自らつかんだ。すごいなぁ。。。
なんか、ね。つくづく、「家族ってええなぁ。大事にしよ。」と単純な一市民は思ったのでした。
これも、また、一つのモデル。心弱き者達が生きていくための、優しき砦。
たとえ、いくつのネガティブ・キャンペーンがあったとしても。明日の一歩を笑顔で踏み出せる力をもらったことは、確かです。
ありがとう、「続・三丁目の夕日」のスタッフ・キャスト・関係者の皆さん!
やや遅すぎるラブコールを、ここに♪
巷じゃいろんな映画賞ノミネートが一段落し、キネ旬の映画ランキングも発表になり、例年同様ぱんぴーの見た映画は一つも推されておらず、「おいら文化人とちゃうもんね!」と半グレ状態で拗ねてましたが、唯一「日本アカデミー賞」はノミネートされとるんよね。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」。
いい映画、というのは世の中にたくさんあると思うし、おいらも、「続・三」だけが良い映画だ、という気はありませんが、この作品について、まだよく語ってなかったような気がしたので(いや、既に語り尽くしたのを忘れただけかもしれんが(汗))、ここで述べさせていただきたいと思います。ネタバレよっしゃ、な方だけ、下にどうぞ♪
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「基本的に話がセンチメンタルすぎる!」とは、「その時代」を知ってる親父の感想ですが、おいらは、そのセンチメンタルさが、「最近、生活に潤いがほしー」と思ってる渇いたココロにうまくしみ込んで、けっこう心地よかったです(苦笑)。
「三丁目の住人が感動するような大衆向けの作品が芥川賞候補になるはずがない」とか、「賞を取る前から、候補作を出版して読ます事実はなかった」とか、まぁ、史実(?)と異なる点は多々あるのですが、そこんとこ現実通りにしてしまうと、物語が成立しない訳で、、、(苦笑)山崎監督も苦しんだんだろうなぁ。。。だから、ゴジラに暴れさせたくもなったんだよなぁ(笑)「これもアリな世界なんですからねー!フィクションですからねー!」って叫びたかったに違いない。
ともあれ。そこに描かれていた人間達の体温やら、横町の匂いなんかは、厳然としてそこに存在していた訳で。はとこの女の子のわがままな中の涙する不安やら、六ちゃんの女の子らしい優しさや、鈴木さんの戦友の笑顔やら(原作で一番大好きな話だ)、茶川さんの声も無く打ちひしがれる様子やら、淳之介くんの精一杯の「やだやだ!」っぷりの強さやら、一平くんの「デリカシーって、、」の無邪気さやら、焼き鳥持って踊ってる宅間先生の、シャレにならないくらいの切なさやら、鈴木家かあさんの「ああ、日本のお母さん!」と幻想を抱いてしまいそうな(実際はあんな慈母はおいらの幼少時、周囲に存在しなかったような気がするが(爆))優しさやら、決して裕福でもないが、なんとなく呑気に暮らしてそうな三丁目の住人達の軽さやら、その中で強烈な存在感を輝かせつつ、まるで「現代の良識人代表」のように、品よく厳しく立ちはだかる(でも理性的な)淳之介の実父やら、、、まぁ、もう、コテコテなぐらいに人間っぽくて、(それはともすればあまりに人間っぽくて、今の生活ではとんと見かけなくなったくらいで)、、、気がつくと、泣いてました。
なんか、ね。こんな人間関係が、瞬間的に恋しかったのかもしれない(笑)。いろんなことが未解決で、冷たく世知辛い中でも、単純にあったかいこともあった、そんな時代に。いうなれば、それは、ぼくらの幼年期。戦後日本人にとっての幼年期、だったのかもしれない。
あの時代、万歳、とは言えないけど、あの時代の人達も、一生懸命生きていた。ままならないことがあったり、悔し涙にくれることがあったり、どうしようもないことがあったり、それは、今と同じ。でも、頑張って生きていてくれたから、今、おいら達の時代が、ある。(もちろん当時の負債もあるけど、それは、おいら達も同じことを後世に対して、やってるんだと思う。)
色々なストーリーが平行して語られる中で、一番印象的だったのは、淳之介くんのことだ。結局、彼は、自分の帰る家を「つくった」んだなぁ。。。と。茶川さんの背中をどやし(笑)て奮起させ、ヒロミさんのココロに訴えかけ、実の父親にも立ち向かい、彼は、自分の理想とする家族を、つくった。
最後の橋の場面で、茶川さんとヒロミさんの手をとり、誇らしげに2人を見上げ、そして夕日をみつめる淳之介くんの笑顔に、おいらは圧倒され、感動した。今まで、母親に連れられて、大人の都合に振り回され続けたこの子は、くじけることなく、病気にもならず、大事な人達の人生を良い方向に変え、幸せを自らつかんだ。すごいなぁ。。。
なんか、ね。つくづく、「家族ってええなぁ。大事にしよ。」と単純な一市民は思ったのでした。
これも、また、一つのモデル。心弱き者達が生きていくための、優しき砦。
たとえ、いくつのネガティブ・キャンペーンがあったとしても。明日の一歩を笑顔で踏み出せる力をもらったことは、確かです。
ありがとう、「続・三丁目の夕日」のスタッフ・キャスト・関係者の皆さん!
やや遅すぎるラブコールを、ここに♪