二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

No.1 「蒼く 優しく」 ~空から降り注ぐ光のように~

2008-02-29 00:10:50 | 5296
コブクロの新譜「5296」から。自分なりの感想を、書いてみたいと思います。

今日の曲は、第1曲目の「蒼く 優しく」。


「蒼く 優しく」は、最初シングルで出た時から、大好きな曲だ。ものすごく苦しみ抜いて産まれたらしい経緯は、リリース当初、小渕氏が少しだけ匂わせるようなことを言っていた。曰く「曲が書けなくなっちゃったかな?」と少し不安に思うぐらい、難産だったらしい。

だが、そのできばえときたら、いつものコブクロらしく完全無欠で、帳尻合わせの苦しい部分等一つもなく、全てのピースが「そうでなくてはならない」ような完璧さで組み合わせられているように聴こえる。難産だった、ということを感じることができる要素があるとしたら、むしろ、この曲が持つ、鬼気迫るまでの迫力の中に、かもしれない。この曲は、切実だ。コブクロらしい率直な曲だが、その中に、崖っぷちを覗き込むような恐ろしい感覚をも内包している。ように思える。

この曲を聴くと、心が揺さぶられる。それは、「励まされる」とか「元気が出る」という要素も含むが、ちょっと説明のつかない複雑なココロのさざ波、というんだろうか、そういう不可思議な心地よさと振動をともなっている。

この曲は長調なんだけど、聴いてると泣ける。飲んでたら、もう「舟歌」と同じぐらい切なく響く。もちろん、コブクロの作る曲は絶対に演歌じゃないのだが、演歌が昔持っていた、生活の中で全ての人々に語りかける存在感、その強力な吸引力を、なぜだか「蒼く 優しく」にも感じることができるのだ。

たとえば。
駅ビルの居酒屋で、新幹線待って焼き肉つまみながら、夕刻にサラリーマンがたむろってる。午後10時とは違う明るさ。でも、明るいからこそ、仕事の抜けない、ちょっとやるせない表情。表面的な社交辞令と、ちょっとしたため息と、束の間の休息が生み出す幸福感と、、、そんな、茫漠とした風情の男達の頭上に、有線で流れた「蒼く 優しく」。

決して静かとは言いがたい居酒屋の中、とぎれとぎれに、でもゆるがない確かさで届く、2人の声。ギターのうなり。ベースとドラムのリズム。力強いストリングス。繊細なピアノ。そこにいる皆の頭をなでていくように、くたびれた背中にそっと舞い降りるかのように、歌が、店の中に浸透する。知らぬ間に、誰かが耳を澄ませている。いつか、誰かが同僚に話しかける言葉に、熱がこもる。

外国人の調理人が、言葉を確かめながら、ポツリと話す。カウンター席で、彼の焼く肉に中年の親父が舌鼓をうって、賛辞の言葉をかける。余計なものをたくさん抱えた孤独な人間同士が、今だけ「身一つ」になったかのようにぬくもりを求めあう。喧噪の中で、時がふと立ち止まったかのような一瞬。

コブクロの歌は、そんな場面にとてもよく似合った。あの瞬間は奇跡のようだった。「蒼く 優しく」は、普通の人間達にこんなにも寄り添うのだ、と思った。

同じく。深夜の残業帰りに、車の中で流れる「蒼く 優しく」。駅の雑踏で、流れる人波の背中を見ながらi-pod越しに聴いている「蒼く 優しく」。

もちろん、もっと健全な(笑)場面で聴かれることの方が多いだろうし、どんな場面でも、もちろん、「蒼く 優しく」ははまると思うけれど。

「蒼く 優しく」は切ない。でも、その楽曲は、水のように心にしみ込み、胸の奥に暖かい灯を灯す。

こんな切実で誠実な歌を歌いきる、彼らの声は、どこまでも優しい。衒い(てらい)もお涙頂戴もなく、ただ、率直に、どうにもならない中で、坂を登ったり下ったりしてもがきながら生きていく人間の姿を、一人称で歌っている。歌っている2人の上に、青空が見える。雨雲の向こうの光が、見える、ような気がする。


曲の構成は、いつものコブクロらしい緻密な感じだが、ギターのフレーズや、ストリングスのきっぱりした響きや、何よりも黒田氏と小渕氏の、伸びやかで陰影に富んだ声が、この曲が「今のコブクロ」であることを、教えてくれる。長調のくせに一筋縄ではいかないコード展開(あくまでおいらの主観だが)も、猛烈に心地よい。


「蒼く 優しく」は、コブクロの進化形。「苦しい」と歌いながらも、幾重の思いを纏いながら走る聖火ランナーのような力強さ。でも、不安を隠そうとしない、以前よりも少し正直な、コブクロの2人。

そして、彼らは最後に語りかける。「少しだけ 、、、休んでもいいかい」と。

もちろん、インタビュー等では「直接的な意味ではないです」と言っているが、コブクロは「STRAIGHT」(これもコブクロにとって、ものすごく大変な時期だったのではないか、と思っている)の中でも、けっこう深刻な心境を文字通りストレートに語っている。冗談めかしながら、本音を演出的に披露する、というスタイリッシュで突っ込みようのない、クレバーな表現手段を、コブクロは元々装備しているのだ。今回も、それは健在だ。

ファンは、見守るしかない。コブクロのとまどいを。彼らの絶望と挑戦を。そして、彼らの曲の奥底を見つめようとする聴き手の視線は、やがて自分自身へと還る。彼らが映し出す心模様は、聴き手自身の心模様と重なっていく。

そして、聴き手は自分に問いかけざるを得ない。自分は何に絶望し、何に挑戦しようとしているのだろう、と。わたしは、どこに行きたいのだろう、と。


この曲を聴くと、自分のことを歌ってもらったような錯覚に陥る。これは、5296全曲を通して感じることだけど。さすが「ミラー仕様」だけのことはある!


この「時代」が持つ雰囲気。この「時代」が感じていること。無数の人々の奥底に共有されている、張り裂けそうな思いと願い。その共同幻想と集合的無意識が、夢のように立ち上っている陽炎のような風景と、「蒼く 優しく」は、似ているように感じる。ふと、日常の足下の氷の下を覗くような、、、でも同時に、隣の人間のぬくもりを空気越しに感じるような、、、そんな気持ちの織り混ざった曲。「蒼く 優しく」は、そんな曲だ、と思っている。


いくら言葉を尽くしても、伝えきれないことってあるんだな。自分の表現力の無さに失望。。。無駄に長い感想でした。すんません。読んでくれた人、ありがとう。精進します(陳謝)。


付記:シングル発売当初に、勢いで書いた詩がありました(苦笑)
そこにトラックバックしてみましたが。。。あかん。この詩も意味不明や(涙)
コメント (2)
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