ども。寒い寒いと言いながら、まだ秋だと自分をだまし、コート着ないで日々を過ごしている三月の風です。(どう考えても、冬なんだが(汗))
今日のブログは、かなり偏った内容かもしれません。
コブクロ応援する内容ですが、暇で寛大な人だけ読んでね。
まず、おいらがコブクロを好きな理由を、最初に表明しておく。
コブクロは、歌が大好きで、実に楽しそうに、気持ちよさそうに歌う。
そして、最高の歌を届けようと、全身全霊を込めて歌い、演奏する。
だから、好きだ。すべてはこれに尽きる、と言っても過言ではない。
(だから、基本的に、コブクロが「好きな歌」を「好きに」歌っているのを見たり聞いたりするのが、おいらは、大好きだ。)
それと同時に、コブクロが(大衆の大きな支持を受けている、という人気の表れから)宿命的に背負っている苦しさ、もの悲しさも、コブクロの特徴であり、おいらにとっては魅力の一つでもある。
今回のツアーに参加して、コブクロの歌い方が、時に切なかった。
様々な「ファン」という名の「お客さん」。
遠いんだか近いんだかわからない、送り手と受け手の関係性。
コブクロはお客さんとの関係を手探りしながら、大きな不安と戦っているように見えた。ウェーブで盛り上がり、MCで爆笑を誘いながらも、「明日をも知れぬ」緊迫感、切なさは、今回もひしひしと感じられた。
なぜそんなことを感じるかと言えば、彼らの歌に潜む切迫感、無常観の故かもしれない。
コブクロの歌の中には、常に不安や未来への恐れが隠れている。
それは、あくまで実生活において謙虚で慎重な彼らならばこその、少し哀しい人生観を反映しているのかもしれない。
彼らの歌は、どんな歌も、少し哀しい。
もちろん、その哀しさをかなぐり捨てた明るく楽しい曲も素晴らしくたくさんあって、魅力的だ。だが、どのラブソングも「今がよければ刹那的な生き方でよい」とは一切歌わない。この辺、非常に徹底して堅実で誠実な世界観であり、そこが、おいらがコブクロを好きな理由でもある。
そして、穏やかな歌は、ただの平凡な幸せを歌っているようでいながら、その穏やかさを慈しむ心の有り様はむしろ、嵐の夜からようやく灯火ともる我が家にたどり着いたような、満身創痍の愛の表明のように聞こえる。
今の想いや幸せを必死でつないでいこうとする誠実な意志と決意、それは、裏返せば、今の想いや幸せが、すぐに消えてしまう儚いものだという、諦念のような厳しい自覚の上に成り立っているようにも思える。
彼らのMCやインタビューに見え隠れする、肝の据わった発言。
「ぼくらの音楽生命が後どれくらいあるのかわかりませんけれど、、、」黒田氏
「この先、きっとコブクロにも大変なことがあると思います、、、」小渕氏
彼らは、ただ渾身の力を振り絞って、歌う。他のことはどうしようもないから、と言わんばかりに。
「STAY」も、「赤い糸」も。
実を言うと、ファンに向けて語りかけているように、感じられる時がある。
もちろん、そんな感じ方は、この歌が一義的に意図していることとはかけ離れた牽強付会だとはわかっているが。
ダブルミーニングとして、「もう二度と会えないはずのあなた」とは、目の前にいるファンが、いずれは去っていくことを想像しているのではないか。
ファンに向けて送る想い。それを受け止めてくれた相手は、留めようのない流動的な人達。固定化したファンも、必ずしも同じ気持ちではいないし、また、同じものを求めているわけではない。
そんな刹那的な関係の中で、今、ファンが「ぼくの名前を呼んでる」と考えると、恐ろしいほどの孤独感が、身に迫って感じられる。
いずれ、来る、孤独。
その恐怖を砕くためには、愛の歌を信じて歌うしかない、というように。STAYはこの上もない緊迫感の中で、絶唱される。美しいが哀しい、祈りと、あきらめと、信じているよ、というメッセージ。流行というものに大きく影響される彼らの職業的宿命に対する、叫びたいような苦しさまで、伝わってくるように感じられる。
「赤い糸」
この曲は、男性から女性への純粋な恋心を(その勝手さも含めて(笑))理解してもらいたい、と綴るメッセージが歌われているが、その底辺に流れているのも、やはり、ファンにはいつまでも信じていてもらいたい、という、切実なまでの想いのように聞こえる時がある。
特に最後のサビで歌われる部分は、決意であり、願いであり、、、だから何だか、この歌を聴くと、ほだされるのだ。「コブクロ、安心しろ」と。「わかってるから」と。
コブクロのライブMCの中で小渕氏が時に観客に伝える言葉には、「今度来た時にも、忘れずに、聴きに来てくださいね」という祈りのような想いが込められているように感じる時がある。
黒田氏は、直接的な言葉にはしないが、歌う曲一曲一曲が「今最高のパフォーマンスを!」という気迫に溢れている。
もっと気楽にできたら、演じる方も聴く方も楽なんだろうけれど(苦笑)。この生真面目さが、コブクロのよさなんだろうな。
今後、30代半ばになって、彼らがどのように変わっていくのか。ある意味、ショービジネスの世界でのいくつかの頂点は極めたようにも見える彼らが、今後、どんな山を目指すのか。
同じ山を何回も登ることはないからね。もちろん、登るのが楽しい山なら、何度登ってもいいけど。変な責任感で、犠牲の大きい登山をすることはないぞ。
これからも、ヨダレカケ(笑)のように自由で、彼らにしか歌えない世界を、彼らにしか伝えられないやり方で、伝え続けてほしい。
不安は消えなくても、大丈夫だよ。それこそ、一瞬一瞬がきみらのものなのだから。
数字やマスコミの情報に踊らされずに。ぼくらも、堅実に、でも、注意深く「愛する」ことを続けていきたいな。
坂田社長がオフィシャルブックで言っていたように。「アーティストは消耗品じゃない。二人に、ファンという絆を残してあげたい。」社長の言葉に、コブクロへの深い愛情を感じた。
頑張れ。幸せになれ。みんな。
心からのエールを。崖っぷちから。
最後に。昨日のFNS歌謡祭、いつもと変わらぬ、素晴らしい渾身の歌を、ありがとう。「STAY」と「I LOVE YOU」大好きな曲を2曲も歌ってくれて、今年も頑張ってここまできてよかったなぁ、と思いました。
何にも持たないから、何にも守れないから、黒田氏の歌声に同調して、泣きそうでした。
ありがとう。歌を歌ってくれて。
明日も頑張ろう。
追伸:なんか、面倒くさいこと書いてますが、昨日のFNS歌謡祭で一番テンション上がったのは、森高千里嬢の晴れ姿!を見た瞬間でしたから(笑)。そんなもんなんで、ご心配なく(爆)。
今日のブログは、かなり偏った内容かもしれません。
コブクロ応援する内容ですが、暇で寛大な人だけ読んでね。
まず、おいらがコブクロを好きな理由を、最初に表明しておく。
コブクロは、歌が大好きで、実に楽しそうに、気持ちよさそうに歌う。
そして、最高の歌を届けようと、全身全霊を込めて歌い、演奏する。
だから、好きだ。すべてはこれに尽きる、と言っても過言ではない。
(だから、基本的に、コブクロが「好きな歌」を「好きに」歌っているのを見たり聞いたりするのが、おいらは、大好きだ。)
それと同時に、コブクロが(大衆の大きな支持を受けている、という人気の表れから)宿命的に背負っている苦しさ、もの悲しさも、コブクロの特徴であり、おいらにとっては魅力の一つでもある。
今回のツアーに参加して、コブクロの歌い方が、時に切なかった。
様々な「ファン」という名の「お客さん」。
遠いんだか近いんだかわからない、送り手と受け手の関係性。
コブクロはお客さんとの関係を手探りしながら、大きな不安と戦っているように見えた。ウェーブで盛り上がり、MCで爆笑を誘いながらも、「明日をも知れぬ」緊迫感、切なさは、今回もひしひしと感じられた。
なぜそんなことを感じるかと言えば、彼らの歌に潜む切迫感、無常観の故かもしれない。
コブクロの歌の中には、常に不安や未来への恐れが隠れている。
それは、あくまで実生活において謙虚で慎重な彼らならばこその、少し哀しい人生観を反映しているのかもしれない。
彼らの歌は、どんな歌も、少し哀しい。
もちろん、その哀しさをかなぐり捨てた明るく楽しい曲も素晴らしくたくさんあって、魅力的だ。だが、どのラブソングも「今がよければ刹那的な生き方でよい」とは一切歌わない。この辺、非常に徹底して堅実で誠実な世界観であり、そこが、おいらがコブクロを好きな理由でもある。
そして、穏やかな歌は、ただの平凡な幸せを歌っているようでいながら、その穏やかさを慈しむ心の有り様はむしろ、嵐の夜からようやく灯火ともる我が家にたどり着いたような、満身創痍の愛の表明のように聞こえる。
今の想いや幸せを必死でつないでいこうとする誠実な意志と決意、それは、裏返せば、今の想いや幸せが、すぐに消えてしまう儚いものだという、諦念のような厳しい自覚の上に成り立っているようにも思える。
彼らのMCやインタビューに見え隠れする、肝の据わった発言。
「ぼくらの音楽生命が後どれくらいあるのかわかりませんけれど、、、」黒田氏
「この先、きっとコブクロにも大変なことがあると思います、、、」小渕氏
彼らは、ただ渾身の力を振り絞って、歌う。他のことはどうしようもないから、と言わんばかりに。
「STAY」も、「赤い糸」も。
実を言うと、ファンに向けて語りかけているように、感じられる時がある。
もちろん、そんな感じ方は、この歌が一義的に意図していることとはかけ離れた牽強付会だとはわかっているが。
ダブルミーニングとして、「もう二度と会えないはずのあなた」とは、目の前にいるファンが、いずれは去っていくことを想像しているのではないか。
ファンに向けて送る想い。それを受け止めてくれた相手は、留めようのない流動的な人達。固定化したファンも、必ずしも同じ気持ちではいないし、また、同じものを求めているわけではない。
そんな刹那的な関係の中で、今、ファンが「ぼくの名前を呼んでる」と考えると、恐ろしいほどの孤独感が、身に迫って感じられる。
いずれ、来る、孤独。
その恐怖を砕くためには、愛の歌を信じて歌うしかない、というように。STAYはこの上もない緊迫感の中で、絶唱される。美しいが哀しい、祈りと、あきらめと、信じているよ、というメッセージ。流行というものに大きく影響される彼らの職業的宿命に対する、叫びたいような苦しさまで、伝わってくるように感じられる。
「赤い糸」
この曲は、男性から女性への純粋な恋心を(その勝手さも含めて(笑))理解してもらいたい、と綴るメッセージが歌われているが、その底辺に流れているのも、やはり、ファンにはいつまでも信じていてもらいたい、という、切実なまでの想いのように聞こえる時がある。
特に最後のサビで歌われる部分は、決意であり、願いであり、、、だから何だか、この歌を聴くと、ほだされるのだ。「コブクロ、安心しろ」と。「わかってるから」と。
コブクロのライブMCの中で小渕氏が時に観客に伝える言葉には、「今度来た時にも、忘れずに、聴きに来てくださいね」という祈りのような想いが込められているように感じる時がある。
黒田氏は、直接的な言葉にはしないが、歌う曲一曲一曲が「今最高のパフォーマンスを!」という気迫に溢れている。
もっと気楽にできたら、演じる方も聴く方も楽なんだろうけれど(苦笑)。この生真面目さが、コブクロのよさなんだろうな。
今後、30代半ばになって、彼らがどのように変わっていくのか。ある意味、ショービジネスの世界でのいくつかの頂点は極めたようにも見える彼らが、今後、どんな山を目指すのか。
同じ山を何回も登ることはないからね。もちろん、登るのが楽しい山なら、何度登ってもいいけど。変な責任感で、犠牲の大きい登山をすることはないぞ。
これからも、ヨダレカケ(笑)のように自由で、彼らにしか歌えない世界を、彼らにしか伝えられないやり方で、伝え続けてほしい。
不安は消えなくても、大丈夫だよ。それこそ、一瞬一瞬がきみらのものなのだから。
数字やマスコミの情報に踊らされずに。ぼくらも、堅実に、でも、注意深く「愛する」ことを続けていきたいな。
坂田社長がオフィシャルブックで言っていたように。「アーティストは消耗品じゃない。二人に、ファンという絆を残してあげたい。」社長の言葉に、コブクロへの深い愛情を感じた。
頑張れ。幸せになれ。みんな。
心からのエールを。崖っぷちから。
最後に。昨日のFNS歌謡祭、いつもと変わらぬ、素晴らしい渾身の歌を、ありがとう。「STAY」と「I LOVE YOU」大好きな曲を2曲も歌ってくれて、今年も頑張ってここまできてよかったなぁ、と思いました。
何にも持たないから、何にも守れないから、黒田氏の歌声に同調して、泣きそうでした。
ありがとう。歌を歌ってくれて。
明日も頑張ろう。
追伸:なんか、面倒くさいこと書いてますが、昨日のFNS歌謡祭で一番テンション上がったのは、森高千里嬢の晴れ姿!を見た瞬間でしたから(笑)。そんなもんなんで、ご心配なく(爆)。