ども。雪が降り始めた町で、暖房の世話になっている三月の風です。
どうも最近停滞モードで、今日などは朝の運勢は素晴らしかったのですが、今までの怠惰が祟り、何も目立ったことはありませんでした(爆笑)。というか、最近の占いは「これ、昨日のことちゃうか?」って気がすること多いです(笑)。
さて。早く帰れたので、食事時に某歌番組を見ていたら、日本語のあまりの乱れっぷりに唖然として、いつも感じることながら今日の破壊力は大きく、「老若男女総乱れか!?」とびっくらこいたところです。(他人様のこと言えるような日本語を使っているわけではありませんね。失礼。)
「応募」と「募集」を使い間違えてたり、他にもなんか凄いこと言ってたな。あの手の番組は即興で進めなければいかんから、出演者達も気の毒なところはあるんですが。おいらも気がつかんうちに、こんな会話してるかと思ったら、ぞっとしました。
こんなことがいつもより気になったのは、日曜の朝、尊敬する元NHK3大アナウンサー(大塚範一氏&池上彰氏&宮本隆治氏)の鼎談番組を観た影響かもしれない。
フジテレビ「ボクらの時代」。話題豊富な彼らがいくつもの楽しい話を繰り広げていたのだが、その中に「正しい日本語を守る最後のプロ」としてのアナウンサーの存在意義を話していた場面があった。(主に宮本さんが言っていたのだが。)
うん。誰かがお手本示してくれないと、何が「正しい」のかすらわからなくなるもんな。ホント、そう思う。(自分は何においても「手本」になれてないようで冷や汗が出る。)
そんなこんなで、過去と現在をつなぐ細々とした道を、ぼんやりと考えています(現実逃避)。
そうそう、最近妄想(笑)がひどくてね。よく、想像するんですわ。
妄想その1「今暖かいこの部屋も、電気やガスがなければ、火の気もなくて、ものすごい寒いんやろな。そしたら、おいら、毛布かぶってじっとしてるか、じっとしてるの我慢できへんから、わーって走り回って自家発電(運動による発熱)するしかないんやな。夜もどうしようもなく寒いんやろな。練炭カイロでもなければ、体温しか頼りにならへんもんな。」
妄想その2「今使ってる水、断水したらどうするんやろ。山奥やったら、川までオケ担いで何キロも歩いてこなあかんのやな。そんで、雪積もってよう歩けんくなったら、近場の田んぼの水飲むしかないんやな。他人の汚水入ってるかもしれへんけどなぁ。。。だいたい、洗い物にこないに水使えへんよな。風呂もたまにしか入れへんな。近所同士風呂の共用もせんとな。だいたい今の家の近所は汚い川しかないけど、どうするんやろ。」
妄想その3「ガソリン無かったら、職場まで歩きやな。毎朝毎晩片道10キロ歩いてくんやな。」
妄想その4。。。やめた。若い人達には想像もつかんよな(苦笑)。
以上、ただの中年の妄想ですが、実は、これは過去に現実に日本人が体験していた「日常」でもあります(爆)。ほんまやで。「そんなの聞いたことないわ」って人は、ただ運がいいってだけのことです(笑)。
おいらも経験したわけではないですが、、、(一応、「もはや戦後ではない」世代やからね。)
でも、それに近い状況は、確かにあった。そのことを考えると、むしろ今の生活が「ありえへん」と思うぐらいだ。
何でこんなことを考えているのかというと、別に神経まいってるとかではなく(苦笑)、今の生活というか世の中が、何だか「エネルギー消費」というものに極度に鈍感になっている気がするからだ。
おいらも、こんな話しつつ、心底享楽主義(魚座のベースはこれっす(汗))なので、絶対に「あったかいこと」「快適なこと」「楽なこと」を自分だけ放棄するのは不可能です。
だから、人並みの生活をしてるんだけど、時々「あかんよなぁ」って思うんです。
この「あかんよなぁ」って感覚、結構大事な気がするんだよなぁ。
でも、若い世代は、どんどん便利な世の中で育ってきたわけだから、不便な状態、資源ゼロ(か稀少)の状態がどんな状態か、ってこと自体、想像できないんじゃないのか、と思う時がある。おいらがどんなに想像しても、戦時下の兵隊さんや、被災した人達の気持ちを真には理解しがたいように。(想像だけでもぞっとして涙が出るぐらいには感じるけどね。)
「エコ」意識は高まっている。それはいいことだと思う。
でもね。根本的に「後戻りできない」という人間の悲しい性が、昭和30~40年代頃の不自由さには戻りたくない、と、その選択肢を排除してるように思うんだ。
ネットの話題で読んだ。「バスタオルは毎日洗いますか?」
清潔感覚の話題なんだけど、「水資源の利用」という視点は皆無なんだよなぁ。。。(もちろん、ライトな話題にそんな感覚いらんのかもしれんけどさ。)
数々の文明の利器。それを享受しているおいら達の心から「後ろめたさ」「申し訳なさ」が消えたら、後は、利己的な利便性追求しか残らんのよなぁ。
そうだ。「もったいない」の精神だな。これは。
ワンガリ・マータイさんの発見してくれた日本の美しい道徳性。
いつまで僕らは、保つことができるんだろう。
。。。なんて、深刻そうにぶっててもね、おいらも所詮暖房の中にいるわけです。
大いなる矛盾を見て見ぬふりして、わかったようにため息ついて、「批評家気取り?」って言われても仕方ないね。
どうしたらいいんだろうなぁ。。。何もできないくせに、脳みそ半アイドリングしながらぼんやりしている、雪の夜でした。(明日の朝が怖い。。。)
どうも最近停滞モードで、今日などは朝の運勢は素晴らしかったのですが、今までの怠惰が祟り、何も目立ったことはありませんでした(爆笑)。というか、最近の占いは「これ、昨日のことちゃうか?」って気がすること多いです(笑)。
さて。早く帰れたので、食事時に某歌番組を見ていたら、日本語のあまりの乱れっぷりに唖然として、いつも感じることながら今日の破壊力は大きく、「老若男女総乱れか!?」とびっくらこいたところです。(他人様のこと言えるような日本語を使っているわけではありませんね。失礼。)
「応募」と「募集」を使い間違えてたり、他にもなんか凄いこと言ってたな。あの手の番組は即興で進めなければいかんから、出演者達も気の毒なところはあるんですが。おいらも気がつかんうちに、こんな会話してるかと思ったら、ぞっとしました。
こんなことがいつもより気になったのは、日曜の朝、尊敬する元NHK3大アナウンサー(大塚範一氏&池上彰氏&宮本隆治氏)の鼎談番組を観た影響かもしれない。
フジテレビ「ボクらの時代」。話題豊富な彼らがいくつもの楽しい話を繰り広げていたのだが、その中に「正しい日本語を守る最後のプロ」としてのアナウンサーの存在意義を話していた場面があった。(主に宮本さんが言っていたのだが。)
うん。誰かがお手本示してくれないと、何が「正しい」のかすらわからなくなるもんな。ホント、そう思う。(自分は何においても「手本」になれてないようで冷や汗が出る。)
そんなこんなで、過去と現在をつなぐ細々とした道を、ぼんやりと考えています(現実逃避)。
そうそう、最近妄想(笑)がひどくてね。よく、想像するんですわ。
妄想その1「今暖かいこの部屋も、電気やガスがなければ、火の気もなくて、ものすごい寒いんやろな。そしたら、おいら、毛布かぶってじっとしてるか、じっとしてるの我慢できへんから、わーって走り回って自家発電(運動による発熱)するしかないんやな。夜もどうしようもなく寒いんやろな。練炭カイロでもなければ、体温しか頼りにならへんもんな。」
妄想その2「今使ってる水、断水したらどうするんやろ。山奥やったら、川までオケ担いで何キロも歩いてこなあかんのやな。そんで、雪積もってよう歩けんくなったら、近場の田んぼの水飲むしかないんやな。他人の汚水入ってるかもしれへんけどなぁ。。。だいたい、洗い物にこないに水使えへんよな。風呂もたまにしか入れへんな。近所同士風呂の共用もせんとな。だいたい今の家の近所は汚い川しかないけど、どうするんやろ。」
妄想その3「ガソリン無かったら、職場まで歩きやな。毎朝毎晩片道10キロ歩いてくんやな。」
妄想その4。。。やめた。若い人達には想像もつかんよな(苦笑)。
以上、ただの中年の妄想ですが、実は、これは過去に現実に日本人が体験していた「日常」でもあります(爆)。ほんまやで。「そんなの聞いたことないわ」って人は、ただ運がいいってだけのことです(笑)。
おいらも経験したわけではないですが、、、(一応、「もはや戦後ではない」世代やからね。)
でも、それに近い状況は、確かにあった。そのことを考えると、むしろ今の生活が「ありえへん」と思うぐらいだ。
何でこんなことを考えているのかというと、別に神経まいってるとかではなく(苦笑)、今の生活というか世の中が、何だか「エネルギー消費」というものに極度に鈍感になっている気がするからだ。
おいらも、こんな話しつつ、心底享楽主義(魚座のベースはこれっす(汗))なので、絶対に「あったかいこと」「快適なこと」「楽なこと」を自分だけ放棄するのは不可能です。
だから、人並みの生活をしてるんだけど、時々「あかんよなぁ」って思うんです。
この「あかんよなぁ」って感覚、結構大事な気がするんだよなぁ。
でも、若い世代は、どんどん便利な世の中で育ってきたわけだから、不便な状態、資源ゼロ(か稀少)の状態がどんな状態か、ってこと自体、想像できないんじゃないのか、と思う時がある。おいらがどんなに想像しても、戦時下の兵隊さんや、被災した人達の気持ちを真には理解しがたいように。(想像だけでもぞっとして涙が出るぐらいには感じるけどね。)
「エコ」意識は高まっている。それはいいことだと思う。
でもね。根本的に「後戻りできない」という人間の悲しい性が、昭和30~40年代頃の不自由さには戻りたくない、と、その選択肢を排除してるように思うんだ。
ネットの話題で読んだ。「バスタオルは毎日洗いますか?」
清潔感覚の話題なんだけど、「水資源の利用」という視点は皆無なんだよなぁ。。。(もちろん、ライトな話題にそんな感覚いらんのかもしれんけどさ。)
数々の文明の利器。それを享受しているおいら達の心から「後ろめたさ」「申し訳なさ」が消えたら、後は、利己的な利便性追求しか残らんのよなぁ。
そうだ。「もったいない」の精神だな。これは。
ワンガリ・マータイさんの発見してくれた日本の美しい道徳性。
いつまで僕らは、保つことができるんだろう。
。。。なんて、深刻そうにぶっててもね、おいらも所詮暖房の中にいるわけです。
大いなる矛盾を見て見ぬふりして、わかったようにため息ついて、「批評家気取り?」って言われても仕方ないね。
どうしたらいいんだろうなぁ。。。何もできないくせに、脳みそ半アイドリングしながらぼんやりしている、雪の夜でした。(明日の朝が怖い。。。)