今日は、あの地震の日からちょうど3年ですね。
もう3年、まだ3年。人によって感じ方は様々だと思いますが、やはりこの日が
くると、あの日の出来事を鮮明に思い出します。
当日は金曜日で、会社にいた私はなんとか夫と落ち合いお義姉さまの住む都内の
家に避難させて頂きました。会社にいるうちは状況が良くわかっていなかったの
ですが、お義姉さまの家で見たテレビで東北の街が波に飲まれていく様子を見て
驚愕したのをはっきりと覚えています。
まるで映画のワンシーンのように、まだ畦道を車が走る田園風景が、一瞬にして
波に飲みこまれるのです。これが現実なのかどうか信じられなくて、あのような
気持ちになったのは、9.11で飛行機がワールドトレードセンターに追突したとき
以来でした。
津波による被害だけではなく、放射能の問題など、まだまだ残された課題は山と
あって復興いまだならずといった状況ですが、あの日のことを忘れずに、今後も
自分なりの支援を続けていかなければと改めて思う一日でした。
もう3年、まだ3年。人によって感じ方は様々だと思いますが、やはりこの日が
くると、あの日の出来事を鮮明に思い出します。
当日は金曜日で、会社にいた私はなんとか夫と落ち合いお義姉さまの住む都内の
家に避難させて頂きました。会社にいるうちは状況が良くわかっていなかったの
ですが、お義姉さまの家で見たテレビで東北の街が波に飲まれていく様子を見て
驚愕したのをはっきりと覚えています。
まるで映画のワンシーンのように、まだ畦道を車が走る田園風景が、一瞬にして
波に飲みこまれるのです。これが現実なのかどうか信じられなくて、あのような
気持ちになったのは、9.11で飛行機がワールドトレードセンターに追突したとき
以来でした。
津波による被害だけではなく、放射能の問題など、まだまだ残された課題は山と
あって復興いまだならずといった状況ですが、あの日のことを忘れずに、今後も
自分なりの支援を続けていかなければと改めて思う一日でした。
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