今日の「休日のバッハ」は、カンタータ77番より第3曲のソプラノのアリアです。
冒頭のオーボエとファゴットの旋律に導かれてのソプラノの歌声が、ある種の哀切感と清浄感を表現しております。
しかしこのような音楽は、初めて聴く方にとっては、かなりとっつきにくいのではないかと思います。同じカンタータでも福音史家が歌うレシタティーボなどに比べれば、こうしたアリアはまだしも、少し我慢して聴き込めば、年を経るに従ってその良さが身に沁みて分かってくる筈です。集中しても5年から10年はかかるかも知れませんが。
少し話しが飛躍し過ぎますが、若者が初めて仕事につくときの心境もそのようではないでしょうか。学生気分からすると会社の雰囲気や作法などはかなりとっつきにくいものです。しかし、どんな職業も我慢して精進をし続ければ、年を取るに従ってその仕事の良さが身に沁みて分かってくる筈です。
ところが、そのためには音楽も仕事も「奥が深い」ことが前提条件です。「難易度が高い」ことと言い換えても良いかも知れません。例えば、宮大工のような仕事。あるいはミクロン単位での加工技術。もっと身近な職業では、料理人や農業なども。但し、「いつの時代でも人々の役に立つ仕事」です。
近くの知り合いの息子さんが、東京芸大を出て仏像などの修復の仕事に就いております。多分薄給でしょう。しかし、そうした若者がいることに感動してしまいます。仏像に迫るには気の遠くなる年月と精進が必要でしょうし、先端の科学技術と人間の心と体力の限界が試されるものと思います。
さて、また無駄話が過ぎてしまいましたが、この曲の歌詞の日本語訳は以下の通りです。(大村恵美子氏訳)
愛しまつる 心より 主を
なれこそ わが いのち
なが 掟(おきて)を 悟らしめよ われに
愛に 燃えたたせ
主を とわに 愛せしめよ
チョイと古風な訳ですが、このあたりを精進して極める気持ちが、ぐーたら人生を送ってきた筆者にはそもそもないのでご勘弁を。。。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。
期間限定の公開です。
冒頭のオーボエとファゴットの旋律に導かれてのソプラノの歌声が、ある種の哀切感と清浄感を表現しております。
しかしこのような音楽は、初めて聴く方にとっては、かなりとっつきにくいのではないかと思います。同じカンタータでも福音史家が歌うレシタティーボなどに比べれば、こうしたアリアはまだしも、少し我慢して聴き込めば、年を経るに従ってその良さが身に沁みて分かってくる筈です。集中しても5年から10年はかかるかも知れませんが。
少し話しが飛躍し過ぎますが、若者が初めて仕事につくときの心境もそのようではないでしょうか。学生気分からすると会社の雰囲気や作法などはかなりとっつきにくいものです。しかし、どんな職業も我慢して精進をし続ければ、年を取るに従ってその仕事の良さが身に沁みて分かってくる筈です。
ところが、そのためには音楽も仕事も「奥が深い」ことが前提条件です。「難易度が高い」ことと言い換えても良いかも知れません。例えば、宮大工のような仕事。あるいはミクロン単位での加工技術。もっと身近な職業では、料理人や農業なども。但し、「いつの時代でも人々の役に立つ仕事」です。
近くの知り合いの息子さんが、東京芸大を出て仏像などの修復の仕事に就いております。多分薄給でしょう。しかし、そうした若者がいることに感動してしまいます。仏像に迫るには気の遠くなる年月と精進が必要でしょうし、先端の科学技術と人間の心と体力の限界が試されるものと思います。
さて、また無駄話が過ぎてしまいましたが、この曲の歌詞の日本語訳は以下の通りです。(大村恵美子氏訳)
愛しまつる 心より 主を
なれこそ わが いのち
なが 掟(おきて)を 悟らしめよ われに
愛に 燃えたたせ
主を とわに 愛せしめよ
チョイと古風な訳ですが、このあたりを精進して極める気持ちが、ぐーたら人生を送ってきた筆者にはそもそもないのでご勘弁を。。。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。
期間限定の公開です。