今日の休日のバッハは、昨日予告していた通り、カンタータ184番の第2曲のソプラノとアルトの二重唱です。今日のカンタータは比較的分かりやすいかと思います。
日本のバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)は、バッハ演奏では世界に通用すると言われておりますが、筆者は演奏会も度々行きましたし、カンタータ全曲録音開始時点では全部集めようとして何枚か買いましたが、その透明感のある演奏は悪くはないものの、次第にバッハのカンタータが本来追求しているであろう音楽性のようなものに追いついていないという感慨を持つようになりました。
言葉ではうまく言い尽くせませんが、1つには、BCJのリーダー鈴木雅明がアルトに代わってカウンターテナー(男性)を使っているところが、影響しているのかも知れません。今も、今日のカンタータより1つ番号が多い185番を聴いております。第3曲がアルトのアリアですが、カウンターテナーの歌声はかなり平板な歌声に聞こえてしまいます。音楽性を表現する部分がそのためかなり脆弱になっております。
あの初期のカール・リヒターのマタイ受難曲におけるヘルタ・テッパーの歌声に魅了されている耳にとっては全くもの足りません。従って、定期的にBCJから演奏会の案内状が送付されてきますが、アルトがカウンターテナーである限り全く行く気がしません。
前置きが長くまたまた脱線してしまいましたが、今日の演奏はいつものジョン・エリオット・ガーディナーです。アルトはNathalie Stutzmannです。コントラアルトですから、その少し低めの濃淡のある声がソプラノの明るい歌声に寄り添うように聞こえております。カウンターテナーだとこうは行きません。
カンタータの日本語訳は、
『祝福されたキリスト者たち、至福にあずかる群れよ、来て、イエスのもとに立ち並び、 感謝の念を表明しなさい。 誘惑に陥らないように、言葉巧みな地の落とし穴を避けなさい、そうすればあなたたちの 心は完全に満たされる。 祝福されたキリスト者たち、...』(小林英夫 訳)
このカンタータを聴いて、何故涙が止まらないか?
それは、亡き妻がキリスト者でもあり、天界に召された今となっては、このような感謝と至福、そして満たされた心でそこにいて欲しいと願わざるを得ないためです。42年間共にした人生は起伏に富んでいたものではありましたが、それなりの苦労を与えたのではないかと思います。特に、昨年末からの入院と自宅での介護においては、もう少しこうすれば良かったのではないかと思うことが沢山あります。
「自然に淡々と明るく」介護すると良いと、2年ほど前にアドバイスして下さった、元県立がんセンターの看護師長で、某県立医療大学の先生も務め、母親を自宅で必死の介護をして看取ったという、その人の言葉通りには必ずしも実行できなかったことが、少々心残りです。
せめて、あちらの世界ではこの音楽のような幸せな気分で過ごして欲しいと思うとき、不覚にも涙が止まりません。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。
日本のバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)は、バッハ演奏では世界に通用すると言われておりますが、筆者は演奏会も度々行きましたし、カンタータ全曲録音開始時点では全部集めようとして何枚か買いましたが、その透明感のある演奏は悪くはないものの、次第にバッハのカンタータが本来追求しているであろう音楽性のようなものに追いついていないという感慨を持つようになりました。
言葉ではうまく言い尽くせませんが、1つには、BCJのリーダー鈴木雅明がアルトに代わってカウンターテナー(男性)を使っているところが、影響しているのかも知れません。今も、今日のカンタータより1つ番号が多い185番を聴いております。第3曲がアルトのアリアですが、カウンターテナーの歌声はかなり平板な歌声に聞こえてしまいます。音楽性を表現する部分がそのためかなり脆弱になっております。
あの初期のカール・リヒターのマタイ受難曲におけるヘルタ・テッパーの歌声に魅了されている耳にとっては全くもの足りません。従って、定期的にBCJから演奏会の案内状が送付されてきますが、アルトがカウンターテナーである限り全く行く気がしません。
前置きが長くまたまた脱線してしまいましたが、今日の演奏はいつものジョン・エリオット・ガーディナーです。アルトはNathalie Stutzmannです。コントラアルトですから、その少し低めの濃淡のある声がソプラノの明るい歌声に寄り添うように聞こえております。カウンターテナーだとこうは行きません。
カンタータの日本語訳は、
『祝福されたキリスト者たち、至福にあずかる群れよ、来て、イエスのもとに立ち並び、 感謝の念を表明しなさい。 誘惑に陥らないように、言葉巧みな地の落とし穴を避けなさい、そうすればあなたたちの 心は完全に満たされる。 祝福されたキリスト者たち、...』(小林英夫 訳)
このカンタータを聴いて、何故涙が止まらないか?
それは、亡き妻がキリスト者でもあり、天界に召された今となっては、このような感謝と至福、そして満たされた心でそこにいて欲しいと願わざるを得ないためです。42年間共にした人生は起伏に富んでいたものではありましたが、それなりの苦労を与えたのではないかと思います。特に、昨年末からの入院と自宅での介護においては、もう少しこうすれば良かったのではないかと思うことが沢山あります。
「自然に淡々と明るく」介護すると良いと、2年ほど前にアドバイスして下さった、元県立がんセンターの看護師長で、某県立医療大学の先生も務め、母親を自宅で必死の介護をして看取ったという、その人の言葉通りには必ずしも実行できなかったことが、少々心残りです。
せめて、あちらの世界ではこの音楽のような幸せな気分で過ごして欲しいと思うとき、不覚にも涙が止まりません。
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