先日の中日新聞朝刊に「家族のことを話そう」というコーナーで
お笑いコンビ「はんにゃ」の川島 章良(あきよし)さんが、
「妻に救われ、今がある」というタイトルでエッセーを書かれていました。
相方の金田哲(かなだ さとし)さんは、愛知県の田原市出身ということで、
名古屋のテレビ番組によく出演されてます。
妻に正式にプロポーズしたのは、三年前の十一月、温泉旅行に行ったときです。
その少し前、妻が私の胴回りが大きすぎると心配して、健康診断を受けていました。
それで腎臓がんと分かりました。
その結果を医師から電話で告げられたのが旅行の当日。
だから、プロポーズと一緒にがんのことも知らせることになりました。
当時、妻は妊娠中、両方を同時に言われて頭の中は混乱したと思います。
それでも「生まれてくる子どもが、がんを見つけてくれた」「一緒に頑張りましょう」と
言ってくれた。この前向きで悲観しない姿勢に救われました。
翌年の正月に手術をしましたが、転移がなく助かりました。
発見が早かったのが良かったのですが、それも妻が健康診断を
勧めてくれたおかげ。
奇跡的でめちゃくちゃ運がいいと思います。
娘が生まれた時も大変でした。
急に出てきてしまい、トイレで産み落とすことになったのです。
妻は出血多量で意識を失い、後で「さんずの川が見えた」と言っていました。
救急隊員に「お父さん、落ち着いてください」と言われたのを覚えています。
話を大げさに盛っていると思われそうですが、そんなことは全くないんです。
娘は今、一歳8ヶ月。
本当にかわいい。
お風呂で遊ぶとか、男っぽい遊びを教えるとか、
できる限り子育てに協力しています。
仕事が終わったら家にまっすぐ帰ります。
育児に役に立つだろうと勉強して「離乳食インストラクター」など
六つの資格を取りました。
育児を仕事につなげられないかとも考えるようになりました。
私は三人兄弟の末っ子。姉が二人です。
父はNHK職員でしたが定年退職後、勉強して毎年のように司法試験を受けています。
結果は出ていませんが、尊敬できます。
資格を取ろうとするところが親子で似ていますかね。
父方の伯父が放送作家だったので、昔から芸能界にあこがれはありました。
その気持ちが強くなったのは、私が大学生のとき、
下の姉が歌うステージを見てからです。
姉は24歳だったと思います。
引きこもりの時期があったのに、バンクロックの舞台で200人ぐらいを前に輝いていました。
結局、就職が決まっていた会社があったのですが、入社式の前日に断りの電話を入れました。
両親は驚きました。
母は「意味が分からない」と泣きましたが、父は「三十歳まではやりたいことをやれ」と言ってくれました。
以上です。
川島さんはまだ35歳という若さですが、がんになったり、奥様がお産で大量失血されて危なくなったりされて
大変な目にあっていらっしゃいますね。
奥様は妊娠中にもかかわらず、川島さんからプロポーズとがんを知らされて頭が混乱されて
普通なら返答ができないほどなのに、「生まれてくる子どもが、がんを見つけてくれた」「一緒に頑張りましょう」と
言われて、川島さんを励まされたなんて、とてもステキな女性だと思いました。
ご家族のみなさん素晴らしい方のようですね。
特にお父様は印象的でした。
定年後、勉強して毎年のように司法試験を受けていらっしゃる。
出来ないですよね。
川島さんが就職先に入社式前日断りの電話を入れて、「お笑いに進みたい」と相談されたのを、
「三十歳まではやりたいことをやれ」という返答をされたそうですが、なかなか言える言葉ではないです。
立派なお父様ですね。
川島さんは温かいご家族に囲まれていると思いました。
N.S.P 「夕暮れ時はさびしそう」
お笑いコンビ「はんにゃ」の川島 章良(あきよし)さんが、
「妻に救われ、今がある」というタイトルでエッセーを書かれていました。
相方の金田哲(かなだ さとし)さんは、愛知県の田原市出身ということで、
名古屋のテレビ番組によく出演されてます。
妻に正式にプロポーズしたのは、三年前の十一月、温泉旅行に行ったときです。
その少し前、妻が私の胴回りが大きすぎると心配して、健康診断を受けていました。
それで腎臓がんと分かりました。
その結果を医師から電話で告げられたのが旅行の当日。
だから、プロポーズと一緒にがんのことも知らせることになりました。
当時、妻は妊娠中、両方を同時に言われて頭の中は混乱したと思います。
それでも「生まれてくる子どもが、がんを見つけてくれた」「一緒に頑張りましょう」と
言ってくれた。この前向きで悲観しない姿勢に救われました。
翌年の正月に手術をしましたが、転移がなく助かりました。
発見が早かったのが良かったのですが、それも妻が健康診断を
勧めてくれたおかげ。
奇跡的でめちゃくちゃ運がいいと思います。
娘が生まれた時も大変でした。
急に出てきてしまい、トイレで産み落とすことになったのです。
妻は出血多量で意識を失い、後で「さんずの川が見えた」と言っていました。
救急隊員に「お父さん、落ち着いてください」と言われたのを覚えています。
話を大げさに盛っていると思われそうですが、そんなことは全くないんです。
娘は今、一歳8ヶ月。
本当にかわいい。
お風呂で遊ぶとか、男っぽい遊びを教えるとか、
できる限り子育てに協力しています。
仕事が終わったら家にまっすぐ帰ります。
育児に役に立つだろうと勉強して「離乳食インストラクター」など
六つの資格を取りました。
育児を仕事につなげられないかとも考えるようになりました。
私は三人兄弟の末っ子。姉が二人です。
父はNHK職員でしたが定年退職後、勉強して毎年のように司法試験を受けています。
結果は出ていませんが、尊敬できます。
資格を取ろうとするところが親子で似ていますかね。
父方の伯父が放送作家だったので、昔から芸能界にあこがれはありました。
その気持ちが強くなったのは、私が大学生のとき、
下の姉が歌うステージを見てからです。
姉は24歳だったと思います。
引きこもりの時期があったのに、バンクロックの舞台で200人ぐらいを前に輝いていました。
結局、就職が決まっていた会社があったのですが、入社式の前日に断りの電話を入れました。
両親は驚きました。
母は「意味が分からない」と泣きましたが、父は「三十歳まではやりたいことをやれ」と言ってくれました。
以上です。
川島さんはまだ35歳という若さですが、がんになったり、奥様がお産で大量失血されて危なくなったりされて
大変な目にあっていらっしゃいますね。
奥様は妊娠中にもかかわらず、川島さんからプロポーズとがんを知らされて頭が混乱されて
普通なら返答ができないほどなのに、「生まれてくる子どもが、がんを見つけてくれた」「一緒に頑張りましょう」と
言われて、川島さんを励まされたなんて、とてもステキな女性だと思いました。
ご家族のみなさん素晴らしい方のようですね。
特にお父様は印象的でした。
定年後、勉強して毎年のように司法試験を受けていらっしゃる。
出来ないですよね。
川島さんが就職先に入社式前日断りの電話を入れて、「お笑いに進みたい」と相談されたのを、
「三十歳まではやりたいことをやれ」という返答をされたそうですが、なかなか言える言葉ではないです。
立派なお父様ですね。
川島さんは温かいご家族に囲まれていると思いました。
N.S.P 「夕暮れ時はさびしそう」